つれつれたれたれ

日常のことなどのんびり書いていきます。

6月16日は、和菓子の日

2012-06-16 | グルメ ?

6月16日は和菓子の日だそうです

承和15年(西暦848年)、日本では疫病が流行していました
仁明天皇は神託を受け、6月16日に16の数にちなんだ菓子、餅などを神前に供えて、
疫病除け健康招福を祈誓。「嘉祥」と改元しました。

「嘉祥」とは文字通り「めでたいしるし」のこと。

鎌倉時代には、のちの後嵯峨天皇が東宮となられる前に、6月16日に通貨16枚で御供えの菓子などを求めて献じ
それを吉例とし、皇位継承の後もこのことが続けられました。

室町時代の『嘉祥の日』には、朝廷で主上に「かづう」(女房言葉・かつう、かずうともいう=「嘉祥の祝」の菓子のこと)を差し上げるのが
吉例であったことが『御湯殿上日記』に記載されています。

慶長の頃、豊臣秀吉が「嘉祥の祝」を恒例として行っていたことが『武徳編年集成・四十四』に記載されています。

江戸幕府においては、この日、大名、旗本など御目見得以上の諸士に大広間で菓子を賜り、これを「嘉祥頂戴」といい、
菓子は白木の片木の上に青杉の葉を敷いてその上に積んであり、一人一個ずつ取らせたといわれます。

民間においても、「嘉祥喰」といって十六文で菓子や餅十六個を求め食べるしきたりがあり、
本来は嘉定通宝で買うことが当然とされました。
この銭はさほど世間に多くなかったことから、米一升六合をもって菓子や餅を買い求めることも行われていました。

この夜に十六歳の袖止め(振り袖をやめて詰め袖にする)をする「嘉祥縫」という風習があったほか、
6月16日に採った梅の実でつくった梅干しを旅立ちの日に食べると災難をのがれるという言い伝えがあり、「嘉祥の梅」といいました。

このように、「嘉祥の祝」は、疫を逃れ、健康招福を願うめでたい行事として、
明治時代まで盛んに行われていました。

この『嘉祥の日』を現代に復活させたのが「和菓子の日」です。
                           (全国和菓子協会HPより抜粋)

 

ということで、『福饅頭』を購入。
熱いお茶によく合いました


6月15日の晩御飯

2012-06-15 | 料理

・南瓜と豆腐の煮物(南瓜・豆腐・インゲン豆・豚肉)
・ポテトサラダ(長芋・じゃが芋・胡瓜・コーン・枝豆)
・野菜のお吸い物(南瓜・大根・ほうれん草)
・ごはん

  

 

炭水化物取りすぎ?


6月13日の朝ごはん

2012-06-13 | 料理

・フルーツと野菜のサラダ(枇杷・小夏・トマト・サンチェ・瓜・胡瓜)
・焼鮭
・シジミの味噌汁
・ごはん

 

枇杷とサンチェは自家製


6月12日の晩ごはん

2012-06-12 | 料理

・トマトと豚肉の味噌炒め(トマト・キャベツ・玉葱・豚肉・生姜)
・南瓜と長芋の土佐煮(南瓜・長芋・椎茸)
・焼鮭
・ピーマンのおひたし
・自家製野菜のサラダ(サンチェ・ミニトマト・胡瓜・瓜)

   

ピーマンとサンチェ、ミニトマトの三点が自家製

瓜は塩もみにしてウマー です

瓜の塩もみは昔、池波正太郎先生の某小説を読んで作ってみたのが最初
種を取った瓜を薄く切って、塩もみするだけ

池波正太郎先生の小説を読んで作ってみた料理はちょくちょくあります
(田螺のぬた・・・は、一生作りそうもないですが。関西だと売っていることもないですしね)

 

一人暮らしをしてた時は、やはり池波先生の小説に出てきた「大根鍋」をよく作りました。
鶏の皮で出汁をとった中に、千六本に切った大根をアサリをいれ、煮えたところを器にとって山椒をかけて食べる・・・。
山椒ではなく、七味をかけてもおいしい一品でした。
(さすがにこれを親に出すのは一寸・・・)