政治を志すには、先ず人間として倫理観や道徳観を養い、更に「人間は如何生きるのが幸せな人生を全う出來るものか」を学び、其れを己の人生訓としても身に付けてならねばならない。 其れ等は悠久の歴史や先人の残した著作物を読むことや、或いは宗教や哲学体系等からも学び取れる。 此の書に仏教や儒教に関する著述が多いのも為政者としての王安石の為人を知る上で重いものであるからである。
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政治を志すには、先ず人間として倫理観や道徳観を養い、更に「人間は如何生きるのが幸せな人生を全う出來るものか」を学び、其れを己の人生訓としても身に付けてならねばならない。
其れ等は悠久の歴史や先人の残した著作物を読むことや、或いは宗教や哲学体系等からも学び取れる。 此の書に仏教や儒教に関する著述が多いのも為政者としての王安石の為人を知る上で重いものであるからである。
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※ 以下、校正はして居無いので、誤字脱字、事実関係に誤りを見付けたらご一報下さい。
第10章 後の身は誰に遠慮すること無く、永遠に忠義を装う奸臣が論じられることに同情する
三、 何時の間にか変わる
王安石には墓誌銘が無いので歴史の上で彼が忘れられた人物になることは無く、彼 は此処千年来ずっと論争の的となり、歴史の変動に従って、其の時々に翻弄されて軽く扱われる . . . 本文を読む
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第10章 後の身は誰に遠慮すること無く、永遠に忠義を装う奸臣が論じられることに同情する
一、寂寞と西帰する
晩年の王安石は存分に山水に浸って、詩に依って禅のことを説明したりしていたのだが、然し、彼の心の中の苦痛と苦しみは覆い隠し難かった。最も彼が苦痛を感じたのは、身内が一人また一人と世を去っ . . . 本文を読む
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魂魄の宰相 : 第九巻
【魂魄の宰相 第九巻 「一、仏道に身を投じる 」~「二、模作の冷たい山 」】
【魂魄の宰相 第九巻 「三、禅の詩は仏教の曲」~「四、諸経の注釈を為す」】
【魂魄の宰相 第九巻 「五、高僧との付き合い」の➀】
【魂魄の宰相 第九巻 . . . 本文を読む
七、仏教学の思想 王安石は藏経を熟読していて、仏教の典籍の理論について非常に熟知していた上に、多くの分野で独自の非常に優れた見識があったのだが、残念乍彼の仏教についての著作は多く無いので、其の全貌を垣間見ることが出来難く、彼の残した少しばかりの詩文の中から手懸りを見出すしか無いのだ。 王安石は禅宗を重視して、般若の空についての定見に尤もだという感想を受けていて、機会ある毎に此の面での見解を伝道して . . . 本文を読む
六、恩讐は全部喪失する 王安石は政治に僻々して其の渦中から抜け出して閑静な隠居所に退いてからは、国事についての気苦労をする必要は無くなったので、日常的な平穏な心を僅かなりとも持ち得るようになり、更に、一切の事物を改めて見直すことも出来、人の感情を害する必要も無くなり、過ぎた日の良し悪しの恩讐は最早過去のものと考えられるようにもなり、昔の恩讐は既に去り行く雲と化し、政治の上で関わった何人かの人とも彼 . . . 本文を読む
王安石には《与宝覚宿龍華院三絶句》がある: 或る古くからの詩で云う:京口は瓜州と一水の間にあって、鐘山の二つ三つだけ重なった山を隔てた所にあった。春風が緑江南岸から、中秋の名月は何時また我を照らすのか。 老いて世間の汚れを追って捕まえることに疲れていた時、密に幾人かと交際することになったのだ。 私の年若い時の詩を思い起こして眺めると、鐘山は二つ三つだけ重なった山を隔ててあったことが思い起こされる . . . 本文を読む
五、高僧との付き合い 王安石は一生涯に多くの高僧と知り合いになったが、若い頃瑞新と大覚懐璉を代表として、都に逗留していた時などは智縁等とも親交を結び、晩年には蒋山賛元、宝覚、浄因、真浄克文等とも親交があったのだ。 蒋山賛元、字は万宗、鷔州の義烏人、俗姓は双林寺の傅高僧の後裔だったので傅と言う。三歳で出家して、七歳で既に大僧となった。もって生まれた性分はのんびり屋であり、穏やかで寡黙であって、外見は . . . 本文を読む
三、禅の詩は仏教の曲 王安石は江寧に十年居る間も、詩で志を述べ、詩に禅を導入し、詩で禅を説いて、禅に関係ある詩を大量に作った。此れ等の詩詞はとても芸術としての評価も高く、仏教特に禅宗への彼の見方をも顕していたのだ。動かず 善行をしないければ、悪いことが起きるとは限ら無い。様々な生・住・滅があると、考えを纏める。 法に縛られず、僧衣を身に着けず。 仏法で洗い清めて究極的な悟りの境地に達するのは、過去 . . . 本文を読む
第九章 十年間山水に隠遁し、禅に心血を注ぎ乍何篇かの詩を貯める一、 仏道に身を投じる 王安石は江寧に帰ると、城外に「半分山園」を築き、世事を離れた人として悠々自適の普通の生活を始めた。始めの年には、彼は未だに「江寧府判事」の役職を一つ持っていたのだが、彼は政治と遠ざかろうと思っていたので次の年に辞去して、身軽になって長く閑さを享受する生活に入ったのだ。凡ての官職から降りて王安石には負担を感じるもの . . . 本文を読む