田川市石炭・歴史博物館のブログ

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炭鉱災害慰霊碑

2017年01月20日 | 日記

みなさん、こんにちは。

昨年の福岡市博多駅の道路陥没事故は記憶に新しいところですが、原因は地下鉄のトンネル工事によるもののようです。
幸いにしてケガ人や犠牲者はありませんでしたが、現代の技術や土木工学をもってしても、地下での作業というのはやはり危険と隣り合わせなのだと再確認しました。

炭鉱での石炭採掘も同じ地下での作業です。
保安には細心の注意を払いますが、時として、落盤・出水・ガスや粉塵の爆発・火災などの事故・災害が起こる場合があります。

田川で最大の炭鉱であった三井田川鉱業所では、数十人以上が死亡するような大規模な炭鉱災害の記録は幸いにしてありませんが、同じく三井の三池鉱業所では昭和38年に火災によって死者・行方不明者458人が亡くなられる事故もあり、それ以外にも日本全国の炭鉱で、たくさんの事故が記録されております。

昭和35年9月20日、田川郡川崎町にあった『豊州【ほうしゅう】炭鉱』にて、当時戦後最悪と言われた犠牲者67名を出した炭鉱災害がありました。

折からの大雨もあり、坑道の近くを流れる中元寺【ちゅうがんじ】川の川底が陥没し、戦前に掘られ存在が忘れられてしまっていた古洞(使われていない坑道)を伝って、豊州炭鉱の坑内に水が流れ込み、2000m近くあった坑道が全て水に浸かってしまうという、痛ましい事故でした。

しかも、あまりの被害の大きさにご遺体を引き上げることができず、現在も犠牲者の67名は地中に眠ったままです。

現在、その豊州炭鉱の本卸【ほんおろし】坑口跡には、慰霊碑が建てられております。



綺麗に整備された碑は、現在も慰霊に訪れる方々が絶えません。

亡くなられた67名のご冥福を祈りつつ、明治日本の産業革命、そして戦後の復興を支えた国産のエネルギーである石炭の採掘には、先人たちのたゆまぬ努力と尊い犠牲の上になりたっていたことを忘れないようにしたいと思います。

【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて

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