空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

バングラデシュは国内でのロヒンギャの結婚を禁じたまま

2018-01-09 16:40:48 | ビルマ/ミャンマー
BBC Bangladesh court upholds Myanmar Rohingya marriage ban 8 Jan 2018

A court in Bangladesh has upheld a law which bans Rohingya Muslims from getting married in the country

 …ひどい基本的人権の制限だ、と感じる。さらには「Bangladesh has not recognised marriages involving Rohingyas since 2014」ともあり、この普遍的人権の制約を通じて、究極にはロヒンギャの民族的存在を否認するところまでいきそう。

 ただし、ロヒンギャ保護の面もあるにはあり:

The 2014 law forbids registrars from officiating at unions with Bangladeshi nationals and between Rohingya couples, after the government said it was being abused to obtain citizenship

 …「合法的」に市民権を得させて、そののちに(以下未成年には聞かせられないようなこと)ということから難民を守り、通じて社会の風紀の紊乱を阻止する、ともいえるにはいえる。まあどっちみち、難民を不当に利用するビジネスは起こるだろうけど、少なくとも”一応合法”の装いで巧妙かつ広範に行われるよりマシだろ、と言われたら、それなりの納得はするしかないかとも:

Explaining the law in 2014, government officials said they believed wedding certificates were being used to try and claim legal documents including Bangladeshi passports

 …パスポートが絡んだりする、微妙な問題ですものね。
 ただまあ、完全隔離というわけにもいかないし、たまたまフォーリンラーブデースということもあろうし、なんにせよ扱いに困る。


 なお思考実験だが、「ではレズカップルやゲイカップルの”結婚”を認めないのも基本的人権の抑圧なのだな?」という疑問を提起してみればいいかも。私は自分が、結婚という用語を、男女間のそれに限りたいと思っているらしいことを発見する。しかし男女の結婚カップル相当の社会的単位をゲイカップル・レズカップルがなすことにまったく反対しない。市民社会内部のこととして、その結合を結婚と呼ぶのは、まあいいんじゃない?と思う。しかしキリスト教会に、その結合を結婚と呼べ、キリスト教的に祝福しろ、と要求するにあたっては疑念を大きく持つ。こうして何が、どのように実現されるべき正義なのか、どういった領域の正義なのか―と考えさせるなんてのは、初等倫理の導入部や正義論の導入部などによさそうだ。

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