長野市での仕事にかこつけて信州善光寺の御開帳を駆け込み参拝してきました。
信州善光寺のご本尊は一光三尊阿弥陀如来(いこうさんぞん・あみだにょらい)ですが、古来より秘仏とされ非公開のため、前立本尊(まえだちほんぞん)が収められている厨司(ずし)を本堂に移して扉を開く御開帳が執り行われていたのです。
丑(うし)年の今年は、その御開帳の年に当たりますが、この機会を逃すと6年後の未(ひつじ)年まで待つことになります。
急遽、日帰り予定を宿泊に切り替え。
今年の御開帳は、4月5日から5月31日までの56日間で終りです。
通年やっていると勝手に考えていたのですが、今日は5月30日。
まだ最終日が残っている、と考え直しホテル探しです。手頃な宿泊料金で泊まれるホテルが見付かり、心置きなく仕事に没頭します。現役時代の習い性は、そう簡単に抜けません。
さて、御開帳に参拝する人の目的は、回向柱(えこうばしら)に触れてご利益を得ることです。
30日の昼頃の参道は、回向柱に触れる参拝者が凡そ横10人並びで600m近い行列を作っています。行列の両脇に出来た隙間道を通り抜けて、参道入口から仁王門を潜り仲見世通りへ入り山門へ向かいますが、この間どこも、参道の9割以上は参拝者の列で溢れています。回向柱のご参拝には2時間ほど掛かりますとの放送が流れても、行列で並んでいる参拝者は、馬耳東風の様です。
その回向柱は、本堂の前に建立されています(写真)。
回向柱に巻かれている白い布は5色の糸に代わり、その先は金糸となって阿弥陀如来の右手に結ばれています。つまり、回向柱に触れることは、白い善の綱を通じて、ご本尊に触れるのと同じ功徳を得られると信じられており、2時間も待つ行列に並ぶ訳です。
仕事が終わったのは、21時少し前ですが、雨が降っています。
明日8時に回向柱参拝をする積りでホテルのチエックインをします。
参拝者は4時から並んでいるから8時では遅いと、フロントの方から忠告があり、荷物を部屋に置いてホテルを後にします。
直ぐに参拝と決めたまでは良かったのですが、善光寺行きのバスはなし。昼間利用したタクシーは、往復2,000円で少しお釣りがある出費でしたから、雨に負けず2km弱の参道を徒歩で善光寺へ出発です。この行動は、現役時代の習慣とは違っているところですよ。
21時40分頃、仁王門を潜ったのですが、雨にもかかわらず、回向柱参拝に1時間ほど掛かりました。
仁王門と山門の中間当たりが最後尾となる参拝者の行列ができたいたのです。
横に並んだ松伏町からこられたご夫妻は、雨の降る夜の時間に参拝すれば待たなくて済むと考えて来たのに当てが外れた、と苦笑していた位です。
最終日の31日は、5時半から行動を開始します。
長野駅前から「びんずる、お朝事バス」と案内した善光寺行バスが出ていたので、即利用し、100円の交通費で済ませます。
昨夜来の雨は上がり、今朝は曇天の空模様です。
ちなみに、「朝事」は「あさじ」と読み、本堂で毎日行われる勧行(ごんぎょう)、毎朝本堂で行われるお勤め(読経)を意味し、朝事の開始時間は、日の出の時刻によって分単位で変動します(善光寺ウエブサイト)。「びんずる」は、撫仏(なでぼとけ)の「びんずる尊者」の略でしょうか・・・。
やはり、5時前から回向柱を参拝する人の長蛇の行列が出来ていました。
今朝は行列を横目に見ながら本堂へ直行です。昨夜下した参拝決断のご利益でしょうし、三文の徳があった早起きになったのですから。
それは、お数珠頂戴に出会う幸運に恵まれたことです。
二人の住職が本堂へ昇堂する時と退堂する時に行う行為で、参道に並んでいる信徒の頭を数珠で撫でて功徳を授ける行いが「お数珠頂戴」です。
山門前の参道でお数珠を頂戴してから、本堂の内々陣(ないないじん)に安置された前立本尊の参拝です。このために、1泊したのですから、1時間待ちの行列に並びます。
曇天の空から小雨が降り始め本降りになりましたが、列から離れる参拝者は1人も見当たりません。黙々と牛歩の行列の歩みに従って進むだけです。
本堂へ入る階段を登り、外陣(げじん)の回廊には病を癒す「びんずる尊者像」が安置されています。
お釈迦さまの弟子の十六羅漢の筆頭が賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)で、自分の患部と同じ場所を撫でてから、自分の患部を撫でると病気が治ると言われていることは、ご存知と思います。
内陣(ないじん)は、前立本尊の参拝者で一杯です。
内陣の奥にある内々陣(ないないじん)に安置された前立本尊の参拝は、5列になってお焼香をして行うので、その時間がかります。なかなか行列は前進しません。ただ、お焼香の番が来るのを待ち続けるだけです。
浄土宗と天台宗の僧侶が住職を務める信州善光寺ですが、参拝者の宗派を問わないと聞いたので参拝に訪れたのです。
元気印は浄土真宗ですから、参拝する人の宗派は様々で、参拝を待っている人たちは、呉越同舟の想いでしょうね。
その間に、内陣右に安置されている地蔵菩薩、左に鎮座している弥勒菩薩(みろくぼさつ)を眺めたり、欄間の来迎二十五菩薩を見上げたりするのですが、どうしても、中央の前立本尊に目が移ってしまうのです。
信州善光寺を創建したとされる本田善光(よしみつ)と、妻の弥生、息子の善佐(よしすけ)の三卿像が、前立本尊の右後方に祀られていることは、新幹線の車内でガイドブックを読んで知ったくらいです。
やっとこさ、金色に耀く厨子に安置されている前立本尊に参拝です。
絶対秘仏とされているご本尊は参拝者に公開できないので、前立本尊が分身仏としてその代役を務めています。
ご本尊の弥陀如来は、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩(せいしぼさつ)を脇侍(きょうじ・わきじ)として、ひとつの光背の中に立っておられます。これが名前の由来になっています(善光寺御開帳ガイドブック他)。
南無阿弥陀仏を3回唱えて、お焼香を終え本堂を出ます。境内は土砂降りの雨になっています。
雨中の山門を見上げていると「羅生門」(監督:黒澤明)の土砂降りのシーンを想い起こし、重要文化財に指定されている山門は、御開帳に併せて公開していたので拝観してから、仲見世通りにある店で朝粥を摂ることに。
信州善光寺の出開帳(でかいちょう:他国へ出向いて行う御開帳)に前立本尊と同行した釈迦涅槃像(しゃか・ねはんぞう)が安置されている世尊院(せそんいん)、通称「釈迦堂」の参拝を忘れていたので、引き返す羽目に。現在行われている御開帳は、国許で行う「居開帳」(いかいちょう)です。
というのは、釈迦堂の前にも本堂の回向柱より小さい回向柱が建立されていたからです。
お釈迦さまは「この世」の、阿弥陀如来さまは「あの世」の幸せを約束するとされ、両方の回向柱に触れることによって、現世と来世の結縁(けちえん)が出来ると信じられているからです(同上)。
釈迦堂前の回向柱に触れて、南無阿弥陀仏を3回唱えてから釈迦涅槃像を拝観します。
昨日は参拝者の行列がありましたが、待たずに参拝できたのは、前立本尊を参拝したご利益かも知れないなどと考えながら帰途に着きます。
土砂降りだった雨も小雨になり、徒歩で長野駅に向う途中で巡回バスが来たのでそれに乗り、駅に着いたのは9時50分。10時2分発、上り長野新幹線に間に合います。途中でバスに乗ったことが良かった。
なにはともあれ、4時間近い信州善光寺の御開帳参拝は、想い出に残る初体験になりました。
信州善光寺のご本尊は一光三尊阿弥陀如来(いこうさんぞん・あみだにょらい)ですが、古来より秘仏とされ非公開のため、前立本尊(まえだちほんぞん)が収められている厨司(ずし)を本堂に移して扉を開く御開帳が執り行われていたのです。
丑(うし)年の今年は、その御開帳の年に当たりますが、この機会を逃すと6年後の未(ひつじ)年まで待つことになります。
急遽、日帰り予定を宿泊に切り替え。
今年の御開帳は、4月5日から5月31日までの56日間で終りです。
通年やっていると勝手に考えていたのですが、今日は5月30日。
まだ最終日が残っている、と考え直しホテル探しです。手頃な宿泊料金で泊まれるホテルが見付かり、心置きなく仕事に没頭します。現役時代の習い性は、そう簡単に抜けません。
さて、御開帳に参拝する人の目的は、回向柱(えこうばしら)に触れてご利益を得ることです。
30日の昼頃の参道は、回向柱に触れる参拝者が凡そ横10人並びで600m近い行列を作っています。行列の両脇に出来た隙間道を通り抜けて、参道入口から仁王門を潜り仲見世通りへ入り山門へ向かいますが、この間どこも、参道の9割以上は参拝者の列で溢れています。回向柱のご参拝には2時間ほど掛かりますとの放送が流れても、行列で並んでいる参拝者は、馬耳東風の様です。
その回向柱は、本堂の前に建立されています(写真)。
回向柱に巻かれている白い布は5色の糸に代わり、その先は金糸となって阿弥陀如来の右手に結ばれています。つまり、回向柱に触れることは、白い善の綱を通じて、ご本尊に触れるのと同じ功徳を得られると信じられており、2時間も待つ行列に並ぶ訳です。
仕事が終わったのは、21時少し前ですが、雨が降っています。
明日8時に回向柱参拝をする積りでホテルのチエックインをします。
参拝者は4時から並んでいるから8時では遅いと、フロントの方から忠告があり、荷物を部屋に置いてホテルを後にします。
直ぐに参拝と決めたまでは良かったのですが、善光寺行きのバスはなし。昼間利用したタクシーは、往復2,000円で少しお釣りがある出費でしたから、雨に負けず2km弱の参道を徒歩で善光寺へ出発です。この行動は、現役時代の習慣とは違っているところですよ。
21時40分頃、仁王門を潜ったのですが、雨にもかかわらず、回向柱参拝に1時間ほど掛かりました。
仁王門と山門の中間当たりが最後尾となる参拝者の行列ができたいたのです。
横に並んだ松伏町からこられたご夫妻は、雨の降る夜の時間に参拝すれば待たなくて済むと考えて来たのに当てが外れた、と苦笑していた位です。
最終日の31日は、5時半から行動を開始します。
長野駅前から「びんずる、お朝事バス」と案内した善光寺行バスが出ていたので、即利用し、100円の交通費で済ませます。
昨夜来の雨は上がり、今朝は曇天の空模様です。
ちなみに、「朝事」は「あさじ」と読み、本堂で毎日行われる勧行(ごんぎょう)、毎朝本堂で行われるお勤め(読経)を意味し、朝事の開始時間は、日の出の時刻によって分単位で変動します(善光寺ウエブサイト)。「びんずる」は、撫仏(なでぼとけ)の「びんずる尊者」の略でしょうか・・・。
やはり、5時前から回向柱を参拝する人の長蛇の行列が出来ていました。
今朝は行列を横目に見ながら本堂へ直行です。昨夜下した参拝決断のご利益でしょうし、三文の徳があった早起きになったのですから。
それは、お数珠頂戴に出会う幸運に恵まれたことです。
二人の住職が本堂へ昇堂する時と退堂する時に行う行為で、参道に並んでいる信徒の頭を数珠で撫でて功徳を授ける行いが「お数珠頂戴」です。
山門前の参道でお数珠を頂戴してから、本堂の内々陣(ないないじん)に安置された前立本尊の参拝です。このために、1泊したのですから、1時間待ちの行列に並びます。
曇天の空から小雨が降り始め本降りになりましたが、列から離れる参拝者は1人も見当たりません。黙々と牛歩の行列の歩みに従って進むだけです。
本堂へ入る階段を登り、外陣(げじん)の回廊には病を癒す「びんずる尊者像」が安置されています。
お釈迦さまの弟子の十六羅漢の筆頭が賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)で、自分の患部と同じ場所を撫でてから、自分の患部を撫でると病気が治ると言われていることは、ご存知と思います。
内陣(ないじん)は、前立本尊の参拝者で一杯です。
内陣の奥にある内々陣(ないないじん)に安置された前立本尊の参拝は、5列になってお焼香をして行うので、その時間がかります。なかなか行列は前進しません。ただ、お焼香の番が来るのを待ち続けるだけです。
浄土宗と天台宗の僧侶が住職を務める信州善光寺ですが、参拝者の宗派を問わないと聞いたので参拝に訪れたのです。
元気印は浄土真宗ですから、参拝する人の宗派は様々で、参拝を待っている人たちは、呉越同舟の想いでしょうね。
その間に、内陣右に安置されている地蔵菩薩、左に鎮座している弥勒菩薩(みろくぼさつ)を眺めたり、欄間の来迎二十五菩薩を見上げたりするのですが、どうしても、中央の前立本尊に目が移ってしまうのです。
信州善光寺を創建したとされる本田善光(よしみつ)と、妻の弥生、息子の善佐(よしすけ)の三卿像が、前立本尊の右後方に祀られていることは、新幹線の車内でガイドブックを読んで知ったくらいです。
やっとこさ、金色に耀く厨子に安置されている前立本尊に参拝です。
絶対秘仏とされているご本尊は参拝者に公開できないので、前立本尊が分身仏としてその代役を務めています。
ご本尊の弥陀如来は、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩(せいしぼさつ)を脇侍(きょうじ・わきじ)として、ひとつの光背の中に立っておられます。これが名前の由来になっています(善光寺御開帳ガイドブック他)。
南無阿弥陀仏を3回唱えて、お焼香を終え本堂を出ます。境内は土砂降りの雨になっています。
雨中の山門を見上げていると「羅生門」(監督:黒澤明)の土砂降りのシーンを想い起こし、重要文化財に指定されている山門は、御開帳に併せて公開していたので拝観してから、仲見世通りにある店で朝粥を摂ることに。
信州善光寺の出開帳(でかいちょう:他国へ出向いて行う御開帳)に前立本尊と同行した釈迦涅槃像(しゃか・ねはんぞう)が安置されている世尊院(せそんいん)、通称「釈迦堂」の参拝を忘れていたので、引き返す羽目に。現在行われている御開帳は、国許で行う「居開帳」(いかいちょう)です。
というのは、釈迦堂の前にも本堂の回向柱より小さい回向柱が建立されていたからです。
お釈迦さまは「この世」の、阿弥陀如来さまは「あの世」の幸せを約束するとされ、両方の回向柱に触れることによって、現世と来世の結縁(けちえん)が出来ると信じられているからです(同上)。
釈迦堂前の回向柱に触れて、南無阿弥陀仏を3回唱えてから釈迦涅槃像を拝観します。
昨日は参拝者の行列がありましたが、待たずに参拝できたのは、前立本尊を参拝したご利益かも知れないなどと考えながら帰途に着きます。
土砂降りだった雨も小雨になり、徒歩で長野駅に向う途中で巡回バスが来たのでそれに乗り、駅に着いたのは9時50分。10時2分発、上り長野新幹線に間に合います。途中でバスに乗ったことが良かった。
なにはともあれ、4時間近い信州善光寺の御開帳参拝は、想い出に残る初体験になりました。
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