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かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

ポール・ヴェルレーヌの詩

2017-06-05 | 気ままなる日々の記録

これも高校時代の国語の時間に習った詩である。まず詩を思い出すままに書いてみます。

  秋の日の ヴィオロンのため息 

  身に染みて  ひたぶるにうら悲し

  鐘の音に 胸ふたぎ 色変えて

  涙ぐむ 過ぎし日の 想い出や

  げに我は うらぶれて ここかしこ

  定めなく 飛び散ろう 落ち葉かな《ベルレーヌ作 上田敏訳)

堀口大学さんの訳もあるようです。

  ベルレーヌはユダヤ系ドイツ人で、本人がユダヤ系であることを隠そうと幾つものペンネームやファミリーネームの書き換えをやってたようで、

 詩の底流にある深い悲しみは、案外その辺に大元があるのかも知れません。

 しかし、この悲しみこそセンチメンタルの根源で青春につながるような気がします。オソマツ君も高校時代誰かに勧められて覚えたような気ががします。

 突然この詩の一部を思い出し、忘れた部分が気になって、やっとネット検索で調べたところです。

 左半身不随になって、特に最後の二行が身に沁みます。しかし、こんなことを云うとベルレーヌに叱られそうですのでどうか御内密にお願いします。(T)

 

  


藤村の詩です。

2017-06-03 | 気ままなる日々の記録

 

昨日またかくてありけり         今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)      明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の          消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば          砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り          岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ           百年もきのふのごとし
                   (百年(ももとせ)もきのふのごとし)

千曲川柳霞みて             春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて         この岸に愁を繋ぐ
                   (この岸に愁を繋ぐ)

私の好きな部分は

 嗚呼古城なにをか語り          岸の波なにをか答ふ
 過し世を静かに思へ           百年もきのふのごとし

です。丁度今NHKスペシャル取材班編著「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を読んでいるからかも知れません。それにしても、のんびりと、信州に遊び、こんな詩を書き

濁り酒濁れる飲みて 草枕暫し慰む。ですから羨ましいかぎりです。以上凡人の浅ましき感想です。シツレイしました、(T)

    

                                                  水が入り始めた田

 

 

 

 

 


アメリカの大統領トランプ氏について。

2017-06-02 | 気ままなる日々の記録

   アメリカファーストをかかげて大統領になったトランプ氏について、日本のマスコミは最近になって驚き、梯子を外されたように大騒ぎしているが、 僕はそれほど驚いていない。始めから分かっていると云った感じだ。

  僕は若い頃レンタカーでアメリカをフラフラした経験があるのでアメリカと云う国の「底の浅さ」をよくしっているからだ。

 「アウトオブデトロイド」というところでは白人街と黒人街の間には銃を持った警察官が並んでいたし、 職業として交通事故の被害者になって、家族を養っているという人たちがいることも知っている。決して伝統文化を誇る市民国家ではない。その点、イギリスと対照的だし、我が国の対極にある国と云えよう。

   地球温暖化防止のため各国が二酸化炭素排出量を規制しようというパリ条約からも脱退するという。

 アメリカと中国が共同歩調で難しい利害調整をしてやっと成立させたこの条約から脱退するということ自体参加各国に対する裏切りである。 たとえその条約を結んだのが民主党政権であっても、国としての人格に似た法人の様な責任がある。其れをトランプさんのようにあっさり破棄しては、とても、国際社会のリーダーたりえない。

 アメリカに指図されない外交権を確保し、独自の優れた外交官を育て、戦争をしない国になるよう歩み始めるべきだろう。トランプ氏は日本に米軍駐留費を請求すると云っていたこともあった。アメリカと云う国はスキャンダルを仕掛けて同盟国の政権を倒すということをする国である。このこともわすれないようにしたいものだ。(T)

    

                                                  蓮池にて  ドクダミ                        

 

 

 

 

 

 


真夜中の訪問者

2017-06-01 | 気ままなる日々の記録

   真夜中私の部屋のドアーがスーッと開いた。主人やケアーさんの場合、必ずノックをする。間違いと思いやり過ごしていたら、また、音もなく開いた。時計を見ると午前2時半である。それから、二度も三度も開いた。

   夢の中にいるのかと思ったが、念のため廊下に出てみると、キチンと洋服を着た白髪の老婦人が立ってみえる。「何階にお住まいですか?」と尋ねると「5階や6階位にいたことがあるが、昨日入ったばかりで分からない」とおっしゃる。分かるようで分からない話である。要するに自分の部屋へ帰れないのである。私の手には負えないと、ケアーさんを呼んだ。3階の部屋の方だった。

 四年前にも同じことが起きたことがある。私は難病に罹り市内の割合大きな病院に入院していた。重症にもかかわらず、治療方法はくすりを飲むのみということで、4人部屋に入っていた。

 或る日の夜中、大きなドスンと云う物音とその後同室の患者さんの「どうしたの?血だらけだよ・動いたらダメ。看護士さんを呼ぶから。」と云う言葉で目が覚めた。確か70歳前後の方だと思ったが、「私今どこにいるのか分からない」とわめいていた。点滴を受けている最中、出かけようとし、つまずいて転び、点滴の針が抜けてしまったようだ。看護士さんにひどく叱られていた。

 主人も一度だけ寝ぼけて真夜中私の部屋へきて、「今何をしたらいいのか」と聞いたことがある。私が「寝ればいい」と答えると、やっと寝ぼけていたことに気付いたという。

人間の脳は時々不思議なことを思うらしい。(E)

   

                                    前庭にて  テッセン