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日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

イギリス UK

2007-08-05 | 世界地理
イギリスは連合王国 

イギリス(United Kingdom of Great Britain & Northern Ireland)はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4国の連合体である。4国のうち、ウェールズは独自の文化の色が濃い。イギリスの国旗には、ウェールズを除いて、イングランド、スコットランド、北アイルランドの3国の国旗を重ねたデザインである。なお、この国旗は左右対称ではないため、上下・左右を誤って飾ることがある。正しい掲揚方法は難しい。

イングランド

イングランドは人口5,000万人、グレートブリトン島の大半を占める。面積13万k㎡である。
1536年にイングランド国王ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンと離婚した時、ローマ法皇はカトリックの教義に反するとしてヘンリー8世を破門した。ヘンリー8世は、ローマ法皇に対抗して英国教会をつくりあげ、カトリックの所有する英国内資産を没収した。
英国教会はイングランドの国教であり、牧師の給料は国費である。イングランドの国教徒数は、現在700万人、実質200万人である。英国教会はイングランド以外にはほとんど見られない。
イングランドでは法的に信教の自由が認められている。しかし、キリスト教そのものへの信仰心が薄れ、英国教会かキリスト教諸派かは問題にされない。イスラム教徒の移民増加の方が大きな問題である。
なお、イングランドの国歌は、「God Save the Queen」である。

スコットランド(1707年併合)

300年間、イギリスからの独立運動を続けてきたスコットランド民族党の勢力が拡大、スコットランド議会における第1党となった(2003年。さらなる自治権を得、将来はスコットランドの独立をめざしている。
スコットランドの人口は512万人、面積は78,768k㎡である。スコットランド語と英語が公用語である。宗教は、プレスビテリアンが最も多く、次いでカトリックである。イギリス国教徒はごく少数である。
なお、スコットランドの国歌は「Flower of Scotland」である。

ウェールズ(1284年併合)

ウェールズは人口300万人。学校教育では、伝統的なウェールズ語と英語が、ともに公用語として履修される。学校段階にも、ウェールズ文化が残った。
歴史的には18世紀のウェールズ語訳聖書はウェールズ人の愛国心を高めた。19世紀にはウェールズから英国教会がなくなり、カルヴァン派メソジスト教会が優勢になった。ウェールズ文化が、イングランド文化に侵略されることはなかったのである。自治政府の権限も強化され、ウェールズ議会が発足した。
なお、ウェールズの国歌は、「Land of My Fathers」である。

北アイルランド

北アイルランドはイギリス植民地である。面積14,139k㎡、人口168万人。英語とスコットランド語が公用語である。イギリス系プロテスタントが多数を占める。かつてIRAのテロ活動がイギリス政府を悩ませたが、イギリス政府とカトリック団体との和平交渉が進み、北アイルランドに自治政府をつくることになった。




北海油田
北海の大陸棚地下に海底油田が存在することは、第2次大戦中から分かっていた。海上に掘削船を静止して、200mの海底から、地中に1,000m以上のボーリングをする、その技術的困難さと高コストのため、1970年までは海底油田の具体的開発計画はなかった。
1973年の第1次石油危機で、国際原油価格が1バーレル1~2円から15~20円に値上がりし、北海油田の採算の見込みがでてきた。
イギリスが中心になり、技術的困難を乗り越えて海底油田の掘削をした。
北海油田最大のエコフィスク油田は、ノルウェー領海内である。イギリスはエコフィスクから海底送油管でミドルスブラまで原油を運んで精製している。エコフィスク油田からは、イギリスはノルウェーから原油を輸入する形になって、ノルウェーは、イギリスから原油輸出収入を得ることができた。ノルウェー国民の一人当たりGDPは世界のトップクラスになった。
イギリス領海ではフォーティーズ油田が最大である。原油はアバディーンまで海底パイプラインで運ばれた。スコットランドの経済的発展の基礎になった。
イギリスはOPECには加盟していない。OPECのような不当な価格操作をしないので、北海原油の輸出価格は高値で安定している。イギリスの原油輸出額は年間150億ドル、約2兆円である。
北海油田で現在の生産量を維持し続けると、10年以内にほとんど全部の油田が枯渇する。現実に枯渇した海底油田がいくつかあるが、老朽化したプラットフォームや掘削設備をどのように処分するのか、適切な処分方法が決まらず、放置されている状態にある。



イスラム移民は、イギリスの下層社会
2005年7月7日朝のロンドン。満員の地下鉄車両が3か所で同時に爆破された。2階建バスも同時刻に爆破された。このロンドン同時爆破事件により、56名が死亡した。
監視カメラの解析から、イスラム移民労働者の子弟4人による自爆テロであることが判明した。テロリスト4人は、すでにイギリスの市民権を得て、通常の日常生活を送る若者であった。4人の実行犯は、少額の報酬をもらい、時限爆弾入りのリュックサックとは知らずに、地下鉄に運び入れた。結果的に自爆テロ実行者になってしまった。
4人の若者をテロリストに仕立てた黒幕イスラム系3人の男が、2007年3月22日にロンドン警視庁に逮捕された。年齢が23歳、26歳、30歳ということ以外は公表されていない。泥沼化長期化したイラク戦争に悪影響があるためである。

地下鉄テロの原因として、次のようなことがいわれた。
①イギリスのブレア政権が、ブッシュ米大統領が始めたイラク戦争に、7,000人以上を派兵するなど、積極的に協力している。
②ロンドンの人口700万人のうち400万人が移民労働者とその家族である。イスラム系は200万人であり、最も賃金の安い仕事を与えられているか、失業中である。
③移民がイギリス市民権を得ても、イスラム教徒は、生活費にもならない低賃金労働を強いられる。



2005年7月7日のテロに対し、イギリス政府中枢のネオコンは、次のように言った。
イスラム教徒がいかに卑劣なテロを実行しようが、イギリスはイラク戦争から撤退したり、テロリストとの戦いを見直すことはない。最終的に、イスラム原理主義の敗北になるように、現在の戦略を強化していく。

アンドラ公国 Principality of Andorra

2007-08-04 | 世界地理
スペイン(司教)とフランス(大統領)の共同支配は1993年に終了
アンドラ公国はピレネー山中にあり、人口7万人、面積468k㎡の小国である。10世紀以降、スペインのウルヘル司教とフランス国王が、「対等の宗主契約」を結び、徴税・裁判については、対等の共同領主になっていた。
1993年、アンドラの新憲法がアンドラ国会と住民投票で承認され、アンドラは主権国家として独立した。フランス大統領及びウルヘル司教には象徴的権利だけが残された。1993年7月、アンドラ公国は国連に加盟した。
EUには未加盟であるが、国内の通貨としてはユーロが使用される。アンドラ公国の公用語は、スペイン語系でイタリア語の混じったカタルーニャ語である。



OECDはアンドラ公国を租税回避地と認めている
アンドラに行くにはバルセロナ(スペイン)からでも、トゥールーズ(フランス)からでも、自動車で3時間を要する。ピレネー山中には悪路もある。空港がないため、航空機で短時間に行くことはできない。しかし、人口7万人のピレネー山中の小国に、年間1000万人以上の観光客が訪れる。
アンドラ公国では相続税と関税がかからない。一般消費税4%が2006年から導入されたものの、ヨーロッパ各国よりははるかに低率である。このため、アンドラ公国内の商店はすべて免税店であり、世界中のブランド品などを安く買うことができる。
フランス、スペイン、イギリスなどからの観光客は、夏は高原の避暑、温泉、買い物などを目的として訪れる。冬はスキー、温泉、買い物などを目的とする。
1980年代、日本の電器製品がヨーロッパに集中輸出され、EUが輸入制限をした。しかし、日本のVTRがアンドラ公国経由でEU各国に流れ、EUは輸入制限に失敗した。当時、アンドラ公国は、「ピレネーの秋葉原」といわれた。今でもアンドラ公国では、日本の電器製品に人気があり、よく売れている。
アンドラ公国には銀行が多い。国際金融の不公正取引や莫大な資産隠匿を目的に、世界中の金融業者や資産家が、アンドラの中小銀行を利用する。OECDはアンドラ公国を、悪い意味で「租税回避地」に区分したのである。


アンドラ公国そのものがピレネーにできた国である。
市街地は狭い平地に、ホテルは狭い谷間にある。




アルバニア Pepublic of Albania

2007-08-04 | 世界地理
農業の難しい自然環境
夏の乾季に植物・農作物が枯れてしまう地中海性気候である。しかも平地は少ない。人口350万を養うだけの農業生産をあげることができず、小麦が最大の輸入品である。山岳地域では羊・山羊の飼育が見られる。一人当たりGDPは2120ドル。ヨーロッパの最貧国である。



独裁の果ては鎖国と無神国家
1912年にオスマントルコから独立した。アルバニアには軍事力も外交能力も乏しく、独立後にイタリア、ギリシャ、ドイツに占領された。
第2次大戦後、1946年に人民共和国宣言をし、ソ連の影響下に入った。
アルバニアの最高指導者ホッジャ労働党第1書記は、熱心なスターリン主義者であった。スターリンの死後、1961年にフルシチョフがスターリン批判を始めると、ホッジャはソ連と国交を断絶した。
中国毛沢東政権から潤沢な資金・食料援助を受け、ホッジャは独裁を続けた。中国の文化大革命では、毛沢東崇拝と宗教否定が大きな流れになった。ホッジャは中国の文化大革命をモデルに、1967年、アルバニア国内の宗教施設2000を閉鎖し、無神国家を宣言した。アルバニア国内においては、宗教の一切が禁じられた。
1978年に中国とアメリカが国交回復したことを理由に、ホッジャは盟友中国とも国交を断絶した。ホッジャはソ連・中国と国交断絶をし、鎖国という異常な国家体制になった。ホッジャは自給自足をアルバニア国民に求めた。
宗教禁止と鎖国を誤りとする政府関係者や宗教指導者は、処刑粛清されて、ホッジャの独裁政治が強化された。1985年にホッジャが死去するまで、アルバニアでは無神国家と鎖国体制が続いた。




国民総参加のネズミ講事件
アルバニアでは1993年から経済の自由化が進んだ。国内10~20社の投資会社が月利5~8%の利子でカネを集め、新興企業に融資していた。
投資会社の中には、ネズミ講の形でカネを集めるものもあった。投資会社が月利50~200%を支払うので、投資家が新たに3人の投資家を集める、という手口であった。3人勧誘のネズミ講は、10世代で6万人が参加、20世代で35億人が参加しなくては成立しない。早晩、破綻は目に見えていた。
しかし、多くの投資会社は、アルバニア人の3割からカネを集めた。海外出稼ぎのアルバニア人も送金した。麻薬資金のロンダリングを目的にイタリアのマフィアも参加した。
最大の投資会社VEFAは、国営テレビで出資を呼びかけるコマーシャル放送を流した。ベリシア大統領や民主党幹部もVEFAにカネを出した。
アルバニア国民は、ネズミ講を政府保証の国債を買うつもりでカネを出した。ルールにもとづき、先ず、自分でカネを出し、次に新たな出資者3人以上を紹介した。高い利子付きで出資金が戻るはずであった。
しかし1977年、ネズミ講投資会社は支払うカネがなくなり、次々と倒産した。出資した国民には利子どころか、元金さえも戻らなかった。
アルバニアは内乱状態になったが、ベリシア大統領は暴動をおさえきれず、多国籍軍の派遣を要請した。また、財政金融制度再建のために、IMFが乗り出した。
ホッジャ政権の統制経済が終わり、自由経済の知識が乏しい国民がネズミ講に出資した事件であった。結果的に、アルバニアの年間GDPの3割が失われた。

ホッジャ、スターリン、毛沢東が生きていたら、どう思うだろう
並みの国同様、アルバニアでもミスアルバニアコンテストがあった。アルバニアの独裁者ホッジャはどう思うだろう。怒り心頭で全員処刑かも。




アイルランド Ireland 

2007-08-03 | 世界地理
北アイルランド問題
北アイルランドを除くアイルランドは面積7万k㎡、人口415万人の共和制国家であり、大統領はメアリー・マッカリース(2004年11月就任)。アイルランドはケルト系で、カトリックが88%を占める。
アイルランドが19世紀にイギリス植民地になってからは、独立運動の歴史であった。1949年に独立を達成したが、北アイルランドはイギリス植民地のまま取り残された。
北アイルランドのカトリック教徒が武装組織IRAを結成、北アイルランド独立をめざして激しい武力闘争を展開した(1968~98)。北アイルランドは面積14,139k㎡、人口168万人で、イギリス系プロテスタントが多数を占める。和平交渉が進んだが、北アイルランドの具体的行方については決まっていない。
2005年7月には、アイルランド共和軍(IRA)が武装闘争放棄を宣言した。アイルランドとイギリスが、北アイルランドを自治政府とする交渉を始めたが、交渉は難航している。


日本の外務省の地図(2007年)。
北アイルランドが「英国」と記載されている。


略史
1800年:イギリスがアイルランドを植民地化
1845~49年:じゃがいも飢饉で100万人が餓死
1919~1921年:アイルランドの独立戦争
1922年:英連邦内自治領。北アイルランドは英国領のまま
1937年:アイルランド憲法制定(大統領制)
1949年:共和制を宣言(英連邦離脱)
1955年:国連加盟
1968~98年:北アイルランドでイギリスからの武装独立運動
1973年:EC加盟(NATO未加盟)
1998年:北アイルランドの和平合意成立 
2005年:IRAが武装解除
2006年:北アイルランド自治政府成立交渉が難航


植民地アイルランドでじゃがいも飢饉
イギリス植民地アイルランドでは、農民は小麦の栽培が強制された。小麦は全量をイギリス人が買いたたいて本国に運び、アイルランドには食用の小麦は残らなかった。
アイルランドの主食は、アンデス原産のじゃがいもであった。栄養豊富で栽培も簡単であった。
1845~49年、アイルランド全域でじゃがいもに伝染病が発生した。じゃがいもの連作の農地で伝染病発生、翌年には周辺農地に拡大した。小麦をイギリス人地主に取り上げられて、じゃがいもを主食としていたアイルランド農民は、たちまち饑餓に陥った。当時の人口700万人のうち、餓死者は100万人といわれた。
饑餓を逃れて新大陸アメリカ・オーストラリアなどに移住する者は80万人を越えた。新大陸移住者の中には、のちにアメリカ大統領を輩出するケネディ一家がいた。また、反イギリス感情から、北アイルランドの独立戦争に資金・武器を提供してIRAの軍事活動を支援する者も少なくはなかった。



ケルティック・タイガー
「ケルティック・タイガー」(ケルトのトラ)とは、最近10年間のアイルランド経済の急成長を表す言葉である。低賃金・高学歴労働者が多く、コンピューター関連産業が発展した。アジアNIEs(台湾、韓国、香港、シンガポール)とよく似た、多国籍企業依存の工業化である。1980年代のアジアNIEsを威勢のあるトラと見て、アイルランドの経済発展を「ケルティック・タイガー」と呼んだのである。アイルランドの工業化が進んだ理由は、
①ケルト語と英語が公用語で、EUや米国との意志疎通が容易。
②教育水準が高いが、賃金がいわゆる先進国よりは安いこと。
③労使関係が良好であり、多国籍企業においてもトラブルがない。
④法人税が低いので、先進国企業の進出が盛んなこと。
⑤シリコンバレーと人・技術・資本が結びついていること。


アイスランド Republic of Iceland

2007-08-03 | 世界地理
大西洋中央海嶺の島国は、現在分裂中
アイスランドは大西洋中央海嶺が海面上に現れた島である。アイスランドは、中央海嶺としての火山活動をともないながら分裂中である。
アイスランドの最高峰クヴァンナダルスフニュークル2,119m、氷河におおわれている。エイヤフィヤットラヨークトル1,666mは、氷河におおわれた火山である。氷河末端から流れ出る水量が、非常に多い。



北緯60度でも、西岸海洋性気候
暖流の北大西洋海流がアイスランド南岸を洗う。このため、首都レイキャビクは最寒月平均気温が下がらず、温帯の西岸海洋性気候になる。ただし10℃以上の月は7月8月の2か月だけなので、ケッペンの気候区分記号ではCfcである。
島北部は最暖月平均気温が10℃にならず、ツンドラ気候ETである。海岸はフィヨルドであり、氷河の雪解け水が大量に流れ込んでいる。





地熱発電と水力発電
アイスランドのエネルギーは電力中心である。地熱発電16%、水力発電84%である。国内全住宅の85%が、地熱の電力を暖房を利用している。地熱から高温水蒸気をつくり、農作物の温室栽培などに利用している。
水力発電は氷河の融けた水を利用する。家庭用電力とアルミニウム産業に使われる。アルミニウムは「電力の缶詰」といわれるほど、電力を大量に消費する。スイス企業がオーストラリアからボーキサイトを輸入し、レイキャビク近郊の工場でアルミニウムを生産し、スイスなどヨーロッパ諸国へ輸出している。

アイスランドは世界一裕福で、EU非加盟
面積10万k㎡、人口30万人のアイスランドは、一人当たりGDPが54,427ドル(2005年)、世界第1位である。島周辺は漁業資源に恵まれ、水産物の輸出が多い。日本にはメヌケヌケ、カレイ、シシャモ、タラなどを輸出する。島近海の漁業資源を独占するため、EUには加盟していない。
アイスランドの電力料金は1kwが4円、日本は26円である。安い水力発電を利用し、アルミニウム産業が盛んになった。アルミニウムは、水産物とともに重要な輸出品である。

NATO加盟国だが、軍隊もないし、名字もない
1944年にデンマークから独立、1949年にはNATOに加盟した。冷戦時、ワシントン・モスクワを結ぶ大圏航路上にアイスランドがあり、アイスランドにはソ連攻撃用の米空軍基地があった。イギリス漁船がアイスランド領海内に侵入してでタラを漁獲した時、アイスランドはNATOに軍事基地撤去を要求し、イギリス漁船を撤退させた(タラ戦争)。冷戦終了後の2006年、アイスランドから米軍が撤退した。アイスランドの軍事力は沿岸警備隊の130人だけであり、戦闘員としての軍隊はない。
アイスランドの人名には苗字(名字)がない。父がチチロー、息子がイチローの場合、息子の姓名は「チチロウ・息子・イチロー」である。娘ハナコの場合、娘の姓名は「チチロウ・娘・ハナコ」である。






風力発電

2007-07-28 | 世界地理
秋田空港跡には10基の風力発電
秋田空港は雄物川河口にあり、日本海から吹く強風のために欠航が多く、秋田空港は1981年に内陸の雄和町に移転した。
日本海岸の秋田空港跡にはデンマークMicon社製の風力発電機が建設された。発電量400kwが2基、750kwが8基、合計10基の発電機で起こされた電気は、全量東北電力に売却される。
風力発電は技術と市場の国際競争が激しい。品質の向上とコストダウンを両立させるためには、風力発電機の大型化と輸出市場の支配が不可欠である。
現在、国際競争力の強いのは、ドイツとデンマークの企業である。日本は原子力発電に頼った結果、風力発電の生産が困難になった。日本国内の風力発電機の大部分はスウェーデン製かドイツ製である。


(2003.10)



青森県東通村原子力発電所

2007-07-28 | 世界地理
青森県東通村に東北・東京電力の2原発、大間町に電源開発の1原発

東北電力東通原子力発電所(発電中)
東北電力東通原子力発電所1号機は2005年12月、商業運転を開始した。日本で54基目、沸騰水型では31番目の原子力発電所である。発電出力110万kwの発電所である。
建設主体の東芝は、12月8日が太平洋戦争開戦の当日であることを知って、この日に営業運転を開始したのか、それとも単純に技術的都合で太平洋戦争開戦当日に営業運転になってしまったのか。
なお、将来建設予定の2号機は日立か三菱重工である。


東京電力東通原子力発電所(工事中)
東京電力の東通原発1号機は2007年1月から本格的工事が始まった。東北電力の1号機建設が終了した時から準備工事を開始した。
東京電力東通原発1号機は出力138万kw、2014年には発電が開始されて、首都圏まで送電される。
東北電力と東京電力は川をはさんで隣接している。核燃料リサイクル基地としての六カ所村は隣村である。安全性が保障されるならば、プルトニウムを原料とする大量発電をめざす。

日本電源開発は大間原子力発電所を建設予定(政府が審査中)
政府特殊法人から民営化された日本電源開発(電発、J-Power)は、政府資金で水力・火力・地熱の発電所を建設をし、電力会社に電力を売ってきた。高コストの発電所ばかりであった。
民営化により、電発念願の原子力発電への参入が許可された。低い発電コストで、高い利潤をあげることが可能になった。青森県大間町に改良型沸騰水型軽水炉を建設、出力138万kwを建設する予定であった。しかし、炉心予定地の土地買収に失敗して、建設計画を大きく変更しなくてはならなかった。政府の再審査が長びき、電発が第1号原発と意気込んだ大間原子力発電所はまだ着工していない。


福田総理実現

2007-07-26 | 世界地理
2006年9月の黒ごままんじゅう(安倍政権誕生)
2007年8月のよもぎまんじゅう(7月29日参院選惨敗)
2007年9月12日、安倍総理突然の政権放棄


 

2007年9月23日 福田康夫自民党総裁選出。
今度は、ふくちゃんまんじゅう登場か。




東京電力の豪華保養施設

2007-07-23 | 世界地理
東京電力柏崎刈羽原子力発電所内の、東電豪華保養施所

東京電力は社員3万8千人、資本金6,764億円、年間売上げ4兆円の大企業である。
1994年には新潟県柏崎刈羽発電所敷地内の松林に、東電社員用の豪華保養所「東友クラブ」が建設された。
保養所の土地は5,700㎡。原発敷地内だからタダ同然だろうが、登記上はどうなっているのか、不明。
建物は990㎡の鉄筋コンクリート製。並みの建築ならば5~10億円である。原発事故の放射能汚染対策を想定していれば50億円はかかっている。
しかし、保養所の玄関や窓は広く、原発事故を想定しない建築であると推察できる。安上がりになった分、家具調度は豪華である。東京電力は、全く原発事故に無関心、原発事故はあり得ないと確信していたことが分かる。
保養所の完成は1994年だが、原発1号機の完成は1985年、最後の7号機の完成は1997年である。

東京電力は原発敷地内に住居を大量に建設し、東京本社社員のうち、将来出世の見込みのある若者500人~600人を、住まわせたらどうだろう。所帯持ちもいるから、約1千人が原発敷地内に住むことになる。保養所には会社幹部が住む。
東京本社の事務・営業の仕事は、保養所と本社をコンピューター回線で結べば、業務効率は低下しない。1千人の高給サラリーマン増加は、刈羽村への経済効果も大きい。社員の子どもの教育を考えて、3年で転勤させればよい。
原発敷地内に住んでいるうちは、事故を想定して、社員消防隊と奥様消防隊を組織し、毎週1度は訓練をする。さらに、発電施設・ゴミ処理・プルトニウムの安全性を勉強し、将来、六カ所村へ転勤した場合に備えるのがよいだろう。

東友クラブ



金沢の詩人室生犀星

2007-07-22 | 世界地理
室生犀星「小景異情」
ふるさとは遠きにありて思ふもの 
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに 
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて 
遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや

わが母校はすでに消滅

(南小梨小学校。1953年)

小学校が消えると、定期バスも商店もなくなった。零細工場もつぶれ、仕事も収入もなくなった。
老人ばかりの集落では、祭りのみこしも、担ぎ手がなくなった。みこしが軽トラで各農家を回っている。
室生犀星のような鋭利な感性があれば、詩の2つか3つは生まれそうである。
しかし、遠く離れた都会で安穏としているのに、一人勝手に悲しんでは、きわめて傲慢不遜ということになるであろう。
ふるさとでは同級生が集落再生に向け、農林省立案の集落営農事業に全力を尽くしている。しかし、農林省は、農業基本法政策以来、数々の失政を重ねてきた。今度の集落営農事業も、毛沢東の人民公社とスターリンのコルホーズをモデルにしたシステムである。20世紀社会主義型農業であり、将来の発展性がない。21世紀のFTAとは整合性がない。全国に廃村が拡大する恐れが強い。
その時は、詩人でなくても、室生犀星の「遠きみやこにかへらばや」に共感するようになるかもしれない。