人間、死んだらみんな仏様と言います。だから、死者に鞭打つようなことはやめろと。
それは、悪く言うな、というのと同義ではあると思いますが、調べるな、というわけではないんですよね。
死の真相を追及するなんてドラマがありますが、真相なんてそんなに単純なものではなくて、
いろんな複雑な要因が絡まっていて、ひとつのことが原因ではない。
引き金を引いた切っ掛けはあるにしても、それが直接の原因かは、本人しかわからないわけです。
三宅さんのこともそうですよね。
ただひとつ言えるのは、彼女が余命に興味を持たなければ、自死を選ぶことはなかったであろうことです。
余命を追う中で、彼女の縁が絡まってしまった。
単純な話ではありません。反三宅の人たちも、親衛隊の人たちも、友人知人も、弁護士さんたちも、
ご家族も、みんなの縁が絡まった結果、彼女の何かが壊れてしまったのだと思うんですよ。
ネットストーカーなんて単純なことで自死を選んだのではない、それくらいは私でもわかります。
手立てはいくらでもあるんですから。
で、死者に鞭打つのは日本では嫌われますが、分析することはできるわけです。
例えば、「絶交です」が脅し文句だと思っていた=それが通じない人がいるとは思わなかった、とか、
「私が一番余命事件のことを知っている、なぜなら弁護士さんと毎日話してるから」=自分が一番情報を握っていないと許せない、
そのためなら人を攻撃しても構わない神経の持ち主である、ということとかね。
知っていることを教えてください、最初はなんだったんですか、全貌を知りたい、と人に尋ねることもできたのに、それもしなかった。
プライドが高かったことがわかります。記事を書くためなら、そこが一番大事でしょうにね。
裁判の傍聴席に、せんたくさんがいました。彼は、元は余命の中の人でした。余命の姿を知るなら、うってつけの人物です。
でも、彼には目もくれずに、一目散に弁護士さんのところへ行ってたそうです。
彼女の中には、余命ではなく、弁護士さんの方が多くの割合を占めていたことがわかるエピソードです。
彼女に支援者がいたということは、彼女に魅力があったということですし、
離反者がいたということは、彼女がそれだけの仕打ちをしたということでしょう。
私には、支援者に対するただの甘えにしか見えませんけどね。
支援者が気にくわないことをしたら、元支援者と同じ目に遭わせていたのでしょう。
私は彼女とはメールでやり取りをし、一度公衆電話でお話しただけの縁です。これは記事にもあげましたね。
それとあわせて、せんたくさんからの情報や、ネット上の情報だけで、これだけのことがわかる。
彼女とのメールでのやり取りで、「私が悪かった、間違っていた」ということを認められない人だということはわかりました。
間違ったことは、人のせいにする人でした。
余命被害者さんの意思を翻させることもできない人であることも、彼女の書いていた記事の流れでわかりました。
間違うのが人でしょう?
それを認められなくて、人のせいにする。
あの人のせいでこうなった。
相手が怯まなければ、権力をちらつかせる。
彼女の自死は、そういったことの結果だと思うんですよね。
突然の理不尽な病気や事故以外は、死に方は生き方の表れ。私の信条です。
祖母は、病院に一泊二日で逝きました。兄弟で、「ばあちゃんは上手に死んだね」と話しました。
先日なくなった師匠も、安らかにお眠りになった。私は、師匠から人の悪口は一言も聞いたことがありませんでした。
とすれば、三宅さんの逝き方は、そのまま彼女の生き方だったとおもうんです。
それを、彼女自身が選んだんです。
私たちは、分析することしかできません。今後も、彼女のことを分析する人が出てくるかもしれません。
田中角栄みたいに、時間がたってから分析されることもあるかもしれない。
彼女のブログは閉鎖されるそうです。とすれば、彼女が生きていた証しは何でしょうね。
何か、残せたのかなぁ。
やり残したことはなかったのかなぁ。
追いたてられるように自死を選んだのかなぁ。
そんなことを、師匠の月命日に当たって、考えていました。
比べるな。調べてもいいが、比べるな。
ある方の言葉です。
三宅さんは、三宅さん自身の生き方を貫いた。
私は、彼女が彼女らしく逝ったものと考えます。
あらためて、手をあわせたいと思います。
それは、悪く言うな、というのと同義ではあると思いますが、調べるな、というわけではないんですよね。
死の真相を追及するなんてドラマがありますが、真相なんてそんなに単純なものではなくて、
いろんな複雑な要因が絡まっていて、ひとつのことが原因ではない。
引き金を引いた切っ掛けはあるにしても、それが直接の原因かは、本人しかわからないわけです。
三宅さんのこともそうですよね。
ただひとつ言えるのは、彼女が余命に興味を持たなければ、自死を選ぶことはなかったであろうことです。
余命を追う中で、彼女の縁が絡まってしまった。
単純な話ではありません。反三宅の人たちも、親衛隊の人たちも、友人知人も、弁護士さんたちも、
ご家族も、みんなの縁が絡まった結果、彼女の何かが壊れてしまったのだと思うんですよ。
ネットストーカーなんて単純なことで自死を選んだのではない、それくらいは私でもわかります。
手立てはいくらでもあるんですから。
で、死者に鞭打つのは日本では嫌われますが、分析することはできるわけです。
例えば、「絶交です」が脅し文句だと思っていた=それが通じない人がいるとは思わなかった、とか、
「私が一番余命事件のことを知っている、なぜなら弁護士さんと毎日話してるから」=自分が一番情報を握っていないと許せない、
そのためなら人を攻撃しても構わない神経の持ち主である、ということとかね。
知っていることを教えてください、最初はなんだったんですか、全貌を知りたい、と人に尋ねることもできたのに、それもしなかった。
プライドが高かったことがわかります。記事を書くためなら、そこが一番大事でしょうにね。
裁判の傍聴席に、せんたくさんがいました。彼は、元は余命の中の人でした。余命の姿を知るなら、うってつけの人物です。
でも、彼には目もくれずに、一目散に弁護士さんのところへ行ってたそうです。
彼女の中には、余命ではなく、弁護士さんの方が多くの割合を占めていたことがわかるエピソードです。
彼女に支援者がいたということは、彼女に魅力があったということですし、
離反者がいたということは、彼女がそれだけの仕打ちをしたということでしょう。
私には、支援者に対するただの甘えにしか見えませんけどね。
支援者が気にくわないことをしたら、元支援者と同じ目に遭わせていたのでしょう。
私は彼女とはメールでやり取りをし、一度公衆電話でお話しただけの縁です。これは記事にもあげましたね。
それとあわせて、せんたくさんからの情報や、ネット上の情報だけで、これだけのことがわかる。
彼女とのメールでのやり取りで、「私が悪かった、間違っていた」ということを認められない人だということはわかりました。
間違ったことは、人のせいにする人でした。
余命被害者さんの意思を翻させることもできない人であることも、彼女の書いていた記事の流れでわかりました。
間違うのが人でしょう?
それを認められなくて、人のせいにする。
あの人のせいでこうなった。
相手が怯まなければ、権力をちらつかせる。
彼女の自死は、そういったことの結果だと思うんですよね。
突然の理不尽な病気や事故以外は、死に方は生き方の表れ。私の信条です。
祖母は、病院に一泊二日で逝きました。兄弟で、「ばあちゃんは上手に死んだね」と話しました。
先日なくなった師匠も、安らかにお眠りになった。私は、師匠から人の悪口は一言も聞いたことがありませんでした。
とすれば、三宅さんの逝き方は、そのまま彼女の生き方だったとおもうんです。
それを、彼女自身が選んだんです。
私たちは、分析することしかできません。今後も、彼女のことを分析する人が出てくるかもしれません。
田中角栄みたいに、時間がたってから分析されることもあるかもしれない。
彼女のブログは閉鎖されるそうです。とすれば、彼女が生きていた証しは何でしょうね。
何か、残せたのかなぁ。
やり残したことはなかったのかなぁ。
追いたてられるように自死を選んだのかなぁ。
そんなことを、師匠の月命日に当たって、考えていました。
比べるな。調べてもいいが、比べるな。
ある方の言葉です。
三宅さんは、三宅さん自身の生き方を貫いた。
私は、彼女が彼女らしく逝ったものと考えます。
あらためて、手をあわせたいと思います。