かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

山歩きの友人と「伊勢・志摩」をチョット歩いてきました。

2013-08-31 | 気ままなる日々の記録

 敗戦直後の国語改革は間違いだったと考え、ずーっと旧漢字と旧仮名遣いしか使わない友人の企画。目的地は「皇大神宮別宮 瀧原宮」と志摩半島の最高峰「青峰山(標高336m)」山頂近くに建つ「正福寺」および九鬼水軍の本拠地「答志島」(泊)散策。

                                     

                                     

 ここで「告白」。もちろん愛用のオリンパスカメラを持参し、盛んにシャッターボタンを押してきたが、いざ画像を取り込もうとしたら「SDHCカード」が入っていなくて残された映像はゼロ。慙愧の念に堪えない。やむなく受け取ったパンフレットからスキャンしている次第です。

 上の地図で手書き地名を丸で囲んだところが主な目的地です。移動は主として車、残りは徒歩。下の写真が「瀧原宮(たきはらのみや)」。社伝のよると第11代垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が皇祖神御鎮座の地を求めて宮川流域をお進みになったとき各地でいろいろな神のお出迎えを受けられますが、その一つに「大河の瀧原の国」という麗しい土地に迎えられ、この地の草木を刈って新宮をお建てになったのがこの宮の起源だそうです。この宮の祭典には現在も皇室から幣帛(へいはく)が奉られているそうです。

 答志島の宿はいわゆる民宿で、主に海釣りを楽しむ太公望たちの宿のよう。この宿の大将は釣り船を持つ漁師で、その日の朝水揚げされた、ハマチを始めとして沢山の魚介類を山盛りにした「舟盛り」が2杯も出され堪能した。ただ、個人的には、刺身はよく切れる包丁で美しく切ってあってこそ旨みも増すと思われるのだが、この宿の包丁は切れが悪く、切り口がゴテゴテしていたのが残念。今度お世話になるときは刺身包丁をプレゼントしようかなとも思った。

 答志島には古墳の跡もあり、もう弥生時代から人々が住んでいたとか、九鬼水軍ゆかりの地も巡った。二日目の連絡船は快適でした。答志島桟橋港から乗船して、答志島のもう一つの港によって鳥羽を目指しました。終始甲板にいて、オゾン一杯の海風を胸いっぱいに吸い込む。すると全身に鮮血が流れ、体の隅々まで精気を取り戻す感じでした。

                      

 鳥羽に戻った我々は喫茶店へ。そこでメンバーの一人がウエイターに言いました。「おじょうさん、私たちは愛知県の一宮から来たんだけど、帰るにはチョット
早いんだわね。でもこの辺の有名なところは全部行ったことがあってさあ、ほんでさ、地元の人しか知らないところで、たとえばお嬢さんお薦めのお社とか見晴らし台とかないもんかねえ。教えてほしいんだけど」。この子がまた素敵な子で、お薦めの神社の名前を云った後、地図を探して駆け回り、持ってきてくれたのが上の地図。

 お薦めのお社は地図に丸印がついている「彦瀧神社」。サブタイトルが「小さな瀧をお祀りした」というのが日本的で縄文の香りがして素敵。事実、森の中に神がおわします雰囲気充分ないいお社でした。(沢山写真を撮りましたが残念)。失礼しました。