作兵衛翁が描いた蒸気機関車(その2)
前回、作兵衛翁が絵に表した蒸気機関車が実在のものかというテーマを立てて考察を始めました。
そして絵の機関車は、動輪2組、先輪1組、従輪1組のタンク式蒸気機関車と考えました。
資料によると、このような軸配置の機関車は当時日本の各地でかなり多く使われていて、
中でも絵にあるように蒸気ドームがボイラー上の煙突寄りにあるものは、国有化後の鉄道院時代の呼称で、
500形、600形、700形というほぼ同じ仕様のものがありました。
これらは国産の機関車がまだない時代に、イギリスの数社で作られており、使用鉄道会社ごとにばらばらの番号だったものを、
国有化後に製造会社が同じものをまとめてグループにしてこう呼んでいたそうです。
これらの機関車を参考に、ほぼ同じ形で後に量産車として国産初の蒸気機関車230形が作られました。
その一両268号が佐賀県の鳥栖(とす)駅横に保存展示されています。
(写真)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/b2/caf57a824cfe44966951676970e5b48b.jpg)
(鳥栖駅の268号:絵の機関車と、ほぼ同じ形で、作兵衛翁の言葉で言う「ストンガップ」つまり蒸気ドーム
(写真の機関車には同じ意味の「蒸気室」という説明札が前のドームについています)
の後ろに「サンドドーム」つまり「砂箱」が置かれた姿です。「砂箱」は線路に撒くすべり止めの砂を溜めるものですが、
作兵衛翁の絵に描かれた時代はボイラー上にまとめず、両側の車輪の近くに設けられていましたので、ドームは一つでした。)
九州鉄道が1897年に筑豊鉄道と合併した時、筑豊鉄道から筑豊鉄道5と6という上記の型の機関車を2両引き継ぎ、
自社で発注していた5両と合わせた7両が同型だったそうです。
旧筑豊鉄道の5と6という機関車は元山陽鉄道で25と27と言われていた1880年のイギリス製を1892年に譲り受けたもので、
鉄道国有化後に鉄道院700形の715と700に改称されました。
九州鉄道の発注分は国有化後鉄道院600形の656-660に改称されました。
九州鉄道は他の形式の機関車も運行していましたが、少なくともこれら7両の機関車は「明治三十一年春」、つまり1898年の春頃,
九州鉄道の路線である飯塚から「嘉麻川芳雄橋」を経由して直方方面へ向かう現在の筑豊本線線上で見られる可能性は十分あったと思われます。
作兵衛翁は写生したのではなく、記憶に基づいて描いていますから、細部は実際と違う所もありますが、やはり実在の機関車を見たのではないでしょうか。
(蛇足)作兵衛翁の言う「ストンガップ」はボイラー上の真鍮で覆われたドーム状の突起を指していますが、調べても語源ははっきりわかりません。
この突起はボイラーで熱せられた水から発生する蒸気を貯めて圧力を高める設備で、名前は「蒸気溜め」、「蒸気室」または「蒸気ドーム」と呼ばれます。
英語ではスティーム・ドーム(steam dome)と言いますので、当時これがなまって「ストンガップ」と言われていたのかとも思います。
ひょっとするとstand-up steam dome (スタンダップ・スティーム・ドーム「直立型蒸気ドーム」)とでもいうような表現から来ているのでしょうか。
以上作兵衛翁の絵から考察してみました。