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2020-07-28 | Weblog
週末の7/25は、Rosalind Franklin生誕100年記念日でした。Franklinは私が生まれる前に亡くなっていますし、DNA構造の解明でワトソン、クリック、ウィルキンスがノーベル賞を受賞したときも私はこの世に存在していませんでした。だから、私にとって、すべては伝説の世界であり、後年のクリックの分子生物への大きな功績ですら、教科書で知ったぐらいです。唯一リアルタイムで記憶があるのは、ヒトゲノムプロジェクトのときのワトソンぐらいです。そのワトソンも近年、人種差別発言でバッシングを受け評判を落としたのは残念です。

DNA double helixの発見が、その後の分子遺伝学の爆発的発展のきっかけであったのは間違いないと思います。DNAが二重鎖をつくる分子であるという性質から、蛋白質ではなく核酸が情報を伝える遺伝物質であると推論され、そしてそれが証明され、その後のセントラルドグマを始めとする遺伝の仕組み、遺伝子発現の仕組みの概念が確立されていきました。

その分子遺伝学という広大な川の流れの源泉となった発見に、もっとも大きな寄与をしたのは、思うに、フランクリンではないでしょうか。きっと、大勢の人も考えたことがあると思いますけど、フランクリンが若くして亡くなることがなければ、今の世の中はどうなっていただろう、という仮定の疑問は折々に、つい考えてしまいます。もしフランクリンがもしあのとき亡くならず長生きしていれば、ウィルキンスとクリックは2004年まで存命でしたから、あのノーベル賞は少なくとも1962年には与えられなかったのは間違いないでしょう。あるいは、もし、ノーベル賞委員会が故人にも賞を授与することにしていたら、提案に沿って、ノーベル医学賞をワトソン、クリックにノーベル化学賞をウィルキンスとフランクリンに分けて全員の功績を称えることになっていたかも知れません。いずれにしても、フランクリンの功績が広く認識されていれば、その影響は大きかったのではないかと思います。無論、マリー キューリーやバーバラ マッキントクというようなアイコニックな女性研究者のノーベル受賞者はおりますが、フランクリンは分子遺伝学という自然科学のもっとも大きな流れの源流にいた女性研究者ですし。

かりに、長生きした場合に、フランクリンが引き続いて大きく科学の発展に寄与したかどうかは知る術もありません。しかし、もし、あのノーベル賞があのタイミングで授与されていなかったら、分子生物学の発展もヒトゲノムプロジェクトも遅れていたかも知れません。また、ひょっとしたら、フランクリンは、女性科学研究者のアイコンとして、現在もアカデミアに根強くのこる性差別や人種差別の撤廃が進んでいたかも知れません。

フランクリンが生まれ、遺伝物質が何かさえわからない、という時代があって、折々にターンニングポイントとなるような発見がなされた結果、爆発的な分子遺伝学の進歩を遂げた現在まで、たった100年しか経っていないということを思うと感慨深いものがあります。人間一人の人生は短く、人はあっという間にこの世をさっていくのに、人類全体で同じ時間をかければ、壮大な知の集積、テクノロジーの進歩が実現されるのです。(必ずしもそれが人類や地球にとって良い結果を招いてきたわけではないですが。)

フランクリン生誕100年を機に振り返り、歴史の厚みとそこに織り込まれた無数の人々の人生を思っては、ちょっとロマンティックな気持ちになったのでした。


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