オソマツ君は月、水、金と40分のリハビリがある。これがどうにも面白くない。自転車こぎから、
杖をついての歩行訓練とか、いろいろやらせられる。
これらのリハビリをしている人は女性も多い。
女性は出産の度にカルシユウムを赤ちゃんに取られて自分の骨がもろくなっているときいたことがある。
オバアチャンはストレートに「こんなことやりたくない」と云い張って理学療法士を困らせている。
かくいうオソマツ君も「君たちは地獄の赤鬼だ」と27~28の女性療法士にいう。
介護保険がスタートしてかっての針灸マッサージ士が理学療法士となって国家試験まで実施して、合格者が老人ホームに配属されている。国家試験でどんな問題を出しているか知らないが、
「学習意欲を向上させるための指導法」のようなものは軽視され、筋肉の名前や神経の分布を覚える試験をしていることだろう。
日本人はどうも歯を食いしばって何かをすることが好きらしく、
「楽しく成果を上げたら、罰が当たる」という考え方が一般的らしい。
思えば寒中に裸になって、滝の水に打たれて何か盛んに呟くとご利益があるというような信仰がある。
奇妙なことだ。ヨーロッパで激寒に裸で雪の上で寝転がる遊びがあるが、
あくまで、「遊び」だ。決して修行やリハビリ等の医療行為ではない。
日本独特の精神主義的な「修行」が生まれたのは何時からだろうと、しらべたことがある。
奈良時代の後期に「エンのオヌル」とかいう人物が出て彼は比叡山で修行中に深い谷へ舞い降りたり、崖の上まで飛び上がったりできるようになったといい、
それを「天狗」になったと云ったらしい。
例のスパルタ式訓練は天狗になるための所業と考えられるようになったらしい。
どんな場合もそうだが、何か新しいことを始めようとするとき先ず財源を確保し、
その後「支払い基準」を決める。このときは砂糖に蟻が群がるように、色々な団体が入ってきて支払い基準をつくる。
ここに、消費者の代表が入らないのが特徴で、
お金を受け取る方が集まって「支払い基準」を作る。
これが官僚型社会主義だ。
いい例が医療の支払い基準だ。名医が診察しても今年医者になったばかりの駆け出しが診察しても診療報酬は同じだ、
これでは、医者の学習意欲は湧いてこない。
消費者の評価が対価に影響しない、システムだ。
アメリカで民主党が国民皆健康保険を実施しようとしたとき共和党が「そんなことをしたら日本のように医療が荒廃する」といって反対したことがあった。
「日本医師会」は当時強力な集票力を持っていたので。政権与党も折れざるを得ず、
画一的な機械的な支払い基準に妥協した。これらのことは 本当に難しい。(T)
散歩道で モクレン。