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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

教育をめぐるメモ

2024-01-03 10:46:51 | Weblog
 メモを掘り出してみたりした。



 …学びという点にかけてはそうだろう。
 そしてこれは、いったいどの学校についていうものか。小中学校が対象じゃないかなあまずは。なにしろ高校・大学の自学自習は「家庭学習」とは、まあ言わないだろうから。また高校から大学であれば、個別化の責任は生徒・学生にもかかるだろう…とも思われる。

 具体的には、高校(以降)で赤点です、授業についていけないようです、と言った場合。科目担当教員の所に行って質問してみたり、塾に行ったり、何はともあれ自習したり―というのが期待される行動じゃないかなという。

 担任の先生が何とかしてくれないのは「学びの個別化」に違反している! なんて主張は―勤務時間の限界の関係上も無理なんですよねえ…。

 さて、学校も共同体の一種であり、共同体が共同体であるために、あまりの異例要素は排除せざるを得ない。ではその排除されるべき異例の程度はどのへんからか…というのが(我々のような)異例要素候補の重大関心事である。






 現場の先生・権威様も、「発達障害」を他人を排除するための理由付けとして利用したりしますからねー。
 私は、それに―他人の人格・人権を否認する方向で使用される場合―反対の態度をとりますが。

 なので、親御さんとしても、(抽象化して言えば)”うちのこの人権は”というような思いに囚われかねない。だってそれが我々の日常の感覚なのだから―自分にとって都合の悪い人格を「ウムこれは発達障害!」と断じて、「ふつうの、まっとうなひとたち」から除外するというのが。



 正式な医者の指摘は大変に重視されざるを得ない、というか、学校側は医師の診断書等々を根拠に特殊な対応をするのであって、現場の(医療の資格のない)各個教員が好き勝手に発達障害「診断」を出せるはずがないんですが。何考えてんですかね、その手の連中は。


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