“心の修行”はゲルク派とは別の宗派のものですが、ダライ・ラマも胸を借りたというか、勉強されたようです。 . . . 本文を読む
“絶望的な心の狭さは、原始性(いのち)を欠いていることである、いいかえれば、自己の原始性(いのち)を放棄し、精神的な意味で自己自身を去勢していることである。すなわち、全ての人間は、正しく原始的に自己としてここに置かれ、自己自身に成ることが彼の使命である。”
キェルケゴール“死に至る病”創言社 . . . 本文を読む
マズローを見捨てた訳ではありません。 ほんの軽口です。
しかし、マズローと言えば、欲求さえ満たされれば成熟するので満たさない奴らが悪い、的になりやすいので、あまり出さない方が賢明かと。 . . . 本文を読む
A.スマナサーラ“ブッダの実践心理学”第一巻で“無常”としているのが、ダライ・ラマ“チベット仏教入門”の“空観”とほとんど同じかも知れません。
しかし、スマナサーラ師があれだけ大乗の“空”を否定しているところを読めば、何か違うのだろうと思わざるを得ないと思います。 . . . 本文を読む
A.スマナサーラ“ブッダの実践心理学”で“無常”としてあるのが、ダライ・ラマの“空観”とほとんど同じかも知れません。
しかし、スマナサーラ師があれだけ大乗の“空”を否定しているところを読めば、何か違うのだろうと思わざるを得ません。 . . . 本文を読む
追記
2018-07-09 | 思想
知恵の樹の実を食べない状態ではなく、食べてしまったのを原始性とすると、これを肯定しながら神の救いを高らかに歌い上げるのは、かなりの過激思想だと思います。 . . . 本文を読む