百醜千拙草

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訃報

2020-11-10 | Weblog
思わぬ訃報に接してしばらく落ち込んでおりました。不義理の挽回と恩返しの機会を永遠に逸してしまったという後悔、生命の儚さの実感、などが渦巻いて、ちょっと無気力になっていました。意外にも、若い時よりも訃報に際して、気持ちの動揺が強くなっているように感じます。若い時には、少なからずの病気や事故で亡くなった人と関わったり、父が急逝したりで、キューブラー ロスの本や多少の仏教書なども読んだりしたものでしたが、思うに、死をわがこととしてその体験を味わうということが未熟すぎてできていなかったのだろうと思います。
どのような最後だったのだろうと想像するのは辛いです。なんとなく想像がつくので、想像しないようにしています。

昔のアメリカの古いポップスの"Too Young"という有名な曲で「大人たちは、お前たちは愛し合うには若すぎると言った。お前たちにとって愛というのは、ただの言葉に過ぎず、その本当の意味を理解するには若すぎるのだ」という一節がありますけど、「死」についても、その本当の意味は、自分がいつ死んでもおかしくないような年齢になってからようやくわかるのかなあ、と思ったりする次第です。

死ぬことにしても、病気の苦しみにしても、さまざまな喜びや悲しみにしても、わが身に重ね合わせられるようになることは成熟の印なのだろうとは思いますが、成熟とは自らの死への接近を実感することでもあるのでしょう。セネカではないですけど、遅かれ早かれ、人はみな、人生はあっという間に過ぎ去ったという実感とともに、地上を去っていきます。それを想像できるような年になってしまったのだと思います。「人生は短くて、あっという間にお前は死んじゃうんだぞー」仮にセネカにそう言われても、多分、「そうだな、ま、いいよ」と答えるのだろうなと思います。

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