凸っちゃおっかなー

聞かなきゃわかんないことって多いよねー。 コメント承認制です。

反省だけなら猿でもできる

2018-03-29 14:09:22 | 日記
例えば、誰かに、何かの損害を追わせたり、大怪我を負わせたりすると、もちろん反省しなきゃいけないです。
でも、それって人から強制されるべきものですかね?
自発的だから意味があるんじゃないですか?




反省の定義は、 Wikipediaによると、こうだそうです。

反省は、一般的には自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについ て何らかの評価を下すこと 、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心 がけること 。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること。


つまり、そこには「自主的」なものがなければならなくて、人から強制されるべきものではないわけですね。


楚練氏のブログにこんな一文がありました。

これは「未来への警告」ってやつだ。
どうか「明るい希望」なんか持たないでもらいたい(それは「お花畑」の始まりだ)。是非とも暗い、絶望的な気持ちでいて欲しい。ちょっと酷い目にあったり驚愕したりした方が、絶望とともに教訓が魂に刻み付けられ、そこまでされてようやく「真の反省の次元」に至ることができるのではないだろうか? 日本国民には今後は「反省」して、そういう「陰険さ」「過酷さ」をこの機会に学んで大切にして欲しいと思っている(経験談ですけれども、本気で「反省」すると人間が変わりますよw)。



反省って、人から強要されるものですかね?


他に対して、
「あなたがこういうことをした、それによってこういう結果になった。あなたはそれに対してどう思う?どうすればよかったと思う?」
と尋ね、反省を「促す」ことは可能だ。警察でも、裁判でもそんな場面があるだろう。
でも、「反省しなさい」というのは、自分の考えの押し付けだ。
さらに、人の考え方に対して「反省しろ」というのは、思想・信条に土足で踏み込むことにはならないだろうか。




自分の思想・信条を明らかにするのには、私は賛成する。しかし、自分と違う意見だからといって、それに対して「反省しろ」というのは、憲法において保証されている思想・信条の自由に反するものである。ある人が「反省しろ」といえば、言われた人は心のありようを変えなければいけない。何者も、人の心のなかに干渉すべきではない。

このような、特定の人間が多くの他人の思想信条の自由を奪う社会は、日本のあるべき姿ではないと、私は思う。

こんな本を買いました

2018-03-28 16:15:07 | 日記

「今も生きる武士道」という本です。
明治時代に生まれた武家末裔の女性が、孫娘に伝えた教えです。
日本人ってこういうものだよな、美しい精神だな、と思える本なので、紹介します。

おばあさんの教えは、こんな感じです。


人生をどう受け止めているか、姿勢を見ればわかります。
いつも良いお顔でおりなさい。そうすれば良いことがありますよ。
キョロ目ジロ目は恥ずかしい。言葉で自分を穢してはなりませぬ。
飾り立てるのは自分がない証。
目上の人位は敬意を、目下の人には思いやりを持ちなされ。
行いは真の姿を表すもの。
話は全身で聞きなさい。耳だけでは声を聞いたに過ぎませぬ。
嘘は弱さの現れです。
働くことはおのれの才能を世のために使うこと。
まず運命を受け入れる。どうにかするのはそれからです。
信じることは貫きなされ。やり遂げる勇気を持ちなされ。
心がけは一生ものですよ。



こんなことが、おばあさんの教えとして、エッセイとして読みやすく書かれています。
どれも、当たり前のことなんです。でも、言われると心に響く。自分を見直す。


日本人には当たり前の教え、気持ちの持ち方だと思う。でも、忘れてしまってないですか?

悪魔さんのお願いなので

2018-03-27 17:04:46 | 日記
お答えします。

あ、悪魔さん以外でも、ちゃんと尋ねてくださる方にはちゃんとお答えしますよ。


まず、余命へのコメントの件です。

数自体は多くなかったです。
秋津島、万里の皮、あとは匿名で書いたことが確認できました。
ほかにもあったかもしれませんが、それは確認が取れていません。
「あまりにもコメントが冗長になっている、600文字程度にしてはどうか」
と提案したことはありました。なんと名乗ったかは覚えてません。

コメント欄の書き込みは、2016年3月以降はやっていません。
荒らす必要がなくなったからです。
自分たちで、お互いに対して「おかしい」と粛清してくれるようになりましたし、それで離れていった人も多かったと思います。
お互いに疑心暗鬼になって潰し合う。こうなってくれれば、私達の出る幕はありません。



あとは、真太郎氏、yosh氏のことです。

真太郎氏もyosh氏も、チームの者ではありません。
真太郎氏は外患罪一択の忠実な余命信者ですし
yosh氏はパヨク撲滅のために働く、是々非々の人です。

真太郎氏が名前のせいで、yosh氏が記事にリンクしていたせいでチームの一員と言われるのは、お二人とも心外に思われると思います。

美しい日本

2018-03-26 14:01:00 | 日記
かつて、ニッポンと名付けられた鳥がいました。ニッポニア・ニッポン。朱鷺のことです。
高度成長の中で、農業にも経済原理が取り入れられ、次第に姿を消し、美しい羽を持ったニッポンという鳥は、やがて絶滅してしまいました。私にはこれが、失われそうになっている「美しい日本」と重なって見えるのです。



日本人の特徴は、
人々の間での「信頼感」
信頼に応えようとする「誠実さ」
自らに対する「厳しさ」
そこから生まれる「向上心」
だと思います。
だから、期待以上のものを作ろうとする。
期限もきっちり守ろうとする。


日本の工業製品は、世界で認められています。
この人、この会社なら信じて任せられるという信頼感。
依頼者の役に立とうとする誠実さ。
より良いものを作ろうとする向上心。
目標を高く持ち、そこに自分を追い込む、自分に対する厳しさ。
これが、どの日本人にもあった。
底にあるのは、互いに対する「信頼感」です。
信頼を裏切ることが「恥」につながる。



日本の社会は、お互いに対する「信頼」で回っていました。
個人の「信頼」が、社会全体の、あるいは国全体の「信頼」に繋がる。
小さな「信頼」を積み上げることで、社会全体の「安心、安全」が形成される。
それによって、個人の利益とともに、社会全体の利益につながる。



財布を落としても返ってくる。
町中で安心して買い物ができる。
適当に入った食堂でも、安心して食べ物を口にできる。
夜道でも安全に、安心して歩ける。
しんどいときは「お互い様」で助け合い、
自分がうまく行っているときは「おかげさま」と、腰を低くする。



これが、私の好きな日本です。


日本人は、疑うことが苦手です。「信頼する」ことが前提にあるから。
「信頼を裏切る」ことは、恥に繋がり、時にはそれを「死に値する」とする場合もある。
「信頼」を積み重ねることで、社会全体の「安心」も得ることができた。
日本人の基質は、「ガラパゴス」の生物たちに似ていると思う。
ある意味、こういったところに特アがつけ込んできたのだろう。


特アの人たちは、信頼に値せず、むしろ信頼で回っていた社会を一方的に壊すような行動を繰り返した。
昔の日本なら村八分にして自分たちの社会から切り捨ててもおかしくなかったけれど、今では特アの人たちが、日本人が大切に守っていた社会を明け渡せ、好きにさせろと要求するようになった。
対抗手段を持たなかった日本人は、そのまま自分たちの領域を蹂躙されてしまっている。

「美しい日本を守る」=特アの排斥ではないのです。
目的は、今までうまくいっていた、日本の大切にすべき社会を守ることであり、排斥はやむをえない場合の非常手段でしかない。



日本産まれのニッポニア・ニッポンという鳥は、絶滅してしまいました。でも、日本人の心を持つニッポン人は、まだ絶滅していないと信じたい。
私の言うニッポン人は、単に「日本国籍を持つ人」ではありません。日本国籍があっても、ニッポン人ではない人もいる。逆に、外国籍でもニッポン人の心を持ってる人はいます。
ニッポン人基質を「島国根性」と呼んだ人もいました。島国根性、上等じゃないですか。島国だからこそ育まれたこの美しい国を、私は守っていきたいのです。








FSMブログでのコテハンについて

2018-03-25 18:50:58 | 日記
悪魔さんからお尋ねがあったので、お答えします。


少なくとも、かーくん、金曜カレー、木蓮 はチームのものです。
あとは、 ツナ缶、余命爺(中国語でのコメント)、ないけむ、 という名前で書き込みをしたものがいると確認できました。

サンジェルマン、ソーダ割、Suica割は、チームのものではありません。そこも確認がとれました。

悪魔さんのおっしゃるとおり、FSMブログにコメントを書き込みはしましたが、目的がお互いに余命たたきだったため、結果的に荒らしにはなりませんでした。 こちらの書き込みをもとに、FSM氏が記事を書いたこともあるかもしれません。


以上、答えになったでしょうか。