魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【【安倍晋三の出自を暴く~満州人脈起源の『日韓癒着』の日本保守陣営②】第二十三談】

2015-11-25 23:53:31 | 安倍晋三の出自を暴く
 此のシリーズの中で述べて来た様に、岸信介と佐藤栄作の佐藤家は、長州藩の家老だった家柄だったとされているが、長州藩と其のどの小藩の歴代家老にも佐藤と氏は出てこ無い。其れぱかりか、歴代佐藤家は代々六人扶持だったとの記録は在った。六人扶持とは六人が漸く食える藩からの扶持米の事を言う。此の事は佐藤栄作も認めていた。更に,養子の遣り取りで佐藤家と密接な関係の在る岸家も代官だったとされているが我が調べた限り其の記録は無い。Wikipediaに書かれていること等は八割方値引いて読むべきである。

 戦後、ダットサンと言う民法の基本書で有名な我妻栄は「一高時代岸信介と寺に篭もり二人机を並べて勉学を競った」との談話を残しているので、既に此の頃には岸家はある程度の家柄を構えていたものだったろう。然し、此れも此の頃には何故か地位を得ていた佐藤家との繋がりから岸家も新興名家として成り上がっていたのであろう。岸信介は佐藤家の分家に生まれ岸家に養子に出されていたことは周知のことである。

 明治維新後、佐藤栄作と岸信介の曽祖父に当たる佐藤信寛は明治維新に多少関わり、其のことで島根県令等維新政府の地方行政官として地位を得られた詳しい経緯は不明である。信寛は長男の信彦との仲は必ずしも円満ではなく、鼓家を継いだ次男の包武を最も可愛がって、すべての資産や記念品類をこの次男に与えた。ところが鼓家の人々は田布施・佐藤家に然程興味も無かったので、その記念品類は次々に売り払われて仕舞ったという。☚背乗りの為の証拠隠しか?
 
佐藤家と岸家は分かり難い家系である。安倍家のことについては既に詳しく此のシリーズで書いているので此処で再度書くことはし無い。

 先程書いた通り岸信介は一高で我妻栄と主席を争う秀才であったので、東京帝国大学卒業後、農商務省、商工省にて要職を歴任。建国されたばかりの満州国では国務院高官として満州産業開発五カ年計画を手がけ、「弐キ参スケ」の一角を東京帝国大学卒業後、農商務省、商工省にて要職を歴任。建国されたばかりの満州国では国務院高官として満州産業開発五カ年計画を手がけ、「弐キ参スケ」の一角を占める。占めると言うトントン拍子の出世であった。此の男も弟の佐藤栄作も上昇志向の権化の様な奴等で、出世の為と栄誉欲の為には権謀術数は厭わ無かったが、其れは裏返せば、劣等感に苛まれる苦悶を打ち消すことの代償行為のものであったのか?

 次は、満州時代の岸信介の行状が如何なるものだったか書いてみる。岸の行状の後を知らずに安倍晋三を知ることは無い。
続く。
 

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