久しぶりに夜の街へくり出した。
ザンビア2度目のクラブへ。
車は友人宅に駐車しとりあえず徒歩で外へ。
そう遠くは無いといえど暗くなってからの徒歩は危険極まりないから途中でタクシーを拾った。
前にその友人は同じ道で夜に二人組みにいきなり殴りかかられたことがある。
何かの間違いでアジア人はとりあえずカンフーができるとザンビア人は信じているからちょっとそんな振りしたら逃げていったらしい。実際街を歩いていても「カンフーやれ」って声かけられることもしばしば。
僕らはモテる。彼女らにとっては僕が日本人か中国人かなんか関係ない。どっちにしろ金はもっていると見られているから。ビールをくれればそれでいい。
僕は可愛い娘と踊った。スタイルも良くひどく可愛かった。
けれどこのクラブは入場無料だけに悪の倉庫。
HIV率は50%じゃ足りないかもしれない。
だからそれ以上のことはどんな娘であろうとできやしない。
せいぜい100円位のビールをおごってやれるくらい。
案の定、時間が経つにつれ、いけない葉っぱを買い、危ない方向へ話が行く。断固拒否。
いや、でもそれ以前に「17歳の娘」とただ踊るだけで僕が犯罪でした。
楽しく踊って帰る。それが鉄則。
専門調査員が知り合いになったザンビア人が孤児院や保健施設をやっているということで興味本位でお邪魔した。
最初に行ったのは身体障害者のコミュニティ。
施設とはいってもただのコンクリの小屋。
電気もなけりゃ水も無い。寝室にベットも無ければトイレも離れの地面に穴があるだけ。
そこに数十人の障害者がいた。
皆様集まって丁寧に迎えられ、お祈りから集会が始まった。
もしかしたら?と思っていたのが的中。
僕らを紹介。日本大使館から外交官が来てくれた。是非この状況を見てもらって今後の援助を期待しようとのこと。ふーむ。やっぱりそういう流れか。
どこへ行っても大使館員と知られるとそういう扱い。
仕方が無いし、それが悪いことではないとは思う。彼らは必死に援助を求めているわけだから。
少しでもチャンスがあれば頼んでみようという彼の姿勢は否定できない。
ただ、一個人として何かしてあげよう、できることはあるだろうかと思っていると少し困惑してしまう。来たことで大きな援助の期待をさせてしまったことに後悔さえ感じる。
聞いた事しかなかったポリオの子供。義手義足の子供。ばい菌で顔が半分つぶれている子供。子供だけではなく色々な障害をもった大人達もいる。
ただでさえ貧困のひどいこの国で働けずに収入の無い彼らはどう生きればいいんだろう?
この国にキリスト教が根付いている意味がすこしずつわかってきた気がする。
施設&カニャマ村