空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

地方国立大学(特に人文系)教員は「デカンショ」で半年暮らしているモノか否か

2014-10-25 19:51:59 | Weblog
 いまどき無理、というかそもそも構成からしてそーなってないやい、という結論。

 というのは、なんだか『嗚呼愚劣蒙昧なる安倍首相は国公立大学の人文学系を壊滅せんとしているのだ!』と悲憤慷慨、ひとびとが人文学のための聖戦に身をささげようと悲壮な覚悟を決めてもいないようなので安心材料を並べてみようとか。

 まあまずは火元:
文科省 実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議
 ここの
文科省 実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議(第1回) 配付資料、「資料4 冨山和彦委員提出資料 (PDF:904KB)」

 最も人の反感を買うのは8ページ目であろうが、工学部で機械力学・流体力学ではなく、TOYOTAで使われている最新機械の使用法を教えよとか、文学部ではシェイクスピアや文学概論ではなく観光業で役立つ英語・名所案内の説明能力を教授させよとか面白いことが書いてある。誰がその最新機械を作るんだ。また9頁に「「文系のアカデミックライン(Lの大学には、従来の文系学部はほとんど不要)の教授には、辞めてもらうか、職業訓練教員としての訓練、再教育を受けてもらう」「理系のアカデミックラインでGの世界で通用する見込みのなくなった教授も同様」」とあって、言いたいことの欠片はわかるが、この人の言葉をそのまま適用しようとすると、そこらの大学は軒並み30-40年前の高専以下の存在になるのでやめたほうがよい、たぶん。

 ところで、(地方)国立大あたりは、そんなにも人文学系がはびこって、シェイクスピアとかバイロンとかだけ読んでて実務を省みないのだろうか。そこで数例みようではないか。

 まずは本州北端弘前大である。
 学部構成は 人文学部 教育学部 医学部医学科 医学部保健学科 理工学部 農学生命科学部
 であり、まあ人文学部があるな。しかしこれが、純粋な「無駄飯ぐらい」の代表格、文学部系統の筆頭が「文化財論コース」であり(課程・コース・教員紹介)、

 …三内丸山遺跡を初めとする文化財でできるだけ食おうとする青森県の本気を見せ付けられるのである。

 …あとのチェックは要るだろうか? 要は、法学コースに見るように、最上級層は国家公務員にもなるが、地方公務員や銀行の中のひとになり、法務を担ったり、まあ基本的に地元社会の基幹たるべきひとびとの養成機関なのである。どうみても。教員養成課程は、そりゃあ小中学校教員を一定程度常に供給せねばならぬし、医学部・保健学科がいらないというなら病気にならないように。


 ではたんぼのひろい秋田県の秋田大学である。
 学部構成(このページ)をみると、筆頭が「国際資源学部」であって、

 …かつて鉱山学部を持っていた秋田大学の気概をマッシヴに我々の眼にたたきつけてくれる。
 ……復活、心からうれしいんだろうなあ、関係者。

 で、次は「教育文化学部」。「教育文化学部は、教員養成を担う「学校教育課程」と地域協働の核となる「地域文化学科」の1課程1学科で構成しています。「学校教育課程」は、教育現場との密接な連携を図りつつ、現場実践力のある教員を養成、全国最高水準の秋田県教育の継承と活性化を目指します。「地域文化学科」は多様なあるいは海外からの視点から地域課題について学び、地域で実践的に働ける人材を養成します

 …英文学者はあまり気軽に生きていられない感である。とにかく秋田に貢献すること、秋田の現場と密接に連携すること、秋田で実践的に働けること…が存在意義であると詠っている。

 他の学部は「医学部」「理工学部」。この辺はいいですよね。


 さて麗しき岩手富士の岩手大学である。例によって学部・大学院 付属施設の構成を見ると「人文社会科学部」「教育学部」「工学部」「農学部」とあって、医学部を持たない。農学部に獣医師養成課程を持つのは、その代わりというわけではあるまい。

 さて、ひとの命に関わる医学部を除外してまで生きている、けしからぬ人文系のうち、まあ地方公務員の重要供給元であろう法学系をまあ勘弁してあげて、最も槍玉に挙げやすい人間科学課程を見ようではないか!

 …見たが、その、卒論のテーマ例を見れば、先生たちが日々の業務で何をせざるを得ないかを見ることができよう、以下の如くである:「
「盛岡市における生活関連施設に基づいた生活環境の分析」
「方言周囲論と方言区画論-日本の方言学-」
「自己組織化マップとバックプロバゲーション法による顔画像認識について」
「 e-learning システムの構築と提案」

 …うん。方言論あたりは、『衒学的でけしからん!』と怒られそうだが、しかしこれ、新聞のコラムにしたり、本にして売り出したり、そーいうほっこりネタとして極めて根強い支持があるので…むしろ、よくニーズに合わせているねえと賞賛するべきであろう。


 ではひとの横顔のような山形県の山形大学では:
「人文学部」「地域教育文化学部」「理学部」「医学部」「工学部」「農学部」。なにやら他の大学のように各学部ごとのページはない、もしくはわかりにくくなっており―止むを得ずミッション再定義のページを見たりする。恐ろしいことに人文学部ではナスカの地上絵研究をしているとか。してみると、ああした観光資源としても有用なものに人員を投下しているわけである。

 ちょっと山大はわかりにくいが、では東北大を抜かして(なぜなら東北大はグローバル大学として世界の大学さんとやりあう係なのだから。また、宮城教育大学は、名前からしてミッションがわかり易すぎるので抜かす)―


 福島大学である。
「学部」に相当するのは「学類」。どんなのがあるかというと「
人間発達文化学類
行政政策学類
経済経営学類
共生システム理工学類
夜間主(現代教養)コース

 である。

 このうち、最もシェイクスピア読みが隠れていそうな人間発達文化学類であるが、「これまでの教育学部が、新しく「人間発達文化学類」としてスタートしました」とある。教育学部である。

 行政政策学類については、「行政政策学類の前身である行政社会学部は、そうした課題に既存の学問分野の枠を越えて取り組むため、1987年、全国で唯一の名称を持つユニークな学部として誕生しました。行政政策学類では、これまでの研究・教育実績を継承しつつ、広く学際的な観点から学ぶことを通じて、「地方の時代」「分権化の時代」のニーズにに応えることができる人材の育成をめざします」という。つまり福島県庁、ないし福島県内の市町村へ人材を供給するのが最大目的ということになろう。

 経済経営学類については、「すわマルキストの巣窟か」と思うまでもなく「経済経営学類の前身である、全国7番目の高等商業学校が福島の地に作られて、2012年で90周年を迎えました。この、地域の専門的な実務家(ビジネスエリート)を養成する教育機関をルーツに持っているので、経済経営学類では、地域に根差すことの大切さと、経済や経営を学ぶために必要な国際的な感覚を、ともに学び磨けるというのがよいところです

 ど実学である

 要は、火元になってるよーなひとは、同じ国立大と名前が付いているんだからみんなおなじよーなもんだろーつまりボクが在学していた東大の縮小コピーだろー日本全国津々浦々でシェイクスピア読んでて何になるんだよー、だとかと現物の大学の学部構成等々をチェックせずものを言っているものと思われる
 ところが現実には、すでに各大学は各地域での特質に応じた現実の姿を取っているのであった(例えば島根大の法文学部には「歴史と考古コース」がある―これが「福祉社会コース」と並列されている姿は、島根県のセールスポイントと直面する課題をまざまざと我々に示す)。

 なのでこの場合、火元の発言者も、ソレに対する反論者も、なんか現実離れして謎の空中戦を展開している感が大有りであって、「お前は何を言っているんだ」とどこぞのAAを引用したい気分になるのである。きみら、うちらの現場のことしらんだろう。

 いやだから、地域社会の基幹・基盤を構成する基幹人員養成機関なんだからさ、それなりにローカルな視野に立ってローカルな人材を要請することにならざるを得ないでしょうに。誰がどう寝言を言おうとそうなるんだよ。新任の先生が『だってアカデミックのポストなんだからアカデミックであるべきなんです!』って出身大学でのアカデミックを強烈に主張しようとも、その現場の任務があるのだよ。その現場からのアカデミズムであるべきなのだよ、あるべき道のひとつは。

 まあなんとでもできる人はすれば宜しい。なんとかなるんじゃないですかね、ええ。研究者番号はもらえますし。簡単なことで、同僚たちが給料安いだの、研究費がないだの、研究する時間がないだのと延々おしゃべりしている時間に相当する時間を研究に回すわけですよ(わりと鬼のような発言)。

 あとは見ていたツィッター記事:




 基本、どの筋の情報もこういう方向を示唆しますね。



 ということで、実際のところ「将来役に立つであろう」ことに学科組織的に特化する傾向にあるかなーと、東北六県の国立大を数例並べてみたり。





 まあ仕方ない、というか、実はすでに現にそーなっていってますよねー、的な。
 日本全国どこの大学に行っても同じように学べる―というのが、まあ理想ではあったんでしょうね。
 ところが、それは様々な要因で維持できなくなる、あるいはなっていく。
 そうじゃないっていうなら、すでに人口が減っている、というよりそもそも人口が少ない東北地方の国立大の姿を見るといい。諸学部を一通りそろえることさえ難しい。実際上、学問をしたければ東北大に行け、という体制になっている―補完機能は山形大が担うのだろうか。そうして各大学はそれぞれ必須の機能を備え、存在意義を示しており、そしてそれは地域住民に受け入れられているものと思われる。岩手大の獣医師コースなんてのはそうなんじゃないかな。

 ということで、日本全国で人口が少なくなるからには、今まで「ミニ東大」ができていた大学でもソレができず、東北地方の大学が今そうであるような姿に手本を求めざるを得なくなる日がくるってことかと思われる。

 まあ、それでも、私だって理念的には学術研究ができてこそ大学、ということは思うので、『嗚呼! 僕がプロコピオスの研究を続けられないなんて、そんなことを要求するここは大学なんかじゃないんだ!』というような意見もまあ割りと同意する。
 ただこの場合、当局側は『いえ! そんな意味じゃないんです! ただ、学校としては教育任務にこれだけ、指導にこれだけ…はどうしても各教員に割り振らねばならないんでして。それ以外の時間はお使いください』とか言ってくるものと思われる。で『先生、ご論文は? 科研費は? そのテーマですと、海外との連携は?』と続けてくるだろう。

 …うん、まあ、そういうことかなと。

 追加:



 なのである。

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