諏訪大社下社・春宮のお舟渡しを見学した8月1日、「万治の石仏(せきぶつ)」に出会い、お参りした縁で、弾誓(たんぜい)を初祖とする作仏聖(さくぶつひじり)を垣間見て、その一部を書いてきました。
「万治の石仏」の出自は、『謎の石仏-作仏聖の足跡』(宮島潤子著)で解き明かされています。
その著書に掲載されていたのが、大正15(1926)年に撮影された下原念仏講による供養の模様です(写真)。
「浮島の阿弥陀(あみだ)さま」と呼ばれ敬われていた「万治の石仏」の前左右には、石灯篭があります。
右側の灯篭の笠(かさ)は左にずれているのか、破損しているのか判読できませんが、火袋(ひぶくろ)から落ちそうな状態です。この石灯篭は撤去されてしまい、今は見ることが出来ません。
「あみだ様」の前に座り融通念仏を唱えている下原念仏講中は14人。1人100回念仏を唱えると1,400回になります。つまり、14人で唱えて溜めた念仏を講中が融通し合い、それに見合った数だけ願を掛ける訳です。
ここで言いたいのは、「あみだ様」を拝む「しきたり」です。
「万治の石仏」の前には、お参りの仕方を説明した看板があります。
1. 正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。
2. 石仏の周りを、願い事を心で唱えながら、時計回りに三周する。
3. 正面に戻り、「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。
「あみだ様」に初対面した元気印は、その解説に従って願を掛け、ホットした気持ちで「よろずおさめました」、と報告したことを思い出します。
話しは、積石遺跡に飛びます。
石を積んで塔とする信仰は、我が国では十三重塔や九重、七重、五重などの石造層塔となり、五輪塔ともなる。三段の積石石壇を造った特別の例もある。
この積石石壇は備前(びぜん)熊山(岡山県赤磐郡熊山町)の山頂にあって、謎の積石遺跡といわれてきた、と五来 重(ごらい・しげる)氏は『石の宗教』で述べています。
熊山を山岳信仰の山とするとき、このような岩盤は「盤座(いわくら)」として崇拝される。
「盤座」というのは、その上に山神が影向(ようごう:人間の願い事を聞くために、この岩に神が出現)するので影向石とよばれ、山神を護法善神(ごほうぜんじん)とする場合は護法石とよばれる。一種の自然崇拝であるが、そこに神が実在すると見る自然崇拝である、と著しています。
熊山山上の積石石壇がこの盤座の上に築かれたのは、二つの意味があると思う。
一つは、舎利(しゃり:遺骨)を蔵する塔をもっと神聖なる石の上に建てるということであり、もう一つは、この塔を回るためである。修験道の山には「行道岩(ぎょうどういわ)」というものがあって、そのまわりを回る行(ぎょう)がある、とも述べています。
下諏訪観光協会、下諏訪商工会議所が薦めている「万治の石仏」のお参りの仕方は、おそらく、「行道岩」のまわりを回る修験僧の行がヒントになっている、と勝手に解釈しています。
「あみだ様」の前に正座して念仏を唱えるのが由緒ある参拝ですが、石仏(いしぼとけ)の周りを、願い事を心で唱えながら、時計回りに三周するお参りも今風で良いと思います。行道の間は、断食断水を伴う苦行だからです。
「ちょっと、待って。それは、正しい参拝の仕方を知ってからのことです。わずか80数年前の参拝方法を忘却の彼方へ追いやってしまう。350年前に安山岩を刻んだ願主の志を尊重し、それを後世に伝承するためには、温故知新の材料を残す心がけは欠かせませんよ」
ボケ封じ観音さまは、苦言を呈します。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行くでは、先人達の立つ瀬がありませんね。下原念仏講中と同じ参拝はしなくても良いのです。大事なのは、その心を忖度して三周する心配りなのです」
「彫刻・万治の石仏」として下諏訪町の文化財となった「石仏(いしぼとけ)」、こと、「あみだ様」の気持ちをボケ封じ観音さまは代弁すると、西の彼方へ消え去るのです。
「万治の石仏」の出自は、『謎の石仏-作仏聖の足跡』(宮島潤子著)で解き明かされています。
その著書に掲載されていたのが、大正15(1926)年に撮影された下原念仏講による供養の模様です(写真)。
「浮島の阿弥陀(あみだ)さま」と呼ばれ敬われていた「万治の石仏」の前左右には、石灯篭があります。
右側の灯篭の笠(かさ)は左にずれているのか、破損しているのか判読できませんが、火袋(ひぶくろ)から落ちそうな状態です。この石灯篭は撤去されてしまい、今は見ることが出来ません。
「あみだ様」の前に座り融通念仏を唱えている下原念仏講中は14人。1人100回念仏を唱えると1,400回になります。つまり、14人で唱えて溜めた念仏を講中が融通し合い、それに見合った数だけ願を掛ける訳です。
ここで言いたいのは、「あみだ様」を拝む「しきたり」です。
「万治の石仏」の前には、お参りの仕方を説明した看板があります。
1. 正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。
2. 石仏の周りを、願い事を心で唱えながら、時計回りに三周する。
3. 正面に戻り、「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。
「あみだ様」に初対面した元気印は、その解説に従って願を掛け、ホットした気持ちで「よろずおさめました」、と報告したことを思い出します。
話しは、積石遺跡に飛びます。
石を積んで塔とする信仰は、我が国では十三重塔や九重、七重、五重などの石造層塔となり、五輪塔ともなる。三段の積石石壇を造った特別の例もある。
この積石石壇は備前(びぜん)熊山(岡山県赤磐郡熊山町)の山頂にあって、謎の積石遺跡といわれてきた、と五来 重(ごらい・しげる)氏は『石の宗教』で述べています。
熊山を山岳信仰の山とするとき、このような岩盤は「盤座(いわくら)」として崇拝される。
「盤座」というのは、その上に山神が影向(ようごう:人間の願い事を聞くために、この岩に神が出現)するので影向石とよばれ、山神を護法善神(ごほうぜんじん)とする場合は護法石とよばれる。一種の自然崇拝であるが、そこに神が実在すると見る自然崇拝である、と著しています。
熊山山上の積石石壇がこの盤座の上に築かれたのは、二つの意味があると思う。
一つは、舎利(しゃり:遺骨)を蔵する塔をもっと神聖なる石の上に建てるということであり、もう一つは、この塔を回るためである。修験道の山には「行道岩(ぎょうどういわ)」というものがあって、そのまわりを回る行(ぎょう)がある、とも述べています。
下諏訪観光協会、下諏訪商工会議所が薦めている「万治の石仏」のお参りの仕方は、おそらく、「行道岩」のまわりを回る修験僧の行がヒントになっている、と勝手に解釈しています。
「あみだ様」の前に正座して念仏を唱えるのが由緒ある参拝ですが、石仏(いしぼとけ)の周りを、願い事を心で唱えながら、時計回りに三周するお参りも今風で良いと思います。行道の間は、断食断水を伴う苦行だからです。
「ちょっと、待って。それは、正しい参拝の仕方を知ってからのことです。わずか80数年前の参拝方法を忘却の彼方へ追いやってしまう。350年前に安山岩を刻んだ願主の志を尊重し、それを後世に伝承するためには、温故知新の材料を残す心がけは欠かせませんよ」
ボケ封じ観音さまは、苦言を呈します。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行くでは、先人達の立つ瀬がありませんね。下原念仏講中と同じ参拝はしなくても良いのです。大事なのは、その心を忖度して三周する心配りなのです」
「彫刻・万治の石仏」として下諏訪町の文化財となった「石仏(いしぼとけ)」、こと、「あみだ様」の気持ちをボケ封じ観音さまは代弁すると、西の彼方へ消え去るのです。
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