空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

徴農制とか

2018-01-07 18:28:11 | Weblog
 多分、論者の論旨を理解していない:



 元ネタは:

日刊スポーツ 倉本聰さん「未来は暗い、知恵がない」インタビュー 2018年1月4日9時44分

 問題の論者の見解では、恐らく、「一年か二年で入れ替わる」ことは想定されていない。なぜなら、「上下関係の中で」生きることが前提とされている。わずか一年、二年ではいうほどの上下関係などありはしない(農業指導教官との上下関係に限っている可能性もあるが)。

 しかも文脈上、「大学の無償化には反対です。それよりも、徴農制を実施して」とあるので、むしろ徴農期間は4年間と想定されていると見るのがよい。これなら、たとえば大学駅伝のチームにみられるように、「ルール、倫理観を教え」「上下関係の中で、しつけも教え」て、正しき伝統を構築できる…だろう、と考えるものだろう。

 そうして「食うこと、生きることの根源」を学ぶからには、それこそが「本来の生産」というものであり、そこにこそリソースをつぎ込むべきである―というのが問題の論者の見解。

 なぜなら、上掲ツィート氏のいう「本来の生産」、おそらく工業・サービスなどの生産に関して、問題の論者曰く「富士山で5合目までバスで行き、6合目まではエレベーターを付けて行こうという発想を脱して、海抜ゼロメートルから」考えるべきだと喩えつつ、現行の生産の現場には「活動を減らそうという発想がない」、「どこまで縮小できるかという視点が必要」とあり、この論者は、要は「生産を減らせ」と言っているのだ。

本来の生産に向けるリソースは残りません」、それがなんだというのだ―と倉本氏ならいうだろう。(彼が思うところの)あるべきでない生産はあるべきではない、減らせ、というのだ。減って結構ではないか、真の生=農業に邁進できる人が増えるではないか、と言うのではないか。

 一年、二年程度で交代する―などというのは真の産業=農業を軽んじた言い方・発想であり、これこそ現代西洋文明的生産・効率第一主義に染まった邪推・誤断である、と倉本氏であればいうだろう。まあ四年ほどは必ずすべきものなのだ。おそらくはそれ以上に従事すべきものなのだ。ならばそれなりの練達に至るであろう、従って農業生産としてまあ間に合うものになろう―というのが徴農論者の”現実的見解”ということになろう。



 まあ計算するまでもなく、若年者人口を農業だけで収容しきったうえ、彼らが(それなりに)近代的農業を展開できるだけの土地と資金と資源を用意するのは極めて困難と思われ、まあなんというか語るまでもないというか。

承前:「「下から物事を見」ろと上から命じるいつものパターン(2018-01-05)」

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