いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

トルコ10日間のたび その6:トロイ城市の木馬と悲劇の預言者カサンドラ

2011-06-19 21:37:08 | 散策
「トロイの木馬」をキーワードにネット検索をすると、コンピューターの安全を破壊するソフトウエアの一つであり、一般的にはウイルスとして認定されている。
しかも、バックドア型、パスワード窃盗型、クリッカー型など数種類あって、その感染経路や予防対策まで解説されています。

このウイルスが侵入したプログラムを普通のプログラムと誤認して操作を実行すると、パソコンに保存してあるデータを削除し、最悪の場合システム自体をも破壊させるウイルスである。これらは、パソコンを習い始めた頃に聴いた覚えがあります。

さて、タイトルにした「トロイ城市の木馬」は、あのホメロスが叙事詩「イーリアス」に描いたトロイア戦争の伝承を信じて、それを「頼りの地図」にして全財産を注ぎ込んで発掘に挑んだハインリッヒ・シュリーマンの業績が残るトロイにあります。

ヨーロッパ側のゲリボルからダーダネルス海峡をフエリーでチャナッカレに。
映画『トロイ』で使用した「トロイの木馬」が展示されているチャナッカレ見学のないバスツアーは、フエリーに同乗してきたバスに参加者が乗り終わると、一路トルコを目指します。

ちなみに、トルコ共和国は81県から成り、そのひとつがチャナッカレ県。
アジアとヨーロッパ側に県域があるのは、イスタンブールと同じですが、ヨーロッパ側にあるゲリボルは「その5」に書いた激戦地で、チャナッカレ県に属しています。トルコ城市遺構は、ギリシャ神話にあるアテナー神殿の遺跡があるアジア側にあって、そこの入口には「トロイの木馬」のモニュメントが建っているのは、ご存知の方も多いでしょう。

木馬に登って、窓から顔を出しVサインをして記念写真を撮っている筈です。この木馬の計は、古代ギリシャの英雄叙事詩のうちトロイア戦争を題材とした詩環(キュクロス)の「小イリアス(ミクラ)」に描かれているようです。というのは、ホメロスの英雄叙事詩は機会を見付けて読む積りだからです。

ところで、トロイ城市の遺構は「ヒッサリクの丘」にありました。
ざっと見学するだけでもこ1時間はかかる遺跡の概要などはガイドブックに譲り、3000年にも亘る、しかも5000年も前の断層(写真:クリックすると大きくなります)が一番印象深い遺跡だったので、その話しをします。

掲載した写真は、トルコ城市遺構見学コースの途中にあり、発掘した地層の年代を表示してある断層を撮ったものです。
表示された断層の年代を左上から順番に説明しますと、下記のようになります。
それらの断層に該当する城市の解説は、ブルーガイド・わがまま歩き34「トルコ」、ブリタニカ国際大百科事典14などを参考にして書きます。

 Ⅸ(第9市):ブルーのプレート 
       BC300~300。ヘレニズム・ローマ時代
       ローマによる再建で、劇場、浴場などが造られた。5世紀末の地震により放棄。
 Ⅲ(第3市):白のプレート BC2200~BC2050。前期ヘラディック文化Ⅲ期。
 Ⅳ(第4市):白のプレート BC2050~BC1900。前期ヘラディック文化Ⅲ期。
 Ⅲ(第3市):白のプレート
       Ⅲ、Ⅳの詳細は不明。停滞又はゆるやかな発展をしているが、人口構成に新要素が加わった兆候は存在しない。
 Ⅱ(第2市):黄色のプレート BC2500~2200。前期ヘラディック文化Ⅰ~Ⅱ期。
       最初の繁栄期。城門、傾斜路などを持つ城郭都市は最後の大火災で破壊された。
       シュリーマンは、この「焼けた都市」から財宝の殆どを発掘した。オスマン帝国の発掘許可を得ないで発掘に着手した1870(明治3)年から3年後のこと。このときは正式
       な発掘許可を得ており、「プリアモスの黄金」と呼ばれている。
 Ⅵ(第6市):右奥上の赤プレート BC1800~BC1300。
       城砦外の南方に火葬墓地があり、骨灰を入れる壷が200残っており、全家屋が破壊されて残骸となり、城壁の上部が破損しているが、火災を伴っていないので、大地
       震によるものと考えられている。

写真の断層の遺構には5居住期しかありませんが、主要な層は1~9層からなっており、さらに46段階に分かれています。そして、各居住層は数段階で発展し、最後に火災や地震で破壊されているけれども、生存者は床に落ちた残骸を清除せずに平坦にならしただけで、その上に新しい家を建てたことも解明されています。

また、第1市~第7市の遺構からは、同時代の記録文書がまったく出土していないけれど、トロイ城市の第1市から第5市までは、初期青銅器時代を通じて文化が断絶せずに存続していたことも、その種の実証研究で分かっています。第6市は青銅器時代の中期とその大部分が後期に属し、第7市は残る後期青銅器時代に属するとも、前記国際大事典に記されています。

シュリーマン没後、科学的な方法で全域を綿密に調査・発掘したシンシナティ大学発掘隊は、第7市a段階がホメロスのトロイ城市であるとしています。第7市の居住層は、a、b1、b2の3段階に分かれており、そのaでトロイア戦争が勃発した訳です。BC1300~BC1250頃になるのでしょうか。

それにしても、僅か数十mの断層には、3000年に及ぶ歴史が埋もれており、今から5000年も前の時代の遺構でした。温故知新という言葉の重さを実感させられた断層でしたから、印象に残ったのです。
これを書きながら、トロイ城市遺構内にある遺跡を解説した看板には、それぞれの遺跡がⅠやⅡであると明記してあったことを思い出しました。


トロイの木馬の計に纏わる話題です。
カサンドラのジレンマとも言われているので、既にご承知の方も多いでしょう。

トロイア最後の王プリアモスの末娘カサンドラは、アポロンの求愛を受け入れ結婚します。
アポロンから「予言能力」を授かる代償として結婚に踏み切ったカサンドラの悲劇の始まりでした。

 「アポロンに弄ばれたあげく、捨てられる自分の運命を予言してしまいました。それを知った彼女は、アポロンの元を去りましたね。当然でしよう」

ボケ封じ観音さまの声が聴こえてきます。

 「激怒したアポロンは、カサンドラの予言は誰も信じないとする呪いを掛けました。彼女の美貌に魅せられ求愛したことなどは、どこ吹く風です」

その反面、アポロンの奸計など露知らずのカサンドラは、父プリモアスらに「アカイア(ギリシャ)軍が攻めてくる」と警告を発し、「木馬の中に兵士が隠れている」とアカイア軍の戦略を明かすのですが、彼女の警告を馬耳東風と聞き流しました。その結果は、史実が証明している通りです。
釈迦に説法を承知で追記します。パソコンのソフトを破壊するウイルス名の由来は、この史実を基にしていたのです。

トロイアの悲劇を予測したカサンドラの警告を無視して国を破滅させたプリモアス王の逸話は、福島第1原発事故をもたらした東京電力株式会社(以下東電)のあり方を連想させられました。

というのは、平成23年6月12日の産経新聞によれば、今回の事故は東電が招いた、不作為による犯罪的災害である、との記事が掲載されていたからです。

国際原子力機関(IAEA)の元事務次長ブルーノ・ペロード氏とのインタビュー記事のタイトルは「東電は神のように尊大」。既読された方もおられるはずです。

1992(平成4)年頃来日し東電を訪れた同氏は、

 1.格納容器と建屋の強化
 2.電源と水源の多様化
 3.水素再結合機の設置
 4.排気口へのフィルター設置

を提案したのですが、東電はなんら対策を採らなかったことが掲載されていたのです。
スイスでは、90年代に格納容器も建屋も二重にするなど、水素ガス爆発防止策を強化した実績を有しており、同じゼネラル・エレクトリック社製沸騰水型原子炉マーク1型を使用している日本にも役立つと考えての提案だったのです。

ペロード氏が悲劇の預言者カサンドラを知っていたかどうか?
元気印には推測の域を出ませんが、今回の犯罪的災害を目の当たりにして、地団太を踏んでいることでしょう。

さらに、元福島県知事佐藤栄佐久氏は、東電の原子力発電に伴う管理の杜撰さを、

 「東電の故障・トラブル等は昭和46年から平成20年の間に161件あった」

として、複数の雑誌で告発しています。

宝島07には、昨年6月17日、福島第1原発2号機では『外部電源遮断』『非常用デイーゼル発電機が作動しないこと』によって電源喪失となり、給水ポンプが停止して、原子炉内の水位が約2m低下するという重大事故が起きている。当時の新聞や東電の発表資料を見ても、事故に軽く触れている程度で、その原因の究明はなし、との記述があります。

このような事は、経済産業省が東電をキチンと監視すべきである等の指摘があり、原子力安全・保安院がその行政処分を担っているのですが、今回の原発事故対応を発表する姿勢には、そのような自覚や認識があるようには感じられません。おそらく事実関係を隠蔽して公表しているのでしょう。

それにしても、今回の事故は、想定外の事故どころか経験済みの事態であったことを知った時の驚きは何と表現したらよいのか。凡庸な元気印には思い当たりません。ただ、ただ茫然自失するだけです。

「東電は神のように尊大」と感じて帰国したペロード氏の提言は、東電から原子力行政に携わっている関係者には伝えられた、もしくは伝聞として承知していたでしょう。しかし、「原子力は安全」とする神話を金科玉条とする人達には、スイスの防止対策を他山の石とするだけの腹が据わっていなかった。村八分にされる危険を冒してまで、議論することは避けていたから。これらは元気印の勝手な判断からくる推測であることをお断りしておきます。

いずれにしても、6月20日からウイーンで開かれる閣僚級会合において、福島第1原発の事故解明は客観的な立場で議論されることを期待しています。

「安全神話」にどっぷり浸かっている原子力村を構成する行政機関、学会、各種業界、金融機関、など、などで、原子力に係わる関係者達が共有する神話は木っ端微塵に粉砕され、日本の原子力行政が新しい民話の下で執り行われる日が到来するのを待つだけです。


「ウイーンでの閣僚級会合は、悲劇の預言者カサンドラにはなりませんよ」

ボケ封じ観音さまの予知能力に希望を繋いで、本稿を終えます。

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1 コメント

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Unknown (ohwaki)
2011-10-18 21:16:00
当時の管理責任者・実務責任者のお考えを聞きたいものです。
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