かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

初心に帰って

2015-02-16 | 気ままなる日々の記録

このブログを始めたころ、師匠に教えて頂いて作った画像。「もう少し井戸の底の水の部分(蛙の下の白いところ)を多くするように」とご指導いただいたのにごちゃごちゃになって修正できないまま今日に及んでいます。「右脳視床下部内出血によって左半身不随」になったとき、丁度落とし穴で古井戸に落ちてしまった感じと私が何度も師匠に云ってこの絵の構想が浮かんだことを覚えています。今も同じ気持ちですが、この蛙さんのように目に力が入っていません。虚ろな眼差しの蛙です。宇宙の大神の思召すままに!

追記:私のリハビリを担当して下さっている若い理学療法士の方がこの写真を見て「ワー、可愛い!」とおっしゃった。「これは、古井戸に落ちて絶望している私の姿です。この井戸は私の家のものです。」「え~。オソマツさんの家には井戸があるんですか?」と目をパチクリ。「ギャフン、最近の家には水道が引いてあるから井戸はないのだ!」私は「井戸のある家で育った化石的人間だ」、それはそうとして、最近の若い人は可哀そうに、井戸で冷やした西瓜の美味しさを知らないのだ!

 昨日も市役所の係りの人が私に面談に来ました。そこで私は敬意をこめて敬礼をし、「これは何だかわかりますか?」と聞いたら「わかりません」とのこと。そこで、「これは、旧陸軍式敬礼です。上官に向かってする敬礼です。海軍式敬礼はこう、上官が部下にする敬礼はこう」とやって見せてあげた。落としどころは、「私は最近家内に向かって最初の敬礼をしています。」というもの。「何一つ自分ではできませんので家内が手伝ってくれますので・・・・」市役所の若い女性職員、一呼吸置いてからやっと笑ってくれた。まさに、オソマツでしたの巻でした。

「脚注」「井戸で冷やした美味しい西瓜」とは?、まず井戸で冷やした西瓜とは、大きな西瓜のことである。冷蔵庫に入るような西瓜はみな小さい。大きい西瓜を大きめに切ってかぶりつくと顔が西瓜に埋まってしまう感じになって西瓜の香りから甘い果汁全部をほっぺで味わって戴くことになる。その美味しさは小さなスイカを細かく切って冷蔵庫で冷やしてちまちま食べるのとは比較にならない。オソマツ君は子供の頃、真夏の昼下がり毎日井戸で冷やした西瓜をガブガブ頂き、お腹いっぱいになって、井戸水で顔を洗っていた。西瓜とは豪快に食べてこその西瓜である。この西瓜は朝、洗って、網の袋に入れ、ロープに縛って静かに井戸の水面まで下しておいたものである。