夏休みは漱石だ

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07月29日(土)
故きを暖めて新しきを知る (4)
学校の役割
 
 学校に通っている限り大抵40日~60日の休みがある。この休みをどう使うか考えられる人は大学生以上でそれ未満の高校生以下は自分の思う通りにできない。親がどう導くかによって満足な夏にもなり,そうでもない夏にもなる。ところが親も自分の経験から一部の例外を除いて,子供を教育するカリキュラムを持っていない。旅行するにも計画書が必要なくらいだから,家族旅行以外のむつかしいことは学校に任せるしかない。

 近所に私立の高等学校がある。街なかの高校で,大規模校であるから,街で見かける高校生は大抵ここの学校の生徒である。夏休みになってもここの高校生を見ない日はない。早朝から行列を作って学校に登る。午後には三々五々帰っていく姿を見る。学校も大手を振ってセミナーとか補習とかを実施できる。昔は保護者に補習への参加許諾書を出させて,親の許可をもらい,その上で学校は補習を行なっていた。成果をあげるには頭を下げてやらねばならなかった。
 塾では中学生が一番のお得意様である。高校への合格は大学への合格よりむつかしい。400人の定員に対して420人の志願者があったというだけで大騒動である。大学入試では考えられないような数字に敏感である。倍率の問題ではないらしい。420人の成績が伯仲しているから誰が落ちても不思議でない。どこの高校でも力の差がないもの同士が受験するから,合格が保障されている受験生がほとんどいない。そんな事情で夏の塾は朝から夜まで忙しい。

 今の中高生は読書をすることがあっても現代ものに限られ,歴史教科書の文化の節にのる明治の作家の作品や英文学の翻訳ものなどは,ほとんど読むことはないと思われる。わたしが寮にいた頃は上級生が読書に没頭していた姿をよく見ていた。当時は漱石や阿部次郎は高校生の常識であった。書物というメディアからのみ新しい知識や情報がはいっていたころである。今はインターネットの世界であらゆる分野と書き手の活字にお目にかかれる。漱石は浜の真砂の一粒であろう。夏の休みくらい文豪ものを読んで語り伝えていって欲しい。
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07/29 (27ip)
2006-07-30 07:48:59
27ip
 
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