無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

中越沖地震で露呈した原発の実態

2007-07-31 | 蟷螂斧:私的時事論談
案の定、中越沖地震による柏崎刈羽原発の被害が当初報じられたよりも遥かに深刻であることが日増しに明らかになってきた。

原発の事故、トラブルではお定まりのパターンである。
善意に解すれば、物がものだけに、肝心要の部分は直ちに点検するどころか、近づくことさえできないという事情もあろうが、この間数十年ぶりに暴露されてきた事故、トラブル隠しの実態や、過去の電力会社や政府の振る舞いを思い起こせば、決してそんな事情ばかりとはいえない。

原子力はひとたび間違えば日本列島どころか地球規模の大災害を引き起こす危険極まりない技術であり、それを多分に胡散臭い安全神話や必要論で包み込んで、いわば「だましだまし」推進してきた来た原子力関係者にとって、国民がその恐怖を思い起こすような情報は極力覆い隠すことが習い性となっているのである。

およそ原子力ほど嘘にまみれた巨大技術も珍しい。
石油は後30年・・・(50年以上前から、ずっと「あと30年」)にはじまり、無限のエネルギー、安い電気、絶対安全な3重の壁・・等など、およそうたい文句の全ては嘘か歪曲に満ちている。

地震対策にいたっては、「過去の歴史地震の最大のものに耐える」「立地点の活断層調査は万全である」さらに「およそ起こりそうもない巨大地震も想定している」・・・。これらが電力会社や政府が国民市民に対し繰り返してきた主張である。
はたしてどうだったか?
言うまでも無い。すべて嘘であったことは今回の地震、いや、先の能登半島沖地震ですでに事実をもって証明された。

そして、今、電力会社から繰り返される決まり文句は「想定外」!

これもある意味、嘘である。
なぜなら、今回発生した事態のほとんど全ては、すでに多くの市民や研究者が具体的な事実を示して指摘してきたことであり、その意味で十分想定されていたことだからだ。

原子力に携わる者たちは、過去繰り返された事故やトラブルの都度高まる批判にも、「安全と安心は違う」、つまり「我々に任せておけば安全だが、ばかな素人はそれだけでは安心しない」という傲慢な態度に終始し、真摯に批判に向き合うことなく、ただ素人だましの安全宣伝に巨費を投じるばかりだった。

多くの市民国民の指摘を、腹の底では「無知な素人のばかばかしい心配」と侮ってきた彼らが、その素人たちの指摘が現実となった今、ぬけぬけと「想定外」などと繰り返す。そこには「専門家」としての誇りも責任感も感じられない。

今、思い起こす。
89年の美浜2号機の細管破断事故の後、関電ホールを埋めつくした市民に対する徹夜の説明会の後、技術者のもらした一言。
「私も、なぜこんなことが起こったのかと思う」
痛切な表情を見せた彼の技術者としての良心を信じかけたとき、彼は言った。
「それでも止まったじゃないですか」
・・・・
「想定外」の事態が生じ、コントロールしきれない事態がありうるという事実を突きつけられても、破局に至らなかったからよしとする神経に慄然とした。

今も、原子力村の技術者たちは、「結果OK、たいしたことは無い。というより、これほどの地震でもこの程度だったのだから立派なもんだ」くらいに思っているのではなかろうか。
であるなら、彼らに任せる限り、いつか破局は避けられないだろう。


脱原発入門講座

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。