釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:歳をとる、ということ。その2

2014-03-05 14:50:34 | その他の雑談
私は我が半生を顧みるとき、多くの人がそうであるように、音楽は『旅は道連れ』以外の何ものでもなく、時にはマーラーに傾倒することはあったものの、結局は私の耳を素通りしていった。

勿論、その音楽の幾つかは、私にとって、『世は情け』になったのは言うまでもない。

そういう私の半生の音楽体験において、ブルースとかロックとかは全く無縁であった。

今や神棚に祀られている観のあるビートルズでさえ、私は特に関心はなかった。

***
ところが先日NHK・BSでエリック・ハンプトンの2001年の日本公演の様子が再放送された。私は暇つぶしに覗いて観た。そして全く意外にも感銘を受けた。

私はエリック・ハンプトンが如何なる人物で如何なる音楽者であるか全くの無知であった。

にも拘わらず、私は彼の此のライブにおいて、彼の音楽に底流する或る悲しみを私は感じた。繰り返すが此れは私にとって意外なことであった。

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枯れる、ということは恐らく日本独特の、もっと正確に云えば恐らく室町時代に確定した『美学』であろう。

枯れる、ということは日本人にとっては・・・尤も今や一部の、と付け加えたほうがよいだろうが・・・肯定的な形容詞になり得るが、他の国の人々にとっては恐らく否定的な形容詞以外のなにものでもないだろう。

私が此のライブで、エリック・ハンプトンに見たものは其の『 枯れの美学 』と称してもよい。

彼の歌や演奏から滲み出てくるものに私は彼の悲しみを感じ取った。

彼は私と一歳違いである。すでに古稀だ。
枯れて、当然だろう。

今や古い部類の日本人である私は、枯れる、ということに或る美学を感じている。

それは換言すれば実は『 悲しみ 』でもある。

ここらへんの言葉の綾を説明するのは大変難しい。

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私は古稀になって、やっとブルースとかロックという類の音楽が実は悲しみの音楽でもあるということを初めて知った。

私は、枯れたエリック・ハンプトンに心惹かれたのである。

実は昨夜もBDに録画しておいた此のライブを始めから最後まで一気に観た。

そして彼の音楽にある悲しみを更に深く感じいった。

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