釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

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雑談:『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳)

2012-03-09 11:32:28 | その他の雑談
私が持っているこの本は装丁がとても可愛い。本の大きさは葉書を少し大きくした程度で、まるで童話本のような感じだ。翻訳の日本語が「こなれていて」、これも童話を読むように、まるでショパンのノクターンを聴いているような感じの小説だ。

私は翻訳小説は苦手で実はこの本しか完読したものはない。翻訳の日本語の文章が気に入らず途中で放り投げるのが常であった(唯一の例外は、林一だが、この人の翻訳はあいにく科学モノだけで小説はない)

というわけで、『インド夜想曲』(須賀敦子訳)は私のお気に入りの本で、私の数少ない蔵書( と言っても今や20冊程度に減らしてきた )の一つだ。
私はこの大晦日から元日にかけて、久しぶりに再読した。

童話のような本だ、と書いたが、この小説は読み易い点でも童話のようでもあるが、その内容も、ある意味では童話に似ている。「ある意味で童話」とは「ミステリアスな旅のお話」と言い換えてもよい。

実際、この中篇小説は奇妙な味を読後に残す。

この小説には晦渋な言葉は一切出てこないが、それは表面だけであって、その表面の底には罔(くら)く謎めいた(インド的)闇を覗かせている。読者は其処で立ち止まり、その闇を窺(うかが)ってもよいし、又他の読者は何も気にせず読み過ごしてもよい。そんな小説だ。

ただ、読後、作者が何気なく語ったお話の奇妙な味を思い出し、それを自分なりに解釈すればよい。そういう類の小説は私は他に知らない。

要するに、この小説のお話は結局、読者自身に投げかけられている。だから、この小説は何度読んでも、それで終わりということがない奇妙な小説なのだ。
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この小説の『謎』をいくつかランダムに列挙してみよう。
{{それらは、おそらく意味不明に見えるだろう。作者はその意味を説明していない。その意味を考えるのは読者自身だから。}}
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「僕」は、失踪した「僕」の友人の探索にインドへと旅をする。その旅で「僕」はインドという国の「闇」を体験していくのだが、結局、「僕」が探しているのは「僕」の「影」ではないか・・・
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ジャイナ教の畸形の占い師は言う。(この第Ⅶ章が一番面白い)
「僕」はマーヤー(この世の仮の姿)に過ぎず、「僕」の探しているものはアトマン(魂)だと・・・
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Q:この肉体の中で我々はいったい何をしているのですか。
A:これに入って旅をしているのではないでしょうか。
Q:なんと言われましたか
A:鞄みたいなものではないでしょうか。我々は自分で自分を運んでいるような。
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見るという純粋行為のなかには、かならずサディズムがある。この言葉のなかには真実があるのを僕は感じていた。それで、僕はますます貪欲にあたりを眺めたが、自分本人はどこかわからない他の場所にいて、見ているのは二つの目にすぎないという意識が冷たく冴えていた。
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夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪をおかしている。
彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。
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以上、ランダムに抜粋したが、この小説は決して晦渋な文章の小説ではない。何度も書いたように、むしろ童話もしくは御伽噺のように平易な文章で話は進行していく。

私はこの小説を読むたびに空想するのは『メビウスの帯』である。これは数学的には表裏の無い不思議な帯で、これは簡単に作ることが出来る。細長い紙の片端を180度ひねって他の片端に貼り付ける。これが『メビウスの帯』とよばれる帯だ。この小説の「僕」は、インドという名の『メビウスの帯』を旅をする。そして出発点に戻ってみたら『僕』は・・・

あるいは、私は、こうも空想する。インドという名の2枚の鏡が並んでいて、「僕」はその2枚の鏡に間に立っている。そして「僕」はその鏡を見ると、「僕」は「僕」の永遠の鏡像になっている・・・

いずれにせよ、インドは「僕」のみならず私にとってもミステリアスな世界に見える。
小説の主題は、著者が「まえがき」で書いているように、
<<影>>の探求である<<夜想曲>> だと言えるのかも知れない。
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著者:アントニオ・タブッキはイタリアの現代作家である。須賀敦子が友人から「だまされたと思って読んでよ」とこの本を贈られたそうで、1990年の春だとのこと。
「だまされたと思って」とは、この小説をよく言い表している。
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この小説は映画化されているが、これも面白かった。
『インド夜想曲』、アラン・コルノー監督、1089年、仏
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私が持っている小説は、白水Uブックス版であるが、もしかしたら現在は絶版になっているかも知れない。

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