「引っ越し大名!」
2019/9/5、ユナイテッドシネマ豊洲、1番スクリーン、G列を選択。
星野源、高橋一生、高畑充希、松重豊、濱田岳、小沢征悦、富田靖子、及川光博、西村まさ彦、向井理。
*
江戸時代前期(1642~1695)に実在し、生涯7度の国替え(藩主としては5回)を経験し、
引っ越し大名とあだ名された松平直炬(なおのり)の物語。
越前大野藩=>出羽山形藩=>播磨姫路藩(先代が国替え中に死去、藩主となる)=>
越後村上藩=>再び、播磨姫路藩、となってからのお話。
*
松平直矩(及川光博)は1682年、突如、姫路藩から豊後肥田藩への国替えを命じられる。
同時に15万石から7万石へ減封となる。
先代からの度重なるお国替えで藩財政がひっ迫しているうえに減封では、引っ越し費用の捻出さえ難しい。
さらにそれまで引っ越しの段取り一切を仕切っていた武士が亡くなってしまっていた。
重臣たちは引っ越し段取りの役回りを誰にするか相談するが、誰もそんな難題に手を上げない。
指名されそうになった鷹村源右衛門(高橋一生)は友人で書庫番の片桐春之介(星野源)の名前を挙げる。
片桐春之介は、人付き合いが苦手で書庫にこもりっきりで、かたつむりと揶揄されている人物。
しかし、本を読み漁っているのだからそれなりの知識があるだろうと指名されることになった。
早速呼び出された片桐春之介に対し、家老の本村三右衛門(松重豊)は「引っ越し奉行を命ずる」と宣言し、
嫌がる春之介に「できないのなら腹を切れ」と迫り、春之介は否応なく受けることになった。
しかし春之介は何から手を付けていいのかさっぱりわからない。
前回の費用はわかったものの藩の金庫では1万数千両も不足する。
果たして春之介は超倹約引っ越しを見事に成し遂げられるのだろうか。
*
題材としては面白いし、原作(未読)はもっと面白いのだろうが、なんとなく盛り上がりに欠ける。
設定や展開が唐突すぎて現実味がなく上滑りしている。
例えば直矩(及川光博)が姫路から日田へ国替えを命じられたのは、柳沢(向井理)との
トラブルなんかではなく、越後騒動での不手際が原因。
いくら何でも、あの程度で「将軍の逆鱗に触れてお国替え」はあまりにもあり得ない。
向井理を出すための無理やりエピソードではなかったか。
そもそも姫路から越後に国替えになったのも、山形藩から姫路への国替えの際、父の直基が亡くなり、
跡目を継いだ直矩がわずか5歳で姫路藩主となったため、荷が重いとして移動させられたもの。
その後姫路に復帰してからが本作の出だし。
確かに度重なる国替えで藩の財政は危機に瀕したようだが、国替えにはそれなりの理由があり
将軍の単なる思い付きではない。
松重豊がすぐ腹を切れというのも上滑り。
誰も手を上げないから星野源に押し付けたのに死なせてしまっては後釜に困るだけ。
さらに期限が迫ってから切腹させて引っ越しが失敗したら、腹を切るのは国家老の自分自身だ。
家財を売り払う「見切り」はいいとしても、大切な書物を燃やしてしまうのはどういうことだ。
本当に捨てなければならないとしても兵法書などは売れるはず。
そもそも書籍類は春之介の所有物ではなく藩のもの。
捨てることで精神的なダメージはあっても経済的ダメージはなく、ましてや燃やしてしまえば
藩財政の足しにもならない。
また次男が元服したエピソードを入れるためか、15万石に戻るのは姫路を出てから15年と
なっているが実際は10年だった。
なお、元服は厳密には年齢が決まってはいなかったが、江戸時代では概ね数え15歳ごろ
(満14歳ごろ)だったようだから、10年では都合が悪いのだろう。
*
せっかく型破りな髪形で本編を乗り切ったのに最後の最後、月代を剃った普通の髷姿はどうなのか。
おそらくは年を重ねたことを表すのに適当な髪形がなかったのだろうが、違和感しかなかった。
藩士たる父が死んで、こぶつき出戻り娘が冷や飯を食わされるのはあり得ない話ではないが、
ああもあっさりと夫婦になることが叶うのか。
武士の婚姻にはそれなりの許認可が必要で段取りを端折りすぎ。
*
西村まさ彦(雅彦から改名)の単独犯説も信じられない。
いくら何でも家臣の何名かはいるだろうし、なぜ誰も西村まさ彦に加勢しないのか。
また、隠密と結託して主人を裏切るような輩が、お家騒動の後に旗本に取り立てられるものだろうか。
江戸幕府と直接のつながりが示唆されていたとも思えない。
仮に幕府とつながりがあったとしたら和田聰宏が西村まさ彦を狙ったのも意味不明。
思い起こせば「最後の忠臣蔵」で大石内蔵助は瀬尾孫右衛門に対して、
隠し子の可音(かね)の将来を託す際に、「私は浅野家の家臣だから討ち入るが、
お前は大石家の家臣だから討ち入らずに私の命令を聞くように」と指示している。
事程左様に武士の、あるいは武家の主従関係はかなり厳密なはずだ。
つまり、全般に時代考証はさほど重要視せず、現代風の成り行き、展開としていることに少し無理がある。
現代風で行くならそれで構わないが、もう少しやりようがあったのではないか。
とはいえ、個人的には映画は映画、小説は小説と考えている。
原作と映画の違いを論じるのはあまり意味がないと思っているし、いろいろ書いては見たものの
史実とどう違うかを強調するのはどうかと思う。
が、本作の感想で「実際にあった些細な理由での理不尽な国替え」と書いている人が意外と多く、
ちょっと違うよなと思った次第。
2019/9/5、ユナイテッドシネマ豊洲、1番スクリーン、G列を選択。
星野源、高橋一生、高畑充希、松重豊、濱田岳、小沢征悦、富田靖子、及川光博、西村まさ彦、向井理。
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江戸時代前期(1642~1695)に実在し、生涯7度の国替え(藩主としては5回)を経験し、
引っ越し大名とあだ名された松平直炬(なおのり)の物語。
越前大野藩=>出羽山形藩=>播磨姫路藩(先代が国替え中に死去、藩主となる)=>
越後村上藩=>再び、播磨姫路藩、となってからのお話。
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松平直矩(及川光博)は1682年、突如、姫路藩から豊後肥田藩への国替えを命じられる。
同時に15万石から7万石へ減封となる。
先代からの度重なるお国替えで藩財政がひっ迫しているうえに減封では、引っ越し費用の捻出さえ難しい。
さらにそれまで引っ越しの段取り一切を仕切っていた武士が亡くなってしまっていた。
重臣たちは引っ越し段取りの役回りを誰にするか相談するが、誰もそんな難題に手を上げない。
指名されそうになった鷹村源右衛門(高橋一生)は友人で書庫番の片桐春之介(星野源)の名前を挙げる。
片桐春之介は、人付き合いが苦手で書庫にこもりっきりで、かたつむりと揶揄されている人物。
しかし、本を読み漁っているのだからそれなりの知識があるだろうと指名されることになった。
早速呼び出された片桐春之介に対し、家老の本村三右衛門(松重豊)は「引っ越し奉行を命ずる」と宣言し、
嫌がる春之介に「できないのなら腹を切れ」と迫り、春之介は否応なく受けることになった。
しかし春之介は何から手を付けていいのかさっぱりわからない。
前回の費用はわかったものの藩の金庫では1万数千両も不足する。
果たして春之介は超倹約引っ越しを見事に成し遂げられるのだろうか。
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題材としては面白いし、原作(未読)はもっと面白いのだろうが、なんとなく盛り上がりに欠ける。
設定や展開が唐突すぎて現実味がなく上滑りしている。
例えば直矩(及川光博)が姫路から日田へ国替えを命じられたのは、柳沢(向井理)との
トラブルなんかではなく、越後騒動での不手際が原因。
いくら何でも、あの程度で「将軍の逆鱗に触れてお国替え」はあまりにもあり得ない。
向井理を出すための無理やりエピソードではなかったか。
そもそも姫路から越後に国替えになったのも、山形藩から姫路への国替えの際、父の直基が亡くなり、
跡目を継いだ直矩がわずか5歳で姫路藩主となったため、荷が重いとして移動させられたもの。
その後姫路に復帰してからが本作の出だし。
確かに度重なる国替えで藩の財政は危機に瀕したようだが、国替えにはそれなりの理由があり
将軍の単なる思い付きではない。
松重豊がすぐ腹を切れというのも上滑り。
誰も手を上げないから星野源に押し付けたのに死なせてしまっては後釜に困るだけ。
さらに期限が迫ってから切腹させて引っ越しが失敗したら、腹を切るのは国家老の自分自身だ。
家財を売り払う「見切り」はいいとしても、大切な書物を燃やしてしまうのはどういうことだ。
本当に捨てなければならないとしても兵法書などは売れるはず。
そもそも書籍類は春之介の所有物ではなく藩のもの。
捨てることで精神的なダメージはあっても経済的ダメージはなく、ましてや燃やしてしまえば
藩財政の足しにもならない。
また次男が元服したエピソードを入れるためか、15万石に戻るのは姫路を出てから15年と
なっているが実際は10年だった。
なお、元服は厳密には年齢が決まってはいなかったが、江戸時代では概ね数え15歳ごろ
(満14歳ごろ)だったようだから、10年では都合が悪いのだろう。
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せっかく型破りな髪形で本編を乗り切ったのに最後の最後、月代を剃った普通の髷姿はどうなのか。
おそらくは年を重ねたことを表すのに適当な髪形がなかったのだろうが、違和感しかなかった。
藩士たる父が死んで、こぶつき出戻り娘が冷や飯を食わされるのはあり得ない話ではないが、
ああもあっさりと夫婦になることが叶うのか。
武士の婚姻にはそれなりの許認可が必要で段取りを端折りすぎ。
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西村まさ彦(雅彦から改名)の単独犯説も信じられない。
いくら何でも家臣の何名かはいるだろうし、なぜ誰も西村まさ彦に加勢しないのか。
また、隠密と結託して主人を裏切るような輩が、お家騒動の後に旗本に取り立てられるものだろうか。
江戸幕府と直接のつながりが示唆されていたとも思えない。
仮に幕府とつながりがあったとしたら和田聰宏が西村まさ彦を狙ったのも意味不明。
思い起こせば「最後の忠臣蔵」で大石内蔵助は瀬尾孫右衛門に対して、
隠し子の可音(かね)の将来を託す際に、「私は浅野家の家臣だから討ち入るが、
お前は大石家の家臣だから討ち入らずに私の命令を聞くように」と指示している。
事程左様に武士の、あるいは武家の主従関係はかなり厳密なはずだ。
つまり、全般に時代考証はさほど重要視せず、現代風の成り行き、展開としていることに少し無理がある。
現代風で行くならそれで構わないが、もう少しやりようがあったのではないか。
とはいえ、個人的には映画は映画、小説は小説と考えている。
原作と映画の違いを論じるのはあまり意味がないと思っているし、いろいろ書いては見たものの
史実とどう違うかを強調するのはどうかと思う。
が、本作の感想で「実際にあった些細な理由での理不尽な国替え」と書いている人が意外と多く、
ちょっと違うよなと思った次第。
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