Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

大国主の常陸

2010-04-08 | 神社とお寺
鹿島の神がセトだと思う、と書いたが、

記紀神話の成立以前、鹿島の神を祀っていたのは、
三輪の神を祀ったオオタタネコと同族にあたる“大氏”だったという。

つまり、そもそもの鹿島の神は、
三輪系の神だったと思われるのである。

中臣・藤原の祖神とされる春日の神もまた、
本来は大氏と同系の春日氏によって祀られたものだという。

***

“常陸風土記”には、
魔神・夜刀(やと)の神と戦いながら開墾を進める、
開拓者の記述があるという。

夜刀神は、おそらく、
アイヌ神話に現れる湿地帯の魔神と同種の神で、

開拓を困難にする湿地の
手に終えない始末の悪さを、
象徴する神ではないか、と思う。

本来、常陸は、三輪・インダス系の国津神によって開拓された、
大国主の勢力の強い土地だったのだと思う。

大洗の海に祀られているのは大国主であり、
大甕には、天孫族にあくまで抵抗した星の神とされる、
天香香背男が祀られているそうだ。
(行ったことはないけれど)

***

三輪系の抵抗の強い土地であった常陸を抑えるため、
中臣氏が入り込み、鹿島の祭祀権を握った。

記紀に記された、スサノオ追放の後の祓いを行った天児屋根は、
蘇我を追放した中臣をモデルにして
創作・或いは改ざんされた神かもしれない。

本来の鹿島の神を抑えるために、
セトであるタケミカヅチが祀られた。

本来の鹿島の神は、海神としての大国主系の神…
ということは、
イザナギに海の統治を命じられたスサノオであった可能性も、あると思う。

***

セト(あるいはその代行者)は基本的に一発屋である。

再生のための破壊、生命の減退をもたらす神なのだけれど、
それをそれと意識せず、自らの欲望で敵を破壊する、という形で行うのである。

破壊が神意である場合は、正神の力添えがあり、
動機が欲望であるにも関わらず、神がかりてきな力を行使する。

ところが、本人に自覚がないが故に、
それを自分の実力と勘違いしてしまうのである。

本人はおなじ調子がずっと続くつもりでいるが、必要な破壊が終わってしまえば、正神は離れる。

その後は、欲望が空回りすることになるのだ。

欲望が強い故に、それに振り回されてしまい、
自力で創造する力を持たない。

だが権力は欲しいので、
権威にくっついて上手い汁を吸おうとする。

力を振り回し目下を支配しようとする傾向が、
周囲の創造性を押さえてしまうので、
全体の生産性は落ちることになる。

コミュニティ内に閉じこもって力を振り回しているだけならいいが、
おなじ傾向を持たないコミュニティと勝負した場合は、
かなわないだろう。

だからバカだと言われてしまうのだが…

***

茨城県は、国の事業におぶさってしまう傾向が強いように見えるし、

つくばエクスプレスもある首都圏なのに、
なぜか新空港が開港したのも、
記憶に新しい。

本来の反骨心を取り戻して欲しいものだ…

余計なお世話?

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