自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

 人との好ましい関係を保つために②

2024年08月08日 | 介護と自然治癒力


自分を理解する~他者との会話を通して
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前回からの続きで、”より良い人間関係をつくるために”
の②です。

PAC という略字は、前回、または、6月30日以前のブログに
説明しています。ご参照ください。

交流のパターンには、三つあることを前回お話しました。

自分と相手の間に、①理解があるか、②話の要点が
かみ合わず、交叉してしまうか、そして、③どちらか、
または、両方が、仮面をかぶったように本音を表さないか・・・

では、次の会話を見てみましょう。

A氏とB氏が登場します。

A氏は、B氏に、喜んでもらいたい一心で、なにやかやと
世話をやきたがります。

一方の、B氏はそれを、有難迷惑(ありがためいわく)か、
’煙たく’感じています。

”親切の押し売りはしないで欲しい”と思っているのです。

世話を焼くという行為は、心の要素でいうと、P(親の心)が
C(子供の心)に対する行動です。

ケアーする心は本来のPの特徴です。

A氏は、外からは、一見、愛情深く、思いやりある人のように
みえますが、池見博士は、ここに見落としがちなポイント
があると言います。

それは、A氏の親切は、本当に相手を想っての行為では
ないということです。

相手からの愛情や関心を得たいがために、親切を装って、
働きかけているからです。

もちろん、A氏自身はそれに気が付いていないでしょう。

相手のB氏も、A氏の本当の思惑など、考えているゆとり
はないでしょう。

でも、結局は、A氏のアプローチは、相手に”自分を見て”と
期待したうえでの行為ですから、それを相手が、重たく
感じるのも、無理がないわけです。

池見博士は、こうした、交流を”防衛的交流”と呼びます。

”自分の本当の欲求や動機が、はっきりと意識化されない
まま、表面的には、それとは異なるパターンの交流が
行われる”ということです。

この場合は、心の領域では、C(子供の心)主導型であり、
相手がそれに反応を示さないということは、相手は、
A(大人の心)で対応しているからでしょう。

この場合の、A氏の親切は、成熟した大人の心というより、
相手に関心をもってもらいたい、という、むしろエゴ的な
子供の心Cの欲求が、隠れているわけです。

こういうパターンは意外と私たちの人間関係にあるような
気がします。

”これだけ、親切にしたのに、何にも恩義を感じていないのは
失礼だ”と、思ったことがあれば、その親切は、相手に何かを
期待していた見返りがないことに お門違いの、”失礼だ”という
言葉がかぶさっているわけです。

この人間関係は、’飼い犬に手をかまれる’ という諺の裏に
ある心理だと、池見博士は言います。

自分のことを考えていてくれている、と相手に思わせて
本当の真意は、別のところにあった、裏切られた、と相手に
思わせる場合も、このケースをひっくり返せばあてはまります。

良い人だと思っていたのに、違う側面を相手から感じ取り、
相手の二面性に気が付かされるようなときです。

信用していたのに、本当な、信用はおけないと、思わせるとき、
まさに、防衛的交流が二人の間にあるのでしょう。

ここでは、自分の心に相手に対する期待や、見返りなど、
そんな要素がないかどうか? 

自分の言葉がきちんと、自分の心を相手に伝えられているか?

誤解を生むような遠まわしな表現になっていないか?

などという、客観的な内省が、役にたつようです。


参考)
”セルフ・コントロールの医学” 池見酉次郎s・57年9月1日 日本放送出版協会
”ストレス健康法” S.50 池見酉次郎 ㈱潮文社
”セルフコントロールー交流分析の実際” 池見酉次郎 杉田峰康 2007年創元社
”続心療内科” 池見酉次郎 1973年 中央公論社
”心療内科” 池見酉次郎 1963年 中央公論社

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