田川市石炭・歴史博物館のブログ

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田川のコト 第六回:田川郡③添田町

2017年02月20日 | 日記

みなさん、こんにちは!

田川のコトを、少しでも多くの方々に知っていただこうというこのシリーズ。
お久しぶりの第六回は、田川郡の南部に位置し最奥部でもある添田町についてデス♪

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回

田川郡最大の面積を持つ添田町ですが、南部は北部九州の最高峰である英彦山【ひこさん】に代表される山地となっておりまして、北部の小さな平地に人口が集中しておりマス。
英彦山山地を源流として流れ出す豊富な清流は、中元寺川と彦山川のふたつの河川となり田川盆地を貫き流れ、筑豊の石炭産業を支えた遠賀川の本流と合流します。

筑豊炭田の一角を成すここ添田町も、近隣の市町と同じく炭坑開発が行なわれました。
添田町で中心となったのは、「峰地【みねぢ】炭鉱」デス。

当ブログでも採り上げたことのある炭鉱王「蔵内次郎作・蔵内保房」が開発・経営した峰地炭鉱は、現在も峰地という地名で残ってイマス。

なお、田川市弓削田地区にも「峰地炭鉱」がアリマシタ。
こちらも実は蔵内家の炭鉱なのですが、非常に石炭の品質がよく人気の銘柄炭だったので、添田町に新しく炭鉱を拓く際に、これまでの信用を引き継ぐために、同じ「峰地炭鉱」という名前にしたトカ。

それでは、そんな添田町について、いくつかご紹介しまショー!

◆添田町のシンボルといえば「英彦山神宮」。
日本三大修験山と呼ばれ、修験道の霊峰である英彦山に位置するこの神宮は、もともとは彦山神社と呼ばれていたそうデス。
伝説では、日子山と呼ばれていたところ、819年に僧・法蓮が、山中で鷹の落とした羽に「日子を彦と改めよ」と記されているのを見て、嵯峨天皇に上申し詔【みことのり】によって「彦山」に改めたとなってイマス。

ちなみに、この鷹の羽の伝説は田川地方に多く伝わっており、鷹羽【たかは】が田川【たがわ】の地名の由来とも言われておりマス。

神仏習合が早くから進んだと言われる彦山神社は、彦山権現とも呼ばれ修験道【山岳信仰と仏教から生まれた日本独自の宗教】の一大道場となり、室町時代の最盛期には3000を超える僧坊【そうぼう・お坊さんの住まい】があったそうデス。

1729年、霊元法皇より「英」の字が授けられ、「英彦山」となりまして、その後1975年に神社から神宮へ改称しました。
神宮とは、古代から皇室と深いつながりを持つ神社や天皇を祭神とする神社がその名を冠する場合が多いデス。

それでは、英彦山神宮へ行ってみましょう!



いきなり心が折れそうになりますが、こんな階段をヒーコラと登ってノボッテのぼって行かなくてはなりません。。。
ワタクシ博物館スタッフも初詣ということで、調子に乗って階段で登りまして、遭難しかけました(汗)

しかーし、現在はスロープカーがありますので、中腹にあります「奉幣殿【ほうへいでん】」までは、お気楽に参拝可能になりました。



この奉幣殿、戦国時代に焼失していましたが、1616年に小倉藩主「細川忠興」公が再建したもので、国の重要文化財に指定されておりマス。
山全体が神社とも言われる英彦山神宮ですが、奉幣殿まで来れば「英彦山にお参りしてきた!」と言ってもヨカとオモワレマス。

しかーし、写真の右側に鳥居と階段が見えると思いますが、実はここからが本番でして、この上標高約1200mまでの間に、下宮・中宮・上宮(頂上)とお宮がありまして、健脚な方々は奉幣殿で一服して階段を登って行かれてマシタ。。。
い、いつの日かチャレンジしてみたいと思いマス!

◆添田町の新名物といえば「めんべい
現在の「田川科学技術高校」に合併した「田川農林高校(以前のブログで紹介)」、「田川工業高校」、「田川商業高校」のうち、「田川商業」はここ添田町にありました。
ちなみに、当館の安蘇館長は田川商業の校長先生でもアリマシタ。

2007年の廃校以来使われていなかったのですが、福岡の新名物として人気の「めんべい」の工場が体育館を改装して2014年に完成し、直売所も整備され新たな観光スポットにもなってオリマス。



こちらの「めんべい」、当館併設の「シルバー館おもてなし」さんでもお買い求めいただけますので、当館にお寄りの際はゼヒ!

◆添田町の炭鉱遺構
保存や整備されている遺構はないのですが、町の中を散策していますと当時の残り香があったりシマス。



写真は、蔵内鉱業峰地炭鉱の第三坑の巻上げ機台座と思われる、レンガ造りの遺構デス。
草や木々に覆われて、まるで『天空の城ラピュタ』のようになっておりますが、ジツはこちら住宅と田園のど真ん中にあったりシマス。

ココ添田町の添田駅は、現在は廃線になっておりますが、「添田線」という国鉄の路線が大任町から香春町まで伸びておりまして、現在も現役の「日田彦山線」との接続駅でもありました。

これほど山奥の小さな町に、ふたつも鉄道路線が繋がっていたとは驚きですネ!

と、今回は「添田町」についてご紹介させていただきました。

次回は、どこの町村になるのか!?
ご期待は控えめに、お待ちくださいませー!!

【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて

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