メモを掘り出してみたりした。
…学びという点にかけてはそうだろう。
そしてこれは、いったいどの学校についていうものか。小中学校が対象じゃないかなあまずは。なにしろ高校・大学の自学自習は「家庭学習」とは、まあ言わないだろうから。また高校から大学であれば、個別化の責任は生徒・学生にもかかるだろう…とも思われる。
具体的には、高校(以降)で赤点です、授業についていけないようです、と言った場合。科目担当教員の所に行って質問してみたり、塾に行ったり、何はともあれ自習したり―というのが期待される行動じゃないかなという。
担任の先生が何とかしてくれないのは「学びの個別化」に違反している! なんて主張は―勤務時間の限界の関係上も無理なんですよねえ…。
さて、学校も共同体の一種であり、共同体が共同体であるために、あまりの異例要素は排除せざるを得ない。ではその排除されるべき異例の程度はどのへんからか…というのが(我々のような)異例要素候補の重大関心事である。
現場の先生・権威様も、「発達障害」を他人を排除するための理由付けとして利用したりしますからねー。
私は、それに―他人の人格・人権を否認する方向で使用される場合―反対の態度をとりますが。
なので、親御さんとしても、(抽象化して言えば)”うちのこの人権は”というような思いに囚われかねない。だってそれが我々の日常の感覚なのだから―自分にとって都合の悪い人格を「ウムこれは発達障害!」と断じて、「ふつうの、まっとうなひとたち」から除外するというのが。
正式な医者の指摘は大変に重視されざるを得ない、というか、学校側は医師の診断書等々を根拠に特殊な対応をするのであって、現場の(医療の資格のない)各個教員が好き勝手に発達障害「診断」を出せるはずがないんですが。何考えてんですかね、その手の連中は。
一般的な学校の授業進捗はいわば「電車ごっこ」なので、全体の歩調に合わせられない吹きこぼれ・落ちこぼれ問題が起こる。だったら電車ごっこをやめて、バラせばいいじゃない。これが本当の「学びの個別化」。電車が走っていない間に(家庭学習)で勝手に追いつけよ、というのは違うよ。
— 豊福晋平(GLOCOM) (@stoyofuku) 2017年11月16日
…学びという点にかけてはそうだろう。
そしてこれは、いったいどの学校についていうものか。小中学校が対象じゃないかなあまずは。なにしろ高校・大学の自学自習は「家庭学習」とは、まあ言わないだろうから。また高校から大学であれば、個別化の責任は生徒・学生にもかかるだろう…とも思われる。
具体的には、高校(以降)で赤点です、授業についていけないようです、と言った場合。科目担当教員の所に行って質問してみたり、塾に行ったり、何はともあれ自習したり―というのが期待される行動じゃないかなという。
担任の先生が何とかしてくれないのは「学びの個別化」に違反している! なんて主張は―勤務時間の限界の関係上も無理なんですよねえ…。
さて、学校も共同体の一種であり、共同体が共同体であるために、あまりの異例要素は排除せざるを得ない。ではその排除されるべき異例の程度はどのへんからか…というのが(我々のような)異例要素候補の重大関心事である。
「うちの子は発達障害じゃない!」支援学級への転学を拒否したママ友を変えた先生の言葉(ファンファン福岡) - Yahoo!ニュース https://t.co/z5Hqa8s7KB @YahooNewsTopics
— キャプテンネモ (@openthedoor1968) 2017年11月16日
「非定型的発達」というような言い方が広まるといいのに。「発達障害」でなく。特別支援(特別な面倒をみる)ではなく、特殊能力を伸ばす(他の事については、無理に周りと同じものを求めない)という視点が欲しい。 https://t.co/fKiwfw85jn
— 明日の授業を考える(西野) (@asujyu) 2017年11月16日
現場の先生・権威様も、「発達障害」を他人を排除するための理由付けとして利用したりしますからねー。
私は、それに―他人の人格・人権を否認する方向で使用される場合―反対の態度をとりますが。
なので、親御さんとしても、(抽象化して言えば)”うちのこの人権は”というような思いに囚われかねない。だってそれが我々の日常の感覚なのだから―自分にとって都合の悪い人格を「ウムこれは発達障害!」と断じて、「ふつうの、まっとうなひとたち」から除外するというのが。
これ、美談のように語られているけど、実際には組織や周囲の人間と反りが合わない人を発達障害認定するケースも相当数あるから、発達障害に言及するときは徹底的に慎重に動くべきだと思う。自分の周りだけでも、高確率でこのパターンがあったし(しかも医師の指摘を提案者が拒否してた)。
— Ghostface melOn (@Ghostface_melOn) November 17, 2017
正式な医者の指摘は大変に重視されざるを得ない、というか、学校側は医師の診断書等々を根拠に特殊な対応をするのであって、現場の(医療の資格のない)各個教員が好き勝手に発達障害「診断」を出せるはずがないんですが。何考えてんですかね、その手の連中は。
クラス全員が逆上がりできるようにならなければならない、九九ができるようにならなければならないというのは初等・中等教育までの発想で、高等教育は自分の得意なことをやる、得意でないことはそれが得意な人に教えてもらうということではないですかね。必修とかあるんでバランス問題はありますが。 https://t.co/k6pufUek3p
— Toru Oga (@toruoga0916) 2017年11月5日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます