百醜千拙草

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都市の老化問題

2007-08-28 | Weblog
しばらく前にミネソタを流れるミシシッピ川に架かっていた橋が突然崩壊し、数多くの犠牲者が出たという事件がありました。当初はテロではないかという話もあったようですが、現時点では橋の構造的な欠陥による自然崩壊という説が有力なようです。この大きな橋を使って、ツインシティーであるミネアポリスとセントポールの間を通勤の人々が毎日、長年に渡って行き来してきたわけです。橋の崩壊に遭遇した人は、よもや橋がいきなり崩れるとも思っていなかったでしょうから、青天の霹靂の心持ちであったでしょう。その後アメリカ各地でこの橋と同様の工法でつくられた橋についての懸念が巻き上がり、多くの都市で橋の構造の再点検が計画されています。地震の少ないアメリカでの建物の寿命は長く、ニューヨークのマンハッタンのビル群は100年以上前に建てられたものも少なくありません。新天地アメリカへの移住が爆発的に増え出したのが1800年代終わりですから、そのころに多くの建物が建造され、当時の新築のビルがそろそろ耐久年数に到達しようとしつつあるわけです。マンハッタンの地下には水道管、スチームパイプやガス管が張り巡らされています。そうした普段目に見えないものにもあちこちで劣化がはじまっており、実際ガス管やスチーム管が爆発して通りの真ん中から蒸気が吹き上がったとかいう事件もちらほら聞きます。また各地で高速道路の高架などの金属部分が落下して事故になったとかいう話も最近よく聞きます。つまりアメリカの大都市のインフラストラクチャーがそろそろ寿命に近づいているのではと思われるのです。人間であれば老化というものは何ともしようのないもので、いくら最新医学で頑張っても人を若返らせることはできません。都市も同じではないでしょうか。マンハッタンのような人工的な街が建造されたころは、その建物が百年以上後にどういう状態でなって、そのころに起こりうる問題にどう対処するかなどはおそらく考えられはしなかったのではと想像します。事実、田舎のアメリカの都市では、建物が古くなったら、それはそのまま放っておいて、違う場所に新しい建物を建てるというように、まるで焼き畑農業のように土地を使っていました。古くなって使いものにならなくなったビルのその後のことまで考えていないわけです。しかしニューヨークみたいに経済的機能が集中している場所では、建物が古くなったから、マンハッタンを打ち捨てて、ニュージャージの山手に引っ越すというわけにはなかなかいかないでしょう。そうすると、当面は寿命がきた部分をその都度応急手当して回ることになるのだと思います。果たしてそれでずっとやっていけるのでしょうか。こうした老朽化は都市のあちこちで同時進行してきたのですから、不都合は一気に噴出しそうです。
50-60年前の豊かなアメリカでは、人は大量に消費し、巨大な家に住み、1ガロン3マイルしか走らないキャディラックに乗って、空気を汚染し、環境をどんどん破壊し、それでも50年後のことなど気にもとめず、豊かさを享受していました。日本はそのアメリカをそのまま手本とし、10年遅れで後を追ってきました。そのアメリカの都市がそろそろ老年期に入ってきて、刹那的な快楽に溺れていたころのツケを払わねばならぬ時期に来ているように感じます。残念なことにツケを払わされるのは豊かさを享受してきた時代の人間ではなく、その次やそのまた次ぎの世代なのです。これはアメリカに限りません。地球規模で、温暖化が進み、ベニスは沈没し、毎年300種の生物が絶滅し、大型魚類は化学物質の汚染が激しく危険で食べれなくなってきているのです。こういったFiascoをつくり出した世代ではなく、その子供や孫の世代が借りを返さねばならないというのはどうも釈然としないものが残ります。そう思うのも因果応報という人間の世界の考え方に縛られているせいでしょうか
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