空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

帰国

2013-03-11 20:13:03 | Weblog
 帰国。

 大変有意義な,かつ非常に効率のよい調査でした。

 しかし本業分野のレポート・論文を超多数執筆できるだけの資料を得たのはいいが(成功すれば中堅私大の教授に収まれるくらいとみる),他にも多岐にわたるレポートのタネを収集し,かつそれらは精密・詳細に書かれることが望ましいというアレな状況に。

 なんというか,私がそれらのレポートを見事に仕上げると,結構な数のひとが幸せになる可能性が広がりそうなのだが,それらをし遂げると今度は私が何の学者だか分からなくなるという。

 …あうあう。

bluelines 四月から大学院に進む人へ 2013-03-04
修士の二年間というのは、真面目に勉強すれば、良い研究とそうでないもの、良い論文とそうでないものを見分ける力を身につけるには十分な時間です。それに対して、自分で良い研究を行い良い論文を書くために必要な知識やスキルを身に付けるためには、もう圧倒的に時間が足りません。全然無理です。というわけで「よく勉強してきた修士二年」というのは、映画『アマデウス』のサリエリみたいな状態になってます。モーツァルトの音楽の良さを認める能力があるのに、自分でそれを創ることはできない、という。だから自分の修論を見ると、それが自分の知っている良い研究論文と比べてあまりにどうしようもない代物であることは痛いほどよくわかるのに、それ以上良くすることもできない、という結果になるのです

 単に事実の描写じゃねぇか,的な。



 おなじよーなことは博士コースの三年目で博論の完成の見込みがないときにも思うのである。



 東京ではひとがしなないとでも思っているのでしょう。
 面白い寝言の前例はあって,『東京ではたくさんカラスがいるが,カラスの死体は見ない! これは実はカラスは死ぬと左巻(?)のエネルギーが(ry』とかゆーて,なんか不思議なマジカルパワーがカラスの死体を分解するんだって主張したひとがむかしいた。

 まーごみ処理のひととかがふつーに処理してるんでしょうけど,そーゆー格好でとにかく「死」という不快な情報から(人工的に)隔離された世界で生きるのって

a. 「不自然だよね? そう,我々は死という現実ときちんと向き合うべきなんだ!」とするのが宗教者,
b. 「不自然なのだ,人間であるからには不可避の現実から疎外されているこの状況は」とするのが哲学者,

 だろうか。さらに,こうした不自然な,人工的な(”快”の)状況を作り出すためには,不快を押し付けられる存在が必要であろう,それを人工的に作るからには,それは大変な差別のもとともなるのだと進めるのはマルクス系の哲学者だろうか。

 ともあれ,元ネタはどこかなーとか思ったら:

低気温のエクスタシーbyはなゆー 〔写真〕1月17日の「福島民友」おくやみ欄の面積が非常に広い 2013年2月26日火曜日

 presstvの愛好者氏ではないか。
 とりあえず,いきいきと活動できているのは,少なくとも本人にとってはいいことだ。
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