つれつれたれたれ

日常のことなどのんびり書いていきます。

何故人を殺してはいけないのか

2009-09-16 | 混乱する日常

のっけから、刺激的なタイトルで申し訳ないです。

先日、私はとある病気(というか障害というか)の可能性が高いと診断されました。
母親に話したところ、
「治らないのだから、自分にできることをやるしかない」と言われましたが。
…。
…。
ちょっと凹んだ。
まあ、それはさておき。
色々ネットで当ってみると、完治はしないが、訓練によって適応できるようです。
訓練というと難しそうですが、社会認知に問題があるので、
ずれている所を社会と擦り合わせる。という作業が必要だそうです。
しかし、それは多岐に渡ります(何がずれているのか、自分でも解っていない為)。
年齢が低い段階での診断が求められるのも、
幼少からサポートした方が擦り合わせできるからなのでしょうね。

ここからが本題。

「何故人を殺してはいけないのか」

これは、日参させていただいているサイト主様があるときに受けた質問らしいです。主さまの答えは、「そんなことは常識です」でした。
…。
……。
え?それって答えなの?
というのが私の感想。
今回診断を受けたことで自分の障害(?)を軽く調べ始めて判ったこと。
どうやらこの障害を持つ人は、この質問へのこの答えが理解できないようです。
私的には、これは答えになっていないと思うのですが…。
障害を持っていない人には、これで十分通じるらしい。
もちろん、私もそれがいけないことは理解しています。
ただ、答えの出し方が…回りくどい。らしい。
社会認知に問題があるので、社会(健常者社会)における暗黙のルールが理解できず、〈常識だから〉という答えの出し方ができないようです。
因みに私の回答。

「共同体の構成員は、その共同体に危害を加えないという暗黙の了解によって相互に守られている。
だから共同体に危害を加えた者、加えると予想されるものは、共同体を守る為に排除される。
よって、犯罪や殺人のような共同体を脅かすような事をしてはならない。
しかし、共同体の構成員は、共同体から護られる一方で共同体を護る義務も負っている。
所属する共同体に危害を加える者を排除する為ならば、殺人のような重大な犯罪も赦されたり、奨励されたりすることもある。
その場合でも、共同体に利益を齎すと期待される者を害するようなことは赦されない。
よって、人を殺してはいけない」

書き出すと、確かに回りくどいな。
要約すると「社会には、所属する人には危害を加えない。という大きなルールにしたがって動いているから、人を殺してはいけないんだよ」ということでしょうか。
そんなルールがないと危なくて表も歩けませんもんね。
「但し、所属する社会を護る為の殺人は容認されている面がある。その執行権限は、国家などの社会に一定以上の権力を持つ機関が持っていることが多くて、
社会に害を与えた犯罪者や、戦争をしている相手を殺しても罪に問われなかったり、積極的に求められたりすることもあるけど」
という補足がつきますが。
やっぱり回りくどいなあ。
過程は違っても、答えは一緒なんだけど。
ルールを理解するのは、難しい。
かなり頻繁にそれで失敗します。
ルールを知って擦り合わせるのは大切だなと思う今日この頃です。

 

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