宇佐神宮のある大分は、
日本列島の“ぼんのくぼ”の位置にあたる。
ぼんのくぼは、アイヌの信仰において、
その人の憑き神(守護霊)の座と考えられている。
もし、アイヌと同じ考え方を、古代の日本人が持っていたとするなら、
ここにある宇佐神宮(宇佐八幡)は、
日本列島の守護神という位置付けになるだろう。
***
宇佐神宮は古墳の上に立つ神社で、
比売大神は、八幡神以前からここで祀られていた、古い土着の神だそうだ。
紀記において初代天皇とされる神武は、おそらく、九州から近畿へ上り、
三輪王朝の婿に入ったのだろう。
神武の生家にあたる王朝が、九州にはあったのだと思う。
その王朝の主神が、比売大神なのではないか?
そして、その比売大神こそ、
古代エジプトのネイトにあたる神と考えられる。
***
紀記における天孫降臨の神話には、
アマテラスに変わって実質的な司令を下す神として、
高神産霊の神=シュウが描かれている。
つまりこれは、ネイト王朝ではなく、
シュウ王朝の物語と考えられる。
この物語のアマテラスが女神だとしたら、
これは、巫女ネフティス=大宮乃女に重ねられていると思うのだ。
シュウ王朝と三輪王朝は、三輪が大国主によって祀られた、という物語から、
一体化していたと考えられる。
天皇家の祖神として、大宮乃女を含む御巫八神を祀っていることからも、
天皇家の氏神として本来伊勢に祀られたのは、
巫女ネフティスの方だと思う。
しかし、神武がネイト系であったために、
後に巫女ネフティスと創造神ネイトが、習合したのではないだろうか?
天の岩戸開き神話の中のアマテラスの神格は、
ネイトなのである。
おそらく、大国主の魂が三輪山の神である、というのと同じく、
大宮乃女の魂が、宇佐の比売大神である、というほど、
本来は近い神であろうが、
後の世に、伊勢の至高化によって、
その信仰も失われたのではないか?
日本列島の“ぼんのくぼ”の位置にあたる。
ぼんのくぼは、アイヌの信仰において、
その人の憑き神(守護霊)の座と考えられている。
もし、アイヌと同じ考え方を、古代の日本人が持っていたとするなら、
ここにある宇佐神宮(宇佐八幡)は、
日本列島の守護神という位置付けになるだろう。
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宇佐神宮は古墳の上に立つ神社で、
比売大神は、八幡神以前からここで祀られていた、古い土着の神だそうだ。
紀記において初代天皇とされる神武は、おそらく、九州から近畿へ上り、
三輪王朝の婿に入ったのだろう。
神武の生家にあたる王朝が、九州にはあったのだと思う。
その王朝の主神が、比売大神なのではないか?
そして、その比売大神こそ、
古代エジプトのネイトにあたる神と考えられる。
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紀記における天孫降臨の神話には、
アマテラスに変わって実質的な司令を下す神として、
高神産霊の神=シュウが描かれている。
つまりこれは、ネイト王朝ではなく、
シュウ王朝の物語と考えられる。
この物語のアマテラスが女神だとしたら、
これは、巫女ネフティス=大宮乃女に重ねられていると思うのだ。
シュウ王朝と三輪王朝は、三輪が大国主によって祀られた、という物語から、
一体化していたと考えられる。
天皇家の祖神として、大宮乃女を含む御巫八神を祀っていることからも、
天皇家の氏神として本来伊勢に祀られたのは、
巫女ネフティスの方だと思う。
しかし、神武がネイト系であったために、
後に巫女ネフティスと創造神ネイトが、習合したのではないだろうか?
天の岩戸開き神話の中のアマテラスの神格は、
ネイトなのである。
おそらく、大国主の魂が三輪山の神である、というのと同じく、
大宮乃女の魂が、宇佐の比売大神である、というほど、
本来は近い神であろうが、
後の世に、伊勢の至高化によって、
その信仰も失われたのではないか?