つれつれたれたれ

日常のことなどのんびり書いていきます。

スコップ・シャベルと移植鏝

2009-10-30 | 日記・雑記

先週某番組で

スコップとシャベルは関西関東で違う。

という話題が取り上げられていました。

びっくりした

角型の物=シャベル
剣型の物=大きいスコップ
移植鏝=スコップ

だと思っていたよ。
小学校の先生もそう使っていました。

メーカーさん(トンボ工業㈱ & 浅香工業㈱ )を比べてみると面白い。

トンボ工㈱は兵庫県:明石のメーカー。
浅香工業㈱は大阪府:堺のメーカーですが。

浅香工業の表記には違和感があるわ~。
TOPメーカーだから、東京表記にしてあるのかしら。

それにしても…なんだよ、

全国穴堀り大会

って…。笑。

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何を欲しがったらいいの?

2009-10-30 | 混乱する日常

子供の頃の話を少々。

精神的に落ち込みやすい方は引っぱられて落ち込む可能性があります。
ご注意くださいね。

 

実は、私は自分が何を欲しがったらよいのか判っていません。

は?

と言われるかもですが。

『何を欲しがったら相手が喜んでそれをくれるのか』

が判らないのです。

と思われましたか。

子供の頃。私は子供向けの特撮番組が好きでした。
5人組みのヒーローが巨大ロボットに乗ったりして戦うアレです。
《たのしい幼稚園》や《小学○年生》のプレゼント欄を見ては、
このロボット欲しい~。
と思う日々。(はがきを出すという事を思いつかなかった)
電車もトーマスではなくぷらレール。
線路とのセットではなく単体の方に心惹かれました。

秋口になると、親は色々聞いてきます。
「この中だと、何が好きなの?」
「これ」
「女の子なんだから、こんなのおかしいでしょ。こっちがいいでしょ」
「ロボットがいい」
「お姉ちゃんは、こっちの人形か木のおうちがいいっていってるよ」
「これがいいの!」
「ロボットは男の子のでしょ。こっちの木のおうちじゃだめなの。女の子の中から選びなさい」
「どれもいらない!」

…クリスマスに貰ったのは木のおうちでした。
(姉は希望の人形を貰っていた)

両親は《公平に》と考える人でしたので、
公平に》色違い(姉は青で私は赤)の物を買ってくれたり。
でも、それはいつも《私の欲しいもの》ではありませんでした。
大抵《姉がほしがっていた物の色違い》か、《親が適当と考えた物》でした。


《欲しいなんていってない》
《サンタさんはイイコには欲しいおもちゃをくれるっていったのに!》
《お姉ちゃんは欲しいの貰ったのに!》
《サンタさん嘘ついた!!》
悲しくってクリスマスの朝から大泣きです。
でも、両親にも姉にも伝わりません。
『女の子は人形を喜ぶ』ものですから。
私は《プレゼントを貰っても喜ばない我侭な子》でした。
貰うのを当然と思って感謝しない子》と評価されていました。
小学校低学年の頃には、
《サンタさんが欲しいのをくれないのは私が悪い子だから》
《欲しい物を言ってももらえないなら、言わないほうがいい》と思っていました。

望んでいる物ではない物を貰って、喜んでありがとうと言う。
事は大きくなってもできていません。
『何かを貰ったりしたらありがとうと言う』ものだ。
と教わっていたので機械的にありがとうとお礼をいいますが、
気持ちが入っていないので相手も私も常に不満を抱えていました。
「世の中には食べる物も住む所もない可哀相なこがいるのに、お前は物を貰ってもありがとうとも言わない。何でそんなに我侭なんだ!」
と物を貰うたびに怒られていました。

お正月にはおじさんがお年玉のほかにお菓子をくれることがありました。
お菓子は好きだったので、子供には珍しい缶入りのキャンディーや皆で食べられる個包装のクッキーはとっても嬉しいプレゼントでした。
欲しい物を貰えてびっくりしすぎて上手くお礼が言えなかったり。
自分は悪い子なので貰えないと泣き出してしまったり。
おじとおばを随分困らせていたと思います。

見かねた姉が、欲しい物を貰うコツを教えてくれたことがありました。
「親があげたい物を考えて欲しい物を決めないと、買ってもらえないよ」

…私には、親が何を与えたがっているのか、さっぱりわかりませんでした。

《欲しい物を言ってももらえないなら、言わないほうがいい》と思い続けていました。
たまに洋服を買ってもあげるとお店に行っても、洋服は姉のお下がり。と思い込んでいたので何を選んでいいのか判らない。
何が必要なのか判らない。
自分のサイズもわからない。
母親が決めた洋服が入らなくて、試着室で何とか着ようとしている途中で母親にカーテンをあけられて泣き出してしまったり。
(あんまり遅いので着たと思ったと言われた)
標準サイズが入らないことで
「あんたが太いから。店員さんも呆れてたよ。恥かしい」といわれたり。

だったらどうして洋服を買うと連れ出すのか判らなくて。
(着ている服が洗いざらしだったからですが)
《自分はみっともない人間だ》ということだけは判りますから
何かを買いに行くことは、とても恐ろしいことでした。
《自分はみっともない》ということを晒しに行くようなものですから。

そのうちに、自分が何を欲しいのか判らなくなってしまいました。
私の欲しいと思う物は、大抵親の気に入らない物でした。
与えられた物に満足して喜ぶことに躍起になりました。
心から「喜べない人自分はおかしいのだと。


「親があげたい物を考えて欲しい物を決めないと、買ってもらえないよ」

という言葉は、いまだに強く心に引っかかってます。

誰かに「何が欲しいの?」といわれると非常に混乱します。
《この人は、私に何かあげたいと思っているのだろうか》
《何を欲しがると、この人は喜ぶのだろうか》
《この人は、何を欲しがっているのだろう》
考えるほどに判らなくなってしまいます。

いつの間にか、

その人が欲しいもの=他人にあげたいもの。

と思い込んでいたのです。

先日、とあるカウンセラーの方と話していて認識がずれていると指摘されました。

自分が欲しい物を他人にあげたいんじゃないよ。

その人が喜ぶものを、あげたいんだよ。


………。

はいぃ

貴方は自分自身の欲しいという欲求を認知する力が落ちているね。
簡単なことから「でいいから、自分の欲求を認めるようにしていきなさいね。

……はぁ。


自分の欲求を認知する力が落ちている。

って…。

うわー。

3○年間悩んでいたのに。
脱力するしかない事実を聞いて、新たな課題発見です。

私の欲しい物ってなんだろう??


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