Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

負け方を知らない日本人

2010-06-16 | 日本人の意識と社会
日本人は負けるのが下手だ、というのは、
第二次大戦の際の引き際からも言われていることだ。

旗色が悪くなり、敗色が明らかになってきても、
まだ徹底抗戦、本土玉砕を叫んで、

首都を焼け野原にして、原爆を投下され、
完膚なきまで叩きのめされ、初めて、
やっと敗けを認めたのである。

そうして徹底的にやられて、すべてを失い、
“鬼畜米兵”だったはずの敵に占領されると、
今度はあっさりアメリカナイズされて占領軍のご機嫌伺いと化し、

支配層は尻尾を振って、
アメリカにすり寄っていったのである。

“卑下慢”というか、
自分たちは本当は悪くなくて、力に負けただけなのだけど、
強いものには従っておこう、という事だろうか?

その割に“日本人は本当に敗けたことを分かっているのか?”
という評判で、根本的にはさっぱり変わらなかったらしい。

つまり、すべてを失うまで戦い抜いたわりには、
自分たちの何が間違っていてアメリカと戦うことになり、

どんな風に認識を改めなければならないのか、ということに関しては、
さっぱり分かっていなかったのである。

反省したのは主に一般市民で、彼らが学んだのは、
“アメリカは鬼畜米兵ではなく、優れた豊かな国だった”という事と、
“戦争は良くない”という事だった。

***

ヨーロッパの国々は、しょっちゅう戦争を繰り返していて、
だから、負けることにも慣れていた。

なんにもなくなり、再起不能になるまで戦い抜くなんて、
彼らには到底かんがえられない事で、

負けが明らかになった時点で降参し、
戦う理由になったさまざまを引っ込め、

その戦いで敵方が払った犠牲を適度に償い、
新たな道をとるための手続きを始めるのが普通なのだ。

日本の戦国時代の武将たちにも、
似たような感覚はあったと思う。

こだわっていることは滅亡につながる。
負けが明らかになったら、とっとと下り、
そこで頭角を表す道を探せばいいのである。

貫いて死ぬのが美しいという美学もあると思うが、それはごく特殊な場合で、
生き残っても志を生かす道が
全くあり得ない場合に限られると思う。

***

いま、世の中を見渡しても、日本人は負けるのが下手なように思える。

枝葉末節にこだわらず、違う道で志を生かす道を考える、
という柔軟性に欠ける。

周囲も自分も、次の道を模索し、
準備ができるだけの余裕を持って負けないことには、
負けたあとで路頭に迷うより他にないと思う。

ケツの毛まで抜かれてからでは遅いのだ。

敗戦した日本がアメリカの助けにより蘇ったのは、
まったく有り難いというか、大したことだと思う。

というか、負け方を知らずに焦土と化してしまうような国に
はじめて出会って、
アメリカも戸惑ったのではないだろうか?

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