魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の三)】

2018-12-06 20:34:32 | 安倍晋三の出自を暴く
 

【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の二)】

2018-12-05 20:28:00 | 安倍晋三の出自を暴く

【「安倍晋三には日本民族の血は一滴も流れて無い」👈の検証 (其の一)】 2018-12-05 03:05:46 | 安倍晋三の出自を暴く [検証すべき事項] ① 安倍晋三の父晋太郎は朝鮮人の背乗りか?② 岸信介は日本民族か?③ 安倍洋子は岸信介と其の妾の上野の朝鮮酌婦との子か? ①を証明  李方子が母だとの説がある。方子は👇の伏見宮博義王と血縁である。博義王は蓮舫と顔が瓜二 . . . 本文を読む

 方子は鍋島藩に関係してた。此れは偶然では無い。安倍晋太郎の母静子は、晋太郎の産後80日で恐らく40歳近くも年上の鍋島藩の洪公然の10代目63歳の西村謙三の処に走ったという。当時60台と言えば、可成りの爺さんである。更にその爺さんが71歳の時西村正雄を生んだ?此の爺さん上原謙か?絶対無いとは言えんが、普通は考えられ無い。如何も操作したとしか考えられぬ。西村真琴は満州の遼陽で小学校校長を務めて居た。西村真琴も洪公然の9代目の子孫で鍋島藩との縁で方子が李晋が亡く成った後に生んだ隠し子を真琴が引き取り、人肌脱いだ可能性が考えられる。西村真琴は中国大陸の孤児を十数人日本に連れて来て面倒見ていたが、終戦間際に男の子一人を残し其れ等の子供達を大陸に戻してる。残った、一人の男の子は後に東大を卒業している。晋太郎の種違いの弟西村正雄は1932年誕生したが、実は1931年末に誕生した方子の第二子玖ではないか?暗殺を恐れて玖として育てたのは玖の代わり養子?では無かったか?

 此の話は次回に続く。


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