近つ飛鳥博物館のチケットを新聞社から戴いたのです。3DAYチケットで見に行く事にしました。
3ディーチケットは決められた日にちの間3回阪神、阪急、近鉄などをフリーで使えますので一回はこれで
富田林まで出かける事にしました。
阪神、地下鉄、近鉄を乗り継いで富田林まで。観光協会行き寺内町の地図と説明を聞きます。
富田林寺内町は、戦国時代末期の永禄3年(1560年)、西本願寺派興正寺第14世・証秀が、石川西側の河岸段丘の荒芝地を百貫文で購入し、周辺4ヶ村(中野・新堂・毛人谷(えびたに)・山中田)の「八人衆」の協力で、芝地の開発、御堂(興正寺別院)の建立、畑・屋敷・町割等を行い、富田林と改めたことに始まるという(興正寺御門跡兼帯所由緒書抜)。
八人衆は、この功により年寄役となり、寺内町の自治を行った。織田信長と石山本願寺による石山合戦時には、本願寺・御坊側につかなかったことから、信長から「寺内之儀、不可有別条(じないのぎ、べつじょうあるべからず)」との書状を得ることにより、平穏を保った。
江戸時代は公儀御料となり、酒造業で栄えた。また、幕末期には、19名の大組衆(杉山家、仲村家、奥谷家などの有力町人衆)により自治が行われていた。
田中邸は入場料は要りません。ここと旧杉山邸は見学が出来ますがほかの邸宅は現在も
お住まいになってるので内部を見る事はできません。
ここからはPL教団の建物が見えます。
散策しながら交流館へ向かうと目の前のパン屋さんがまだ11時と言うのにクリームパンは売り切れの看板が。
きっと美味しいのでしょうと私たちも購入
何種類かは売り切れてました。
美味しいもの、手作りなど記載のフリーペーパーもあります。
交流館でここのテーブルでお弁当を食べてもいい?お聞きすると2Fでどうぞ。
使用許可書を書いて下さい。名前と時間など簡単。
2階な上がると立派なお座敷ゆっくりお弁当を食べました。
旧家の並ぶ町に若者の経営するお店のアンバランスがメチャ楽しい。
チャ広いお家です。 欄間もお台所も。
ワイワイ言いながら見て回りました。
かつてこの住宅に住んでいた杉山家は、富田林寺内町の創設にもかかわったといわれる旧家のひとつである。杉山家は江戸時代から明治時代にかけて、この住宅で造り酒屋を営んでいた。
旧杉山家住宅は、江戸時代中期17世紀中頃の建造である。富田林寺内町の中でももっとも古い建築物とされていて、また現存する町家の中でも最古と考えられている。1983年に国の重要文化財に指定され、また同年、富田林市が住宅を買い取り、解体修理工事ののちに一般公開されるようになった。
また、旧杉山家住宅は、明治時代に与謝野晶子らとともに活躍した明星派の歌人・石上露子(いそのかみ つゆこ、本名・杉山孝(「杉山タカ」の表記もある))の生家でもある。その関係で、石上露子ゆかりの書簡やパネルなども旧杉山家住宅で展示されている。
アニメ作品「涼宮ハルヒの憂鬱」の第23話「涼宮ハルヒの溜息Ⅳ」に出てきた、鶴屋さんの実家のモデルと言われている。(ただし左右が反転されている)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85 旧杉山家
富田林駅に戻りバスで近つ飛鳥博物館へ。
飛鳥風土記の丘の中に博物館はあります。
大阪府河南町・太子町に所在する古墳時代から飛鳥時代にかけての文化遺産に関する博物館です。
大阪には日本最大の前方後円墳である仁徳陵古墳をはじめ、日本を代表する遺跡が多く所在している
ことから、「日本古代国家の形成過程と国際交流をさぐる」 をテーマにした活動を行っています。
隣接する史跡一須賀古墳群は100基以上からなる日本を代表する群集墳であり、
近つ飛鳥風土記の丘として整備されています。
近つ飛鳥博物館は、この一須賀古墳群のサイトミュージアム(遺跡博物館)としても機能しています。
「黄泉の塔」が聳える階段状の建物は安藤忠雄の設計。自身の代表作として挙げるこの作品は、
第26回日本芸術大賞他を受賞している。
余り歴史に詳しくない私たちですが石棺を見たりして、自然が楽しめる場所でした。
ちなみにイノシシに注意。マムシに注意の看板。その上毛虫がいっぱいでした。
バスの本数がとても少なく不便でしたが、高台に登る住宅街の街路樹は花水木満開で楽しめました。