89歳の日々

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インドに仏蹟を尋ねて・・ブッダ生涯の果てに

2012-03-10 23:17:35 | 海外旅行


ブッダが亡くなられたクシナガラにある 涅槃像


この6mほどの涅槃像は5世紀のクプタ朝時代のものと考えられ1876年の発掘の折りに   粉砕された像が発掘され、それを修復したものです。 1965年ビルマの大祭の時に仏教徒によって現在の様に金箔を貼られました。 理性的なお顔立ちの美しいブッダの像です。


80歳のブッダは若き日に自国の城を出て先ず訪れた、当時一番の文化都市マガダ国の ラージャグリハ(現ラジギール)におりました。 悟りを開いて以来45年間をこのガンジス河 流域をあちこち歩いて布教し弟子を増やしていました。                                             パトナーからヴァイシャリーを過ぎパーヴァーという町で鍛冶屋のチュンダからの供養の 食べ物で出血し激しい苦痛を感じましたが、じっと耐え弟子のアーナンダに先ず、クシナガラに行く事を 告げました。ブッダは苦痛を忍んで生まれ故郷ルンビニの方向に歩かれました。                         しかし「このクシナガラの小さな町、竹やぶの町でお亡くなりになりますな]とアーナンダが 嘆いた ひなびた寒村の二本の沙羅の間に身を横たえてブッダは亡くなられました。何と人間的な最後だったのでしょう。                          


これらは中村元先生が最も古い仏伝と思われるパーリ語のものを中心に研究されたものを基にしております。それによりますとブッダはBC463年に生まれ 亡くなられましたのがBC383年です。最後の言葉として「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成しなさい」「自分は出家して50余年正理と法の領域を歩んできた。これ以外 人の道なるものは存在しない」・・


私共のリーダー皆川先生は、車がルンビニに向かう時に「ブッダは生まれた故郷ルンビニを 目指しながら再び懐かしい故郷を見る事も出来ず途中の寂しい村クシナガラで 亡くなられたが、私達はブッダの果たせなかったルンビニへの道を通っていますよ」と ブッダを懐かしんでと言われました。


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