魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の五)】

2018-12-10 16:21:36 | 安倍晋三の出自を暴く

 前回の👇

【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の四)】

2018-12-07 19:01:46 | 安倍晋三の出自を暴く

【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の三)】 2018-12-06 20:34:32 | カルト宗教の闇   【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の二)】 2018-12-05 20:28:00 | 安倍晋三の出自を暴く 【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の . . . 本文を読む

 では、ガッツ石松の顔を下駄で糞づ部したような顔した自民の派閥の領袖額賀福志郎も「政界の " プリンス " とマス塵から言われることから、矢張り奴も朝鮮王族の何某かの血を引くものか?」 という様な与太を書き入れたが、「強ち根拠の無い出鱈目とは言え無いことである」 と我は思っている。

 

【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の一)】

2018-12-05 03:05:46 | 安倍晋三の出自を暴く

[検証すべき事項] ① 安倍晋三の父晋太郎は朝鮮人の背乗りか?② 岸信介は日本民族か?③ 安倍洋子は岸信介と其の妾の上野の朝鮮酌婦との子か? ①を証明  李方子が母だとの説がある。方子は👇の伏見宮博義王と血縁である。博義王は蓮舫と顔が瓜二つである。蓮舫の祖母は博義王に近付いていた。  戦前は、養子、養女を政略の道具にすること等頻繁であった。  👆晩年の方子と安倍晋太郎は、似てると . . . 本文を読む

次に、
 [検証すべき事項] ② 岸信介は日本民族か?
について検証して行く。👇はネットや書籍等で読まれて知識を得た人が多いことのネット記事を其の儘寸借した文章である。

 「長州藩士の佐藤信寛は明治維新後に島根県令に任じられ長州閥の伊藤博文らと誼を通じ、弟の太郎を井上馨の養子に出したといわれ(陸軍少佐井上太郎)、日産コンツェルン創業者の鮎川義介も佐藤家の親戚である。信寛の嫡子で山口県議会議員を務めた佐藤信彦は、娘の茂世の婿養子に同郷田布施の岸要蔵の三男で山口県庁官吏をしていた秀助を迎え分家を立てさせた。田布施に戻り酒造業を営んだ佐藤秀助は、茂世夫人との間に5子を生し、長男の市郎に佐藤家を継がせ、次男の信介は実兄岸信政の一人娘良子の婿養子に出し、三男の栄作は生家に留めた。佐藤秀助の妹さわは山口中学教諭の吉田祥朔に嫁ぎ、長男の吉田寛は吉田茂(家系は別)の長女桜子と結婚している。さて、岸信介・良子夫妻は一男一女を生し、長男の岸信和は地元の宇部興産の勤め人となったが(西部石油会長へ転出)、長女の洋子が嫁いだ安倍晋太郎が政界へ進み岸信介の後継者となった。なお、岸信和に子が無かったため、安倍晋太郎の兄信夫が入嗣し岸家を継いでいる。安倍晋太郎は、東大法学部を出て毎日新聞記者となったが、石橋湛山内閣で外相の任にあった岸信介の秘書となり洋子と結婚、岸の首相在職中に亡父安倍寛の地盤を継ぎ(旧山口1区)衆議院議員に初当選した。安倍晋太郎は、1963年の選挙で落選し岸信介を慌てさせたが、次回選挙から没するまで議席を守り(当選11回)自民党幹事長・通産相・外務相などを歴任した。岸信介直系の「政界のプリンス」安倍晋太郎は、脇が甘いので「プリンスメロン」と揶揄されつつ、共に「ニューリーダー」と称された竹下登・宮澤喜一を凌ぎ次期総理総裁は確実といわれたが目前で病没した。地盤を継いだ次男の安倍晋三は、首相となって亡父の無念を晴らし、祖父岸信介が果たせなかった憲法改正・再軍備に挑んだ。さて、岸信介・佐藤栄作兄弟の叔父(茂世の兄)佐藤松介の妻藤枝は松岡洋右の妹であり、娘の寛子は従兄弟の佐藤栄作に嫁いで二男を産み、次男の佐藤信二が栄作の地盤を継いで衆議院議員となった。

 佐藤家については後に書くが、此処で重要なのは👆の岸要蔵である。次の安倍晋三の系譜を表す家系図👇には秀助の一代上からの名は書かれて無いが、👆の記述から秀助の二代上詰まり秀助の祖父岸要蔵である。詰まり、この系譜👇では要蔵には系譜が無いのである。

 

系図でみる近現代 第7回 安倍晋三・昭恵・晋太郎、岸 …

岸信介 元首相の息子・岸信和には、子供がなく、 信夫が、生後すぐ、安倍家から岸家に養子に入りました。 (当人はその事実を、大学に入る時、戸籍謄本を見て初めて知った。) その岸信夫が、昨年(2002年)、勤めていた住友商事 ...

 について、我が以前書いてもの👇がある。

【安倍晋三の出自を暴く : 第六十二談 :一族諸共日本民族の血が一滴も無い朝鮮族👉保守の仮面を捨てて剥き出しに「日本を打ち壊す」と居直った李晋三 ➀】

2018-11-03 15:46:02 | 安倍晋三の出自を暴く
👇は「【これは驚き】安倍晋三はやはり李晋三? 朝鮮王朝最 …be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-f6fb-10.html【これは驚き】安倍晋三はやはり李晋三? 朝鮮王朝最後の李垠・李方子両殿下の血筋を直接受け継いでいる!? -前日(18日)の朝大阪北部を襲った大地震覚めやらぬドサクサに、安倍晋三&昭恵とともに悪名高き加計孝太 . . . 本文を読む

 岸信介の祖父?岸(李)要蔵は、遼陽から逃れて日本に入り込んだと言われている。

 「遼陽は嘗て後金(後の清)が1622年、遼陽に遷都したが、遼陽は周囲の城壁が長いため守りにくく、また城内の漢人たちが反乱を起こす恐れがあるため郊外に新しい城壁都市「東京城」を築いた。3年後奉天に遷都する際に東京城の木材や石材が奉天に運び出され東京城は廃墟になっている。遼陽はその後、遼陽州と改称し、奉天を本拠とする盛京将軍(後の奉天省)の管轄下に置いた。

 此れからの話は、熊毛郡田布施町にある浄土真宗本願寺派の西円寺に関る話である。

熊毛郡田布施町凡そ20人地家姓の人が居るという。  橋本龍太郎氏の祖母大室ヨネさんという人が、山口県田布施町麻郷に実在したのか(以前、米さんは橋本龍太郎に関するWikipediaに龍太郎の戸籍簿に其の祖母として載っていたと記述されて居たが、今は削除されて仕舞って、政治屋の系譜を調べられ無いことを目的として造られた「個人情報保護法」が邪魔して今は確認することが出来無い)?
 苗字は岸(ガン)の廻船業者の荒くれ男の岸(李)半左衛門要蔵(遼陽から戎ヶ下に来た在日一世)とされる。岸要蔵の息子岸作蔵が地家吉左衛門家(1840年3月12日没)の養子となり(1835年4月)「地家」姓を賜る。 (後に地家庄兵衛の養子に成る)地家河内作蔵と名乗り廻船業して財を築き周防国(田布施町)麻郷村小字地家に住み着いた。 (1845年頃)作蔵が西円寺の東隣の麻郷「地家」に家を建てる。だから戸籍を作る時、「地家」の地名を苗字にした。 (「地家」とは抑々村の中心地と言う意味) 1852年12月8日(戸籍では寅助の誕生日になっている)戸籍名庄吉(通名は省吉)出産。 1854年2月29日に戸籍名三男朝平(通名は浅平、浅蔵とも)出産。岸作蔵の倅が岸秀助で、此れが佐藤家の佐藤信彦の娘茂世と結婚し信彦の婿養子佐藤秀助と名乗った。茂世と秀助の子が後に岸家の従弟良子と結婚し岸家の婿養子と成る岸信介である。
 以上のことは、岸家や佐藤家の菩提寺が残って居れば、過去帳に乗っている筈であるが、旧戸籍簿を調べれは真偽は分かる。然し、此処でも邪魔するのは「個人情報保護法」であるのだが、少なくとも政治屋の系譜については史実と政治屋の出自等を知る「公簿」と看做し、閲覧されるべきである。

 今回は此処迄。 次回は佐藤家の朝鮮族との関係を記述する。

✱ 文章の誤りについては語句の誤り、内容の誤り共読者が適宣解釈して読まれたい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿