Fantasy Football(ファンタジーフットボール)戦記

NFLのFantasy Football(ファンタジーフットボール)のほかMLBやNBAについて語ります

NBAのGinobili引退をきっかけに、Jersey Number#20の選手を追う

2018年09月04日 22時27分19秒 | NBA

ドラフト振り返りはいったんお休みにして、今回はNBA話を中心にします。

筆者はこれまで、全米スポーツの背番号(Jersey Number)に絡めて何本か記事を書いています。
 
 
 
 
 
 
 
 
今回はEmanuel Ginobiliの引退表明を受け、彼が選手生涯にわたってSan Antonio Spurs(SAS)で着けていた#20について話しましょう。
 
まずGinobiliについて。生まれはアルゼンチンのバイアブランカ。この地名を聞いて「あれっ」と思った人は、筆者と同年代と推測されます。テレビアニメ「母を訪ねて三千里」でちびまる子ちゃんではなく、マルコ少年が最初の目的地として向かった都市の名前ですね。
 
人口は30万人弱。同国の人口10位のサン・ファンが50万人規模だそうですから、中規模都市くらいの位置づけでしょうか。アルゼンチンでブエノスアイレスから南西方向550㎞にあり、マルコは船でブエノスアイレスに着いてから、陸路でこの年を目指します。おっと、話が完全に逸れてますね。
 
アルゼンチンからイタリアに渡りセリエAでプレイしていたGinobiliは、1999年にSASからドラフト57位で指名を受けます。SASに加入したのは2002-03年シーズンから。今でこそ短髪が定着したGinobiliですが、NBAに参加した当初は長髪で、米国の選手とは違うイタリア帰りのダンディな雰囲気を漂わせていました。
 
SASは既にDavid RobinsonとTim Duncan(上にあるJersey Number #21の項で解説しています)のツインタワーで1998-99シーズンにNBA Finalを初めて制していましたが、衰えを見せていたRobinsonの引退が開幕前に決まっており、チームとしてモデルチェンジを迫られていました。
 
そこに加入したのがGinobiliでありSteve Kerr(現Golden State Steve Warriorsのヘッドコーチ。Kerrもこのシーズン限りで引退)でした。前年から加入していたTony ParkerやBruce Bowenも成長を遂げ、SASこのシーズンにチーム2度目のFinal制覇を果たし、Robinsonの花道を飾ります。
 
このシーズンからSASは1年おきながら5シーズンで3回優勝する黄金期に入ります。Duncanを中心にGinobilli、Parkerの非米国本土出身(Duncanはアメリカ領ヴァージン諸島の出身、Parkerは父は米国人だが国籍はフランス)によるビッグスリーを構成します。
 
ビッグスリーはその後もSASでのプレイを継続し、2016年7月のDuncan引退まで一人も欠けることなく14シーズンにわたり同じチームでプレイを続けました。これはWikipediaの引き写しですが、トリオでNBAチャンピオン4回を飾り、トリオ通算レギュラーシーズン試合数NBA歴代1位、勝利数NBA歴代1位、通算プレーオフ試合数NBA歴代1位、プレーオフ勝利数歴代1位なんだそうです。
 
Ginobilliの話をすると、相手チームの選手をかき分けるようにゴール下にドリブルで入り込む「ユーロ・ステップ」でNBAに衝撃を与えました。実際にご覧になりたい方は、Youtubeに転がっていますので探してみてください。
 
筆者的には、ビッグスリーの晩年に当たる2013–14年シーズンにSASが実現した「Beautiful Basketball」が忘れられません。選手全員が意図を持ってパスを回し、最良の体制でシュートを打てる仲間を探す(そして楽にシュートを決める)SASには、バスケットボールチームとしての完成形を見ました。このシーズンは、前年のFanalで惜しいところで敗れたCleveland Cavaliersに雪辱を果たしました。
 
しかしDuncan引退後はSASにもいろいろあって(経緯は省略)、2018-19年シーズンを前に36歳のParkerが先発の座を求めて移籍を発表し、毎年シーズンオフに引退がニュースとなっていたGinobili(現時点で41歳!)の去就に注目が集まっていました。そして今回の引退発表と相成ったわけです。
 
2017-18シーズンに21年連続(Robinsonが故障して、Gregg Popovichがヘッドコーチに就任した1996-97年シーズンの翌シーズンにスタート)プレーオフ進出を果たしたSASですが、次のチームの中心選手になるはずだったKawhi Leonardがチームを去りました。そしてParkerに続きGinobilliまでを失うことになりました。
 
ここ数年のGinobilliは、出場時間が1試合平均で20分前後で得点は10点弱と“年齢に応じた”働きぶりでした。しかしそれよりも、チームの支柱的役割を果たしていただけに、引退はチームにとっての最大のインパクトでしょう。ビッグスリーがだれもいなくなったSASに、大きな転機がやってきました。
 
と、Ginobilli部分がだいぶ長くなってしまったのでちょっと駆け足になりますが、NBAで#20でほかに思い浮かぶのはGary Paytonです。
 
全盛期にSeattle SuperSonicsで活躍したPaytonは、5歳年上のMichael Jordanをひるむことなく挑発する姿が印象的でした。その後はチャンピオンリングを求めLos Angeles Lakersに移籍しNBA Finalに登場しましたが果たせず、NBA Finalを制したチームの一員となったのは、最晩年の2005-06年シーズンにMiami Heatででした。
 
MLBの#20は希代の盗塁王Lou BrockやPhildelphiaの至宝Mike Schmidtなどが有名のようですが、筆者としては松井秀喜のチームメートだったJorge Posadaの方が印象深いです。
 
さて最後にNFLですが、ここはやはりDET一筋でNFL史上初の10年連続1000ヤードラッシャーとなったBarry Sandersですね。1968年生まれですから、上に書いたGary Paytonと同い年。NFLとNBAを熱心に見る時期がずれている筆者にとってはちょっとした驚きでした。
 
記録は省略しますが、Sandersの10年間の成績はとてつもなく安定しており、彼が現役時代のFantasyでは重宝されたことと推測されます。1試合当たりの平均Rushing Yardが99.8ヤードで出場試合数も10年のキャリア(つまり160試合)で153試合に出場します。
 
現役でSandersに近い成績(出場試合数が多く、1試合100ヤード前後を走る)なのは、出場停止を受ける2014年シーズンまでのAdorian Petersonですね(#20じゃないけど)。

偶然二人はRushing Touch Down数が99個だそうです。選手生命の晩年を迎えつつあるPetersonが、今シーズンWASでどれほどの実績を出してくれるのか楽しみにしたいところです。

2015年シーズンからアメリカンフットボールのFANTASY FOOTBALL を楽しんでいるトーマスといいます。NFLだけでなく、MLBやNBAについても語ります。

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CIN シンシナティ・ベンガルズ DET デトロイト・ライオンズ
CLE クリーブランド・ブラウンズ GB グリーンベイ・パッカーズ
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JAX ジャクソンビル・ジャガーズ NO ニューオリンズ・セインツ
TEN テネシー・タイタンズ TB タンパベイ・バッカニアーズ
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KC カンザスシティ・チーフス LAR ロサンゼルス・ラムズ
OAK オークランド・レイダース SF サンフランシスコ・49ers
LAC ロサンゼルス・チャージャース SEA シアトル・シーホークス

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