このサルナートでブッダは、初めて法を説いたと伝えられるところです。
写真が下手ですが、この6世紀に建てられた遠くに見える塔の周の
壁龕(くぼみ)の中の一つに若々して端正なブッダの「初転法輪」の像が
ありました。下記の像です。
ここでブッダが自分の説を初めて説かれたのは、以前からの旧友の修業者5人と
言われ、初めて仏教の教団(サンガ)が出来ました。
BC2世紀のアショカ王は此処に頭に四方を向いた4頭のライオンが付いた
10m余の高さもある柱頭を建てています。
(30個建てた内 10個余り残っているそうです)
これはインドの国家紋章にもなり、すべてのお札にも付いています。
初々しく美しいブッダの像とアショカ王の獅子頭柱などは
地元サルナートの美術館で見られました。
このずんぐりしたダメーク塔の周りに彫られた彫刻です。此処を7世記に
玄奨がここを訪れた時には1500人程の僧が修業していたそうです。
その後イスラムの侵攻により破壊されましたが、1905年の発掘により現在の
姿が現れました。
各国からの留学生も学んだナーランダ仏教大学遺跡
5世紀にナーランダ寺が建てられ、7世紀には玄奘なども留学していますが
、中国や東南アジアからの留学生も多く12世紀までインドの仏教の
中心地だった処です。
座っている処は学僧たちのベッドですが結構広く、部屋は6畳くらいの大きさ。
広大な大学構内にはこんな個室も沢山ありました。
此処で玄奘もサンスクリット語で皆とコミニュケーションを取ったでしょうか。
それともその頃はインド話も出来たのでしょうか?
写真が下手ですが、この6世紀に建てられた遠くに見える塔の周の
壁龕(くぼみ)の中の一つに若々して端正なブッダの「初転法輪」の像が
ありました。下記の像です。
ここでブッダが自分の説を初めて説かれたのは、以前からの旧友の修業者5人と
言われ、初めて仏教の教団(サンガ)が出来ました。
BC2世紀のアショカ王は此処に頭に四方を向いた4頭のライオンが付いた
10m余の高さもある柱頭を建てています。
(30個建てた内 10個余り残っているそうです)
これはインドの国家紋章にもなり、すべてのお札にも付いています。
初々しく美しいブッダの像とアショカ王の獅子頭柱などは
地元サルナートの美術館で見られました。
このずんぐりしたダメーク塔の周りに彫られた彫刻です。此処を7世記に
玄奨がここを訪れた時には1500人程の僧が修業していたそうです。
その後イスラムの侵攻により破壊されましたが、1905年の発掘により現在の
姿が現れました。
各国からの留学生も学んだナーランダ仏教大学遺跡
5世紀にナーランダ寺が建てられ、7世紀には玄奘なども留学していますが
、中国や東南アジアからの留学生も多く12世紀までインドの仏教の
中心地だった処です。
座っている処は学僧たちのベッドですが結構広く、部屋は6畳くらいの大きさ。
広大な大学構内にはこんな個室も沢山ありました。
此処で玄奘もサンスクリット語で皆とコミニュケーションを取ったでしょうか。
それともその頃はインド話も出来たのでしょうか?
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