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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

貧困女子高生がどうとか(twitterを流し見しつつ)

2016-08-21 18:54:23 | Weblog


 しかしながら民主主義国家では,一般の理解がそれ相応にないと議会を通らない。それ故,過去には。社会党が問題提起をし,国会で大騒ぎをして,時期尚早として却下され,数年後に自民党案に模様替えして通る,という手続きをふんだものなのではないか。

 しかしその「民意」の形成に際しては



 正規の価格で正規に商売すればよいのである。
 貧困JKに関する報道というなら,単に,貧困JKを取材すればよいのである。
 そしてそれが,単なる異例形かどうか,一定の意味で典型例として取り扱ってよいものか,それなりに適切に判断して,その限りで取扱えばいいだけの話なのである。

 ”貧困”家庭出身者でも,アニメ専門学校に行くと言う,貧困の再生産になりかねない選択をしてもかまわない。それが自由ということだ。ただ,その選択を支えるコストを制度的に保証するのがよいかどうかは別の問題で―そこで”社会的な議論”が要求されるだろう。

 …まあ,一般的な奨学金制度があればいいんじゃないですかね,ということには,なる,だろう。
 その際,そうした家庭の実態を,実例をもってTVで示したいというのであれば,正味で”そぅ”いうのを出せばよいだけのことで,劇団員にてきとーにやらせたりしなければよいのだ。

 まあ,運動家から調達するというのは,手ではある。が,その場合でも,単に正味で勝負すればいいだけで。




 ということだろう。



 場合によっては,メディア側と運動家側とでタイアップすることもあるだろう。例の,ここ一年やってた”若者の運動”とか。ああいうやり方は反感を買うのではないかなあ,客のほうを向いていないのかなあ,と思ったら,

 ―まず,民間メディアの場合,客は直接にはスポンサーや広告代理店や…であって,一般視聴者は間接的に問題になるに過ぎない,とはいえよう。
 ―ということで,”TV受像機をもっているひとみんなから直接金銭を徴収している”NHKには,朝日さんや読売さんや…より厳しめの,ちょっと違う基準が適用されることになろう。

 さて





 ”貧困であれば,解決されるべきだ”という文句つけをする人がいそうだが,もちろん,これは「社会的に解決すべきかどうか」とか付けて理解されるべきだろう。

 でまあ,そういう微妙な問題を避けて,TVなどは”望む進路を選べない子供たちって,なんて可哀想!”って情緒で片づけようとする。

 さて,進路について別の言い方。
 大学院が拡充されて,相当数の人々が大学院進学を選んだ。
 で,結構な領域で,「もとで」をとるには大学教員になる以外にない,というような状態に立ち至ったものかとおもわれる。

 …まあ,サンスクリット語学なんかを想像すればいいだろう。文系の極北。事実上の保護動物,といっても間違いではないだろう(独法化に際して,”サンスクリット的なものをどう守るか”という話題になったくらいだ)。

 で,そんなものの専任ポストはろくろくありはしない。
 で,就職にあぶれた者に対して,どう対処すべきだろうか…?
 社会的なアプローチは,どの程度であれば社会的・合理的だろうか,採算が取れるだろうか,社会的な合意がとれそうだろうか?

 ―と言われると,”そんなん,個々人で大人の判断すればええがな”の一言ではないか。



 いろいろと味わい深い。

 ともあれ,情緒でなんとかしようとてきとーに盛った演芸で一般人を煽ろうとするメディアと,その手法に噛みつく人々との間で,リアルな貧困者がリアルに苦しみ,でまあ,そのまま誰の眼にもとまらぬまま干からびてたりするんじゃないかなーとかいってみゆの。
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