田川市石炭・歴史博物館のブログ

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「煤・記憶」特展講座in台湾レポート その3

2017年01月17日 | 日記

みなさん、こんにちは!

その1その2とお送りしてきました台湾レポート。
今回は、「煤・記憶」特展講座の会場にもなりました「新平溪煤礦博物園區(新平渓炭鉱博物館)」についてレポートいたシマス♪

場所は新北市の平溪区にあります。
新北市は台湾の北部に位置し、台湾で最多の人口を誇る自治体デス。
元々は台北県と呼ばれたエリアで、そこから首都である「台北市(タイペイ)」と、北端にある重要港湾都市で日本とも関わりの深い「基隆市(英語:キールン・中文:ジーロン)」を除いた部分となります。
平溪区は基隆市の南側に位置し、基隆川の上流部にあたる山々に囲まれたのどかなイナカです。





日本の三井鉱山や地元の「台陽鉱業」によって本格化した台湾の炭鉱開発は、基隆川の上流部に広く分布していました。
現在は観光ローカル線として人気の鉄道「平溪線」は、筑豊の鉄道と同じく石炭輸送のために敷設された歴史を持ちます。

単線のこの鉄道では、今の日本では見かけることの少ない「タブレット式閉塞」で安全管理がされていまシタ。



鉄道用語の「閉塞」とは、線路を一定区間(閉塞区間)に区切り、1つの閉塞区間には同時に2つ以上の列車を入れないことで安全を確保することです。
タブレット式閉塞の場合は、タブレット(通票)と呼ばれるいわゆる「通行手形」のようななものがありまして、それを持っていない列車は閉塞区間に入ることが出来ませんので、追突事故などを防ぐことができる仕組みです。

写真の駅員さんが持っている丸い輪(タブレットキャリー)の下の袋部分に「タブレット」が入っています。輪の部分は運転士さんからの受け渡しのための持ち手部分ですネ。
ちなみに当博物館にも、同じようなカタチのタブレットキャリーを所蔵しておりまして、ワタクシ博物館スタッフも初めてタブレットを使っているトコロを見て、コーフンしてしまいましたヨ!

さて、新平渓炭鉱博物館ですが、台陽鉱業によって1965年に開坑し、1974年に龔詠滄(ゴン・ヨンツアン)氏に譲渡されて、1997年まで稼業していた新平渓炭鉱の跡地にありマス。
台陽鉱業株式会社は、日本の藤田組と台湾の顔雲年【イエン・ユンネン】氏という、台湾の五大財閥の一人が共同で設立した炭鉱デス。

ちなみにこの顔雲年氏のひ孫は、日本でも「ハナミズキ」が大ヒットした歌手「一青窈【ヒトト・ヨウ】」さんなんだそうですヨ!

また、藤田組の創業者「藤田伝三郎」氏は、長州藩出身の元奇兵隊士で、民間人として始めて男爵に列せられた関西財界の重鎮デス。

イロイロ調べてみると、知っているコトバやヒトが出てきて、台湾と日本の繋がりの深さを感じられマス。

日本から遅れることおよそ30年、1990年代には輸入石炭との価格差に競争力を維持できなくなった台湾の炭鉱も、日本と同様閉山してしまいマス。
そんな閉山してしまった炭鉱のひとつを、当時の設備を残したまま丸ごと博物館として再生させたのが、「新平渓炭鉱博物館」なんデス♪

閉山からまだ20年弱ということもありまして、実際に炭鉱で使われていた沢山の道具が残っているのもココの魅力です。

その4に続きまーす。

【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて

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