凸っちゃおっかなー

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恥知らずと畏れ知らず

2020-03-05 22:05:20 | 日記
実は節分に、神社に行ってお豆をいただいてきました。
地元出身の国際的超有名人が厄よけ祈願を行ったという、由緒正しい神社です。
ご祈祷してくれたのは女性で、祝詞の声も澄んだ感じでした。
いい祝詞でしたよ。それくらいは素人さんでもわかるでしょう。
今まで経験のなかった梓弓の鳴弦の儀もあって、貴重な体験でした。

私は神道ですから、当たり前のように拝殿に入ったらコートと帽子を脱ぎます。
神聖な場所、神様のおうちの中に入れていただくのですからね。
でも、他の方々のなかで、コートを脱いだ方はいなかった。一人もです。
帽子は…何人か脱いでたかも。でも、そんなに多くなかった。
結構お年のかたばかりでしたよ。私が、若い方から10人に入ってるくらい。

悲しくなりましたね。残念でもありました。
いくら年中行事とはいえ、よそ様の家にはいるのに、コートも帽子も脱がないなんてあり得ないと思うのは、私の感覚が古いのかなぁ。

日本の神様は、そんなに心は狭くないから、許してもらえると思うんですけど。
そんなことで怒ってたら、神様やってられませんよねw
でも、祝詞の中の「かしこみかしこみ」という言葉は、「畏れ」と書くでしょう?
畏れ多いことですが、っていうことですよね?
神様にたいしてないがしろにする態度をとっていて、願い事だけして「よろしく~」って、虫がよすぎると思うんですよね。


例えば、選挙事務所を開いたから、神様にお出ましいただいた。
とりあえず、勝ち負けに関係することだから、八幡様においでいただいた。
神職さんに祝詞を上げていただいて、その場は神妙に二礼二拍手一礼。
でも、「あとはよろしく〜」では済まされない。
ちゃんと選挙が終わるまで丁重にお祀りして、終わったら勝ち負け関係なく、感謝を持って丁重にお帰りいただく。
浮気なんかだめです。神様ショッピングなんかしちゃだめ。
仁義は通さなきゃ。それは、人間相手でも同じ。


でね、私自身は、畏れを忘れても、恥を忘れてはいけないと思ってるんですね。
人として、恥ずかしい行いをしてはいけない。誰より、自分に恥ずかしい行いです。
する人、いるでしょう?
議会中に他の人の質疑中に不規則発言して、受け入れられなかったら勝手に退出して、
自分の言い分が通らなかったからって議長に対して不信任動議をかける。
いや、某市議さんなんですけどね。
やってること、某〇〇〇〇党と同じじゃないですか?
その動議が否決されたあと、議会も、一つしか任されていない委員会もボイコットしたそうですよwww
2期目なのに一つしか委員会任されないで、3期目を狙っていると言う話。
某市議ファンの方、市議会のページよく読んでくださいよ?
同じ2期目の方、いくつ委員会任されてます?
1期目でも副委員長任されてる人もいるのに、この市議さんは2期目で総務委員会のみ。
それもボイコットしちゃったんですよ。
こんなに仕事してない市議さん、必要ですか?


間違いは間違いとして受け止めて、詫びるべきところは詫びなければならない。
思い違いをそのままにするのは自分の心の成長になんの役にもたたないし、むしろ劣化を招くだけだ。
私はそう思ってるんです。
だから、詫びるところは詫びる。卑屈だと思われようと、詫びる。
どこで間違ったのか自分で分析しつつ、これからどうリカバリーすればいいか考えつつ、詫びる。
より良い方法を模索する。相手にも相談する。こうするのがいいですか?と相談する。

畏れは忘れてもいいと思ってるんです。神様好きな私としては寂しいけれど。
でも、それ以上に、恥知らずにはなりたくない。
デマをデマだとわかっていても、あえて異論を認めずにそれをいい募り、喧伝する、そんな恥知らずにはなりたくないです。
自分が間違っていたことを認められず、言い訳をして、デマを流し続ける、そんな恥知らずは、軽蔑します。


ここを読んでいる当事者はわかると思う。
恥知らずな行為はやめましょう。
名誉毀損で持っていかれても仕方ないことをあなたはしています。
また、看板に偽りあり、と確実に言われることをあなたはしています。
私からの最後の忠告です。
これ以上、恥をかくことはさせたくありません。