田川市石炭・歴史博物館のブログ

〒825-0002 福岡県田川市大字伊田2734番地1
TEL/FAX 0947-44-5745

「炭坑記録画」ってどんな絵? その1

2017年01月30日 | 日記

皆さん、こんにちは。

前回のブログでお知らせしました通り、今回から『ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)』に登録された、山本作兵衛翁の絵の具体的な内容についてふれていきたいと思います。

ユネスコ世界の記憶に登録された589点の炭坑記録画のうち、306点の墨画【ぼくが・すみが】と279点の水彩画【すいさいが】の合計585点を当館で所蔵しています。

66歳頃から本格的に創作をスタートさせた作兵衛翁。その初期となる1958年から1963年ごろに製作された炭坑記録画は全て『墨画』です。墨画は約21x30cmの子ども用のスケッチブックに墨を使って描かれています。

その後、田川市立図書館長であった故・永末十四雄氏から依頼を受け、画材を提供された作兵衛翁は、1964年から1967年ごろに水彩画の炭坑記録画を制作しました。水彩画は、38x54cm(一部は約25x35cm)の画用紙に、絵具を使って描かれています。

1984年、92歳で亡くなるまでに、作兵衛翁は1000枚を超える水彩画の炭坑記録画を制作したといわれています。その多くは個人や様々な団体に贈呈され、大切にされています。

現存する炭坑記録画のうち、当館所蔵以外のものは、ほとんどが昭和40年代後半以降に描かれた水彩画です。
炭坑記録画のモチーフ(画題)も、一部を場合を除き、墨画を原型として水彩画で再構成したものがほとんどです。

当館所蔵の「ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)』に登録された炭坑記録画の特徴としては、

1)水彩画の原型となった『墨画』を一括して所蔵している点。
2)1000枚以上が製作された『水彩画』の中では初期の作品群であり、かつ、そのモチーフのほぼ全てを収集しているという点。

などが挙げられます。

これらの炭坑記録画は、『筑豊炭田の記録』と『美術的な観点』のふたつの視点から研究されています。

◆585枚の炭坑記録画のモチーフを分類すると、次の表のようになります。

※表の中の炭坑用語について説明します。(金子雨石著:「筑豊炭坑ことば」を参考にしています。)

【炭坑内外の労働】
シバハグリ:開坑工事。
狸掘り:もともとタヌキの巣穴のように、なんとか出入りできる位の粗末な穴を掘って石炭を運び出したもの。後に設備の整わない小炭坑を指すようにもなりました。
仕繰り(しくり):坑内の坑道や採炭現場などの設備を修繕すること。
棹取(さおどり):炭車を運搬する係。
ケントリ:間取り。請負による坑内工事箇所の事後検査。
捲場(まきば):巻上機の設置場所。
ナンバ:漢字で「南蛮」。人力や馬で動かす簡易な巻上装置。 
カマ:蒸気ボイラーのこと。
函待ち:掘った石炭を運び出すために空の炭車を待つこと。炭車不足や事故などで半日以上待つこともあった。
重圧:坑道にかかる岩盤の圧力。落盤の危険がある状態。
坑内火番:消えたカンテラや安全灯の再点火、手入れを行う坑内の詰所。
坑内の鉄管:坑内には蒸気の吸排気管や排水管が張り巡らされていました。
勘引(かんびき):掘った石炭には岩屑が混じっているので、一定の割合ではかり目が差し引かれました。

【ヤマの暮らし】
大納屋:炭坑主から仕事を請け負った頭領が、雇った独身男性坑夫をまとめて住まわせる住宅。
炭住:炭坑住宅の略称。長屋形式が多い。
取締:坑外で、坑夫とその家族の生活全般の管理を担い、入坑や他の炭坑への無断移動などを監視する労務係がいました。労務係は取締り、人事係とも呼ばれました。
売勘場(うりかんば):坑内売店のこと。炭坑の初期、賃金は現金でなく会社の私製切符で支払われ、月に一回決まった日に現金に交換できました。この切符は原則的にこの売勘場でしか通用しません。
ハガマ坑夫:底が丸いので、不安定で落ち着かない飯炊き用の刃釜のように、一カ所の炭坑に落ち着かない坑夫。
ウサギ坑夫:坂を登るのは得意だが下るのは苦手なウサギのように、入坑が遅く作業をロクにしないで早めに昇坑する怠けものの坑夫のこと。

面白い表現もありますね。

次回のブログでは、上記のふたつの視点から、絵のモチーフについて迫ってみたいと思います。

【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて

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Detailed Contents of Sakubei Paintings (1)

2017年01月30日 | ENGLISH

We are going to introduce the detailed contents of Sakubei paintings in the Sakubei Yamamoto Collection, UNESCO Memory of the World, from this time as we told you before.

Among the Sakubei Yamamoto’s 589 pictorial records of coal mines, which were registered as Memory of the World in 2011, our museum holds 306 black and white ink and 279 water color paintings.

Sakubei started his full-dress creative activity when he was around 66. His early pictorial records of coal mines produced around 1958 to 1963 are solely drawn in ink in sketch books approximately 21 by 30 cm. 

He produced pictorial records of coal mines in water colors later around 1964 to 1967 by request of late Toshio Nagasue who was a former director at the Tagawa City and supplied Sakubei with drawing materials. These water colr paintings are drawn on drawing paper approximately 38 by 54 cm (partly approximately 25 by 35 cm).

Sakubei reportedly produced more than 1,000 pictorial records in water colors until he died in 1984 at age 92. They were given to many bodies and individuals including us and are treasured.

Most of his pictorial records other than those held by our museum are water colors produced after 1970.

His pictorial records of coal mines in water colors are almost reproductions of those in ink and their subjects are nearly the same as those of the ink paintings except for a small part.

The characteristics of the pictorial records as Memory of the World are: (1) the black and white ink paintings as prototypes of the water color paintings are held in block; (2) the water color paintings are early works among those known to the society as well as include almost all subjects.

By classification, the subjects of registered 585 items of pictorial records are as shown in the list below.



Sakubei’s works are referred from the viewpoints of records of Chikuho Coalfield and art. We will introduce you them, hereafter, according to both of the above aspects. 

日本語訳はコチラから

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煤矿记录画,是什么内容? 其一

2017年01月30日 | 中文(简化字)

大家好!

如前一期博客所约定的,我们将从这一期博客开始,向您介绍被『联合国教科文组织世界的记忆(世界记忆遗产)』登录的山本作兵卫氏的煤矿记录画的具体内容。

被记载于联合国教科文组织世界的记忆登录的589幅煤矿记录画中,有水墨画306幅以及水彩画279幅,合计585幅,是由当馆收藏的。

以66岁的年龄正式开始绘画创作的作兵卫氏,于初期的1958年至1963年前后,制作的煤矿记录画,全部都是水墨画,画在儿童练习时使用的约21x30cm的素描本上。

之后,受到当时田川市立图书馆馆长、已故永末十四雄氏的委托并提供题材,作兵卫氏自1964年至1967年前后创作的煤矿记录画,皆为水彩画,使用正规绘画工具,画在38x54cm(一部分约为25x35cm)的绘画用纸上。

1984年,至92岁高龄辞世为止,作兵卫氏创作的水彩煤矿记录画,达1000幅以上。其中的大多数由个人及诸团体捐赠,被保存或者展示。

现存的记录画,除了当馆所收藏的以外,基本上是昭和40年代之后描绘的水彩画。

水彩画的画题,除一小部分之外,大部分都是将水墨画的画题以水彩画的形式再构成。

关于当博物馆所收藏的被「联合国教科文组织世界的记忆(世界记忆遗产)」登录的煤矿记录画之特征,可以举出:

1)水彩画与其原型的水墨画总括收藏。
2)属于1000幅以上水彩画之中的初期作品群,并且,几乎包括了记录画的所有画题。

等等。



这些记录画,被从『筑丰炭田(煤田)的记录』和『美术的观点』两方面的视点进行研究。

日本語訳はコチラから

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煤礦記錄畫,是甚麼內容? 其一

2017年01月30日 | 中文(繁體字)

大家好!

如前一期網誌所約定的,我們將從這一期的網誌開始,向您介紹被『聯合國教科文組織世界的記憶(世界記憶遺產)』登錄的山本作兵衛氏的煤礦記錄畫的具體內容。

被記載於聯合國教科文組織的記憶登錄簿的589幅煤礦記錄畫中,有水墨畫306幅以及水彩畫279幅,合計585幅,是由當博物館收藏的。

以66歲的年齡正式開始繪畫創作的作兵衛氏,於初期的1958年至1963年前後,製作的煤礦記錄畫,全部都是水墨畫,畫在兒童練習時使用的約21x30cm的素描本上。

之後,受到當時田川市圖書館館長,已故永末十四雄氏的委託並提供題材,自1964年至1967年前後創作的煤礦記錄畫,皆為水彩畫,使用正規繪畫工具,畫在38x54cm(一部分約為25x35cm)的繪畫用紙(肯特紙)上。

1984年,至92歲高齡辭世為止,作兵衛氏創作的水彩煤礦記錄畫,達1000幅以上。其中的大多數由個人及諸團體捐贈,被保存或者展示。

現存的記錄畫,除一小部分之外,大部分都是將水墨畫的畫題以水彩畫的形式再現。

關於當博物館所收藏的被「聯合國教科文組織世界的記憶(世界記憶遺產)」登錄的煤礦記錄畫之特徵,可以舉出:

1)水彩畫與其原型的水墨畫總括收藏。
2)屬於1000幅以上水彩畫之中的初期作品群,並且,幾乎包括了記錄畫的所有畫題。

等等。



這些記錄畫,被從『築豐炭田(煤田)的記錄』和『美術的觀點』兩方面的視點進行研究。

日本語訳はコチラから

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田川市指定文化財が増えましたヨ!

2017年01月27日 | 日記

みなさん、こんにちは!

さてさて、タイトルにあります『指定文化財』という言葉をご存知でしょうカ?

国が指定を行なう「重要文化財」・「重要無形文化財」・「重要有形民俗文化財」・「重要無形民俗文化財」・「史跡・名勝・天然記念物」等以外にも、各地域にとって重要で、かつ保護・活用していかなくてはならない文化財がありマス。

それらは、各地方公共団体(県や市区町村単位)で制定される条例(文化財保護条例)によって指定し、保護・活用を行なっておりマス。

田川市にも「田川市文化財保護条例」がありまして、これまでに様々な文化財が市の指定になっておりマス。

身近なところでは当館所蔵の「猫迫1号墳出土埴輪資料(市指定有形文化財(考古資料))」や、ブログでも以前ご紹介した「夏吉のバクチノキ(市指定天然記念物)」などが挙げられます。
※ちなみに上記ブログで紹介しております「岩屋鍾乳洞」は、福岡県指定文化財(天然記念物)デス。

そんな田川市指定文化財に、今年度、新しく2点が追加されマシタ!

まずは昨年4月28日に市の天然記念物に指定されました「白鳥神社(猪国)のクスノキ」デス!



田川市の南西部に位置する猪国【いのくに】にある白鳥神社は、豊前国小倉藩から筑後国久留米藩へ至る「秋月街道」の宿場町「猪膝宿【いのひざ しゅく】に位置しています。



歴史ある町に古くから自生するこのふたつのクスノキは、田川市最大級の大きさであるとトモニ、地域の方々にも大切にされてきたモノです。

ちなみに『白鳥神社(猪国)』と、ワザワザ地名を入れておりますのは、同じ田川市内の当館の近くにも『白鳥神社』がありまして(シカモ地名まで「白鳥町」)、マギラワシイからデス(汗)

お次は、11月29日の「良い肉の日?」に市の有形文化財に指定されました、当館所蔵の「坑夫取立免状」【こうふ とりたて めんじょう】デス!



これはナニかと申しますと。

鉱山(金・銀・銅)の坑夫には、「徒弟制度による伝統的技術伝承」と「互助を目的とした自主的共済制度」を備えた『友子』【ともこ】と呼ばれる制度が存在していましたが、これまで同じ鉱山である「炭鉱」には友子制度は無いと考えられていました。

しかし、こちらの資料から、筑豊の友子制度の存在が確認されたという、画期的な資料なんデスヨ!

このように、国・県レベルで指定されているもの以外にも、重要な文化財が各市区町村に存在します。

博物館としても、これらの大切さをみなさまにお伝えできますよう、これからも発信してまいりマス♪

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青春の門

2017年01月23日 | 日記

みなさん、こんにちは!

さてさて、タイトルの『青春の門』といえば、作家の五木寛之【いつき ひろゆき】氏によって昭和44年(1969年)に第一部『筑豊編』として発表された大河小説で、2017年現在、第八部『風雲編』までが発表されているベストセラー作品デス。

『香春岳は異様な山である』から始まるこの物語は、戦前戦後の炭鉱時代の筑豊を色鮮やかに描いています。

小説を原作とした映画やドラマ、コミックなども作られ、小説は読んだことがなくても、それらでご覧になってことがある方も多いのではないかと思いマス。

当館でも一昨年、共同ポケットさんの『チクホウフォーカス2015』と題したイベントに協力して、田川市にて大々的に映画の上映を行いマシタ。



そんな「青春の門」の連載が今年から再開されます!
主人公の「伊吹信介【いぶき しんすけ】」が、紙上に帰ってきます!!

23年ぶりの連載再開の第九部で、我らが信介しゃんがどのような想いを抱き、どのような人生を歩んでいくのでしょうか!?
筑豊に縁のある者としては、注目せざるをえませんネ!

さて、連載再開を記念して、田川市のお隣飯塚市の市立図書館と西日本新聞社の共催で「青春の門を語ろう」というイベントが開催されマス。

2部構成で、第1部では当館の安蘇龍生【あそ たつお】館長が「『青春の門』の時代に生きて/あの頃の筑豊」と題した講演を行ないます!

1940年生まれの安蘇館長は、1935年生まれの伊吹信介と同年代で、小説の舞台となった田川で青春時代を過ごされました。
筑豊史、石炭産業史の専門家として、小説「青春の門」に迫る講演となっておりマス。

『青春の門を語ろう』
日時:平成29年1月29日(日曜日) 午後1時より
場所:イイヅカコミュニティーセンター401号室
入場料:無料(事前申込が必要)
定員:250人(先着順)
※参加希望者は、住所・氏名・連絡先電話番号を明記して、飯塚市立図書館までFAXしてください。
FAX:0948-22-5770

住所:〒820-0041 福岡県飯塚市飯塚14-67



ぜひ、ご参加くださいマセ!
また、その際は博物館にも遊びにきてくださいネ!

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炭鉱災害慰霊碑

2017年01月20日 | 日記

みなさん、こんにちは。

昨年の福岡市博多駅の道路陥没事故は記憶に新しいところですが、原因は地下鉄のトンネル工事によるもののようです。
幸いにしてケガ人や犠牲者はありませんでしたが、現代の技術や土木工学をもってしても、地下での作業というのはやはり危険と隣り合わせなのだと再確認しました。

炭鉱での石炭採掘も同じ地下での作業です。
保安には細心の注意を払いますが、時として、落盤・出水・ガスや粉塵の爆発・火災などの事故・災害が起こる場合があります。

田川で最大の炭鉱であった三井田川鉱業所では、数十人以上が死亡するような大規模な炭鉱災害の記録は幸いにしてありませんが、同じく三井の三池鉱業所では昭和38年に火災によって死者・行方不明者458人が亡くなられる事故もあり、それ以外にも日本全国の炭鉱で、たくさんの事故が記録されております。

昭和35年9月20日、田川郡川崎町にあった『豊州【ほうしゅう】炭鉱』にて、当時戦後最悪と言われた犠牲者67名を出した炭鉱災害がありました。

折からの大雨もあり、坑道の近くを流れる中元寺【ちゅうがんじ】川の川底が陥没し、戦前に掘られ存在が忘れられてしまっていた古洞(使われていない坑道)を伝って、豊州炭鉱の坑内に水が流れ込み、2000m近くあった坑道が全て水に浸かってしまうという、痛ましい事故でした。

しかも、あまりの被害の大きさにご遺体を引き上げることができず、現在も犠牲者の67名は地中に眠ったままです。

現在、その豊州炭鉱の本卸【ほんおろし】坑口跡には、慰霊碑が建てられております。



綺麗に整備された碑は、現在も慰霊に訪れる方々が絶えません。

亡くなられた67名のご冥福を祈りつつ、明治日本の産業革命、そして戦後の復興を支えた国産のエネルギーである石炭の採掘には、先人たちのたゆまぬ努力と尊い犠牲の上になりたっていたことを忘れないようにしたいと思います。

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「煤・記憶」特展講座in台湾レポート その3

2017年01月17日 | 日記

みなさん、こんにちは!

その1その2とお送りしてきました台湾レポート。
今回は、「煤・記憶」特展講座の会場にもなりました「新平溪煤礦博物園區(新平渓炭鉱博物館)」についてレポートいたシマス♪

場所は新北市の平溪区にあります。
新北市は台湾の北部に位置し、台湾で最多の人口を誇る自治体デス。
元々は台北県と呼ばれたエリアで、そこから首都である「台北市(タイペイ)」と、北端にある重要港湾都市で日本とも関わりの深い「基隆市(英語:キールン・中文:ジーロン)」を除いた部分となります。
平溪区は基隆市の南側に位置し、基隆川の上流部にあたる山々に囲まれたのどかなイナカです。





日本の三井鉱山や地元の「台陽鉱業」によって本格化した台湾の炭鉱開発は、基隆川の上流部に広く分布していました。
現在は観光ローカル線として人気の鉄道「平溪線」は、筑豊の鉄道と同じく石炭輸送のために敷設された歴史を持ちます。

単線のこの鉄道では、今の日本では見かけることの少ない「タブレット式閉塞」で安全管理がされていまシタ。



鉄道用語の「閉塞」とは、線路を一定区間(閉塞区間)に区切り、1つの閉塞区間には同時に2つ以上の列車を入れないことで安全を確保することです。
タブレット式閉塞の場合は、タブレット(通票)と呼ばれるいわゆる「通行手形」のようななものがありまして、それを持っていない列車は閉塞区間に入ることが出来ませんので、追突事故などを防ぐことができる仕組みです。

写真の駅員さんが持っている丸い輪(タブレットキャリー)の下の袋部分に「タブレット」が入っています。輪の部分は運転士さんからの受け渡しのための持ち手部分ですネ。
ちなみに当博物館にも、同じようなカタチのタブレットキャリーを所蔵しておりまして、ワタクシ博物館スタッフも初めてタブレットを使っているトコロを見て、コーフンしてしまいましたヨ!

さて、新平渓炭鉱博物館ですが、台陽鉱業によって1965年に開坑し、1974年に龔詠滄(ゴン・ヨンツアン)氏に譲渡されて、1997年まで稼業していた新平渓炭鉱の跡地にありマス。
台陽鉱業株式会社は、日本の藤田組と台湾の顔雲年【イエン・ユンネン】氏という、台湾の五大財閥の一人が共同で設立した炭鉱デス。

ちなみにこの顔雲年氏のひ孫は、日本でも「ハナミズキ」が大ヒットした歌手「一青窈【ヒトト・ヨウ】」さんなんだそうですヨ!

また、藤田組の創業者「藤田伝三郎」氏は、長州藩出身の元奇兵隊士で、民間人として始めて男爵に列せられた関西財界の重鎮デス。

イロイロ調べてみると、知っているコトバやヒトが出てきて、台湾と日本の繋がりの深さを感じられマス。

日本から遅れることおよそ30年、1990年代には輸入石炭との価格差に競争力を維持できなくなった台湾の炭鉱も、日本と同様閉山してしまいマス。
そんな閉山してしまった炭鉱のひとつを、当時の設備を残したまま丸ごと博物館として再生させたのが、「新平渓炭鉱博物館」なんデス♪

閉山からまだ20年弱ということもありまして、実際に炭鉱で使われていた沢山の道具が残っているのもココの魅力です。

その4に続きまーす。

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田川市のホームページがリニューアル!

2017年01月13日 | 日記

みなさん、こんにちは!

さてさて、先だってブログでもお知らせしております通り、当館は本年4月29日(土・祝)からリニューアルオープンする運びとなりましたが、ひとあし先に田川市のホームページがリニューアルしましたヨ!



新・田川市ホームページ

より見やすく、より分かりやすくをコンセプトに、現在のみなさんの閲覧環境を鑑みてスマートフォンやタブレットでも見やすい『レスポンシブデザイン』を採用しておりマス。

田川市民の皆さまはもちろん、田川市に興味を持っていただいた方々や、観光情報、地域おこし協力隊の活動など、様々な角度から田川市のことを知っていただけるホームページに生まれ変わりましたヨ!

なお、博物館のページはコチラになりマス。

内容につきましては、現在こちらもリニューアル中なのですが、facebookページや当ブログとあわせて田川の魅力をお伝えできるページにしてまいりますので、ご期待くださいネ!

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筑豊ポタリング 直方~鞍手~中間 後編

2017年01月10日 | 日記

みなさん、こんにちは!

前回のブログに引き続きまして、自転車での筑豊ポタリング直方~鞍手~中間エリアレポートの後編デス♪

まずは中間市役所の上流側にあります、堀川の中間唐戸【なかまからと】デス。
唐戸とは水門のことで、元々は遠賀川の治水対策や、水上輸送、かんがい用水の確保などを目的に造られた運河である「堀川」と遠賀川をつなぐ門になります。



初代福岡藩主「黒田長政」の命で運河が造られ始めたのは江戸時代初期1621年のこと。
その後、長政の死去などもあり約130年工事が中断しましたが、1762年、六代目藩主「黒田継高」の時代に、洞海湾【どうかいわん】へと繋がる堀川が全面開通しまシタ。



ナゼニこんなに時間が掛かったのかとモウシマスト、中間市と北九州市の間の現水巻町に岩山がありまして、そこに運河を通すのが難工事だったからデス。
岩山の山頂から川底まで高さ約20m、幅約6.4m、長さ約700mの岩を、ノミとカナヅチだけで削ったというから気が遠くなりマス。
ノミとカナヅチの消耗がハゲシイため、近くに鍛冶屋が作られたそうデス(汗)

現在堀川歴史公園として整備されている「堀川車返しの切り貫き」には、現在もノミの跡が残っているそうですヨ。


※写真は後日撮影した堀川車返しの切り貫き周辺デス。

なおこの堀川は、後に石炭の重要な輸送路として活用されていきます。

お次は中間唐戸から歩いて5分、自転車なら1分の位置にあるのが、世界遺産『遠賀川水源地ポンプ室』デス!
官営八幡製鐵所へ、鉄作りに欠かせない水を送るために1910年に造られたこのポンプ室は、なんと現在も現役で稼動してイマス。



1910年ということは、当博物館が所在する旧三井田川鉱業所の伊田竪坑が出来たのと同じ年なんですネー。

自転車はエッチラと土手を走りまして、長崎街道の宿場町として栄えた『木屋瀬宿』で休憩デス。



こちらの木屋瀬宿にあるみちの郷土資料館には、山本作兵衛さんの炭坑記録画も常設展示されてイマス。

長崎街道を南下して直方市へ戻ります。
直方駅前では、先日の炭坑節まつりにもご来場していただいた、直方の英雄である元大関魁皇(現浅香山親方)の銅像にご挨拶。
ナゼカ足元にはお賽銭が(笑)



今回の筑豊ポタリングのゴールは、当館ともゆかりの深い直方市石炭記念館へ。

建屋がふたつありますが、向かって右側の本館は、筑豊石炭鉱業組合の直方会議所そのものでして、ここでは麻生太吉・貝島太助・安川敬一郎・伊藤傳右衛門といった錚々【そうそう】たる人物が出入りし会合を持ち、筑豊の石炭産業、そして日本の近代化を支えていました。



新館と併せまして膨大な資料を収蔵・展示するこちらの記念館は、ぜひ一度訪れていただきたいスポットでありマス。
入館料も100円と、缶コーヒーより安いデスシ。



屋外では蒸気機関車も2台展示されておりまして、特に直方駅まで結ばれていた貝島炭鉱の専用線を走っていたドイツ・コッペル社の32号機は、前編のC11と同じく、直方市が地元の汽車倶楽部さんが修復をされておりましてピカピカに展示されてますヨ!



と、今回は直方市~鞍手町~中間市という、遠賀川中流域をグルッとポタリングしてまいりました。
クルマで移動すれば半日もあれば周れますので、機会があれば皆さんもぜひ、遊びに行ってみてくださいマセ♪

その際は、当館にもぜひ遊びにきてくださいネ!

【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて
(田川市HPへ移動)

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田川市美術館 企画展のお知らせ

2017年01月06日 | 日記

みなさん、こんにちは!
いよいよ新年を迎えましたネ!

さてさて、田川市にある文化施設のうち、当館と並ぶ人気スポットである「田川市美術館」におきまして、明日1月7日より新しい企画展がスタートいたしマス♪



今回の展覧会は、絵本作家の長谷川義史【はせがわ よしふみ】さんの絵本の原画やスケッチ、絵画、立体作品、製作道具など150点以上を集めたものです。

いいからいいから 長谷川義史の世界展

期  間|平成29年1月7日(土)~2月5日(日)
時  間|9:30~18:30(入館は18時まで)
会  場|美術館全フロア
観覧料|一般500(400)円/高大生300(200)円/小中生100(80)円
( )内は前売りおよび20名以上の団体料金
※毎週土曜日は高校生以下無料
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳の提示者とその介助者1名は無料
※展示期間中の休館日|1/10(火)・1/16(月)・1/23(月)・1/30(月)

お子さんだけでなく、大人でも楽しめる展覧会となっておりますので、ぜひ遊びに行ってみてくださいネ!


なお、展覧会初日の7日(土曜日)には、長谷川義史さんが来館されて、「絵本ライブ&サイン会」が開催されマス!

日  時|平成29年1月7日(土) 絵本ライブ13:00~ サイン会15:00~
会  場|田川市美術館AVホール
参加料|無料
※絵本ライブ・サイン会の事前申し込みは不要ですが、別途観覧券が必要です。
※絵本ライブの座席は先着50席程度です。来場者多数の場合は立ち見になります。会場のスペースの関係上ご覧いただけない場合もございます。
※サイン会は、1月7日に当館にてご購入いただいた絵本・CDが対象です。参加には、整理券(午前9:00より配布、先着100名様まで)が必要です。 


なお、当館も元気イッパイ開館中ですので、田川市美術館にお越しの際は、ぜひ博物館にも遊びにきてくださいネ♪

【重要なお知らせ】
田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて(田川市HP)

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謹賀新年

2017年01月02日 | 日記

みなさん、あけましておめでとうございます♪

旧年中は、当館へのご愛顧・ご支援のほど、誠にありがとうございました。

本年は、当館の改修工事も大詰めを迎えまして、いよいよ今年の春に再オープンさせていただく予定でございマス。




ところで、キニナル再オープンの日程ですが。。。

2017年4月29日(土曜日・祝日)!!! ※(予定)

となってオリマス!

田川市HP 【重要なお知らせ】田川市石炭・歴史博物館本館の再オープンについて

ゴールデンウィーク中の休館日、5月1日(月曜日)は臨時開館する予定となっておりますので、ゴールデンウィークには、ぜひリニューアルした当館に遊びにきてくださいネ!

現在、当館の学芸員を中心に、再オープンのイベントや、企画展なども計画中ですので、コチラも決定次第ブログやホームページでお知らせさせていただきます!

それでは、本年も当館および当ブログを、どうぞヨロシクお願いいたしマス♪

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