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日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

サンマリノ  Republic of San Marino

2007-08-18 | 世界地理
聖地サンマリノ
4世紀、ローマ皇帝がキリスト教徒を厳しく迫害した。この時、ローマの敬虔なキリスト教徒マリーノが、現在のサンマリノにキリスト教徒を集め、共同体を建設した。サンマリノはこのような建国神話のある、キリスト教カトリックの聖地である。この建国神話に登場するマリーノの職業は石工である。
1631年にローマ法王により、サンマリノは独立的地位を認められた。1862年にイタリアとの友好善隣条約を結び、近代国家としての主権と独立を確立した。イタリアに軍事・外交をまかせている。また、イタリアとサンマリノとの間では、国境審査はないことになっているが、入国記念スタンプが有料で押される。



中立国サンマリノ
サンマリノはイタリアにまわりを囲まれているにもかかわらず、第1次、第2次世界大戦でも、中立を維持した。第2次大戦中は、ナチスドイツがイタリア半島で戦った数週間だけ戦場になったが、ナチスも連合軍もすぐに退去した。
積極的にイタリアのためには戦わず、大戦中は中立を維持したのであった。
1992年に国連に加盟した。

観光立国サンマリノ
60k㎡の国土に3万人が住む。年間観光客数は300万人である。通貨はイタリアのユーロが流通している。しかし、サンマリノは2ユーロ硬貨の片面に独自デザインした通貨を製造発行している。その発行数が少ないので通貨としては流通せず、マニアと観光客に高値で売られている。
また、切手は高額切手も少数ずつ販売し、次々とデザインを変更して、観光客の土産としている。
聖地サンマリノを訪れる観光客300万人が、通貨と切手を公式価格の何倍もの高値で購入し、サンマリノの財政を潤している。


サンマリノはEUには加盟していないが、通貨はイタリアのユーロ通貨を使う。サンマリノでつくられる2ユーロ通貨は、19世紀のイタリア統一の英雄ガルバルディが描かれている。日本円で300円程度なのだが、発行数が少ない記念硬貨であり、額面の100倍3万円が取引相場になっている。このような通貨や切手の高値誘導政策は、サンマリノの財政収入に大きな役割を果たしている。


クロアチア  Republic of Croatia

2007-08-17 | 世界地理
1991年にユーゴスラビアから独立、セルビア人国家を建設
1991年に独立した時、クロアチア人(カトリック)400万人、セルビア人(ギリシャ正教)が50万の人口構成であった。セルビア人は、第2次大戦後のユーゴスラビア時代に経済的に裕福なクロアチアに移住した労働者と商人であった。クロアチア人との違いは、宗教と商才であった。1991~96年、クロアチア人はセルビア人に有形無形の差別を続け、多くのセルビア人をクロアチアから追放した。
セルビア人50万人中、故郷セルビアに戻ったのは10万人足らずであった。かろうじてクロアチア国内に残った30万人のセルビア人は、クロアチア人に仕事も財産も奪われて、最貧困層に追いやられてしまった。セルビア人は、クロアチア政府に対して、クロアチア国内における差別の撤廃と、奪われた財産の補償を求めている。

クロアチアからアドリア海に、「ボラ」が吹く
冬、クロアチア内陸に、放射冷却によって冷たい空気が貯えられる。これはアドリア海と並行のディナルアルプスがダムの役割を果たすからである。冷たい空気の蓄積量が、ディナルアルプスの峠よりも高くなると、峠から、冷たい強風となってアドリア海に吹き出す。
ボラは冬の季節風だが、風速30/m以上の強風となることがある。あるいは、冬に限らず、春に吹いてアドリア海岸の農業や観光業に大きな打撃を与えることもある。

 



日本への輸出第1位は畜養マグロ
地中海クロマグロは、資源量が少ないにもかかわらず、日本ではスシ用高級マグロとして根強い需要がある。マグロの畜養はマグロ幼魚の乱獲につながり、さらにエサとしてのイワシ・ニシンなどの冷凍魚が畜養海域を汚染する原因になる。そのため、畜養マグロの正確な貿易数量は業界の秘密とされ、詳細は分からない。しかし、クロアチアの日本向け輸出第1位が畜養マグロであることは間違いない。
クロアチアの畜養マグロは、日本人あるいは台湾人船主が便宜置籍船国に登録した超低温冷凍運搬船で運搬される。清水港にクロアチアの畜養マグロが到着した時には、クロアチアの畜養マグロの大半は日本漁船や台湾漁船の正規漁獲マグロと混載されてしまう。このため、クロアチアからどれほどの畜養マグロが、日本に輸入されたのかは分からない。



ギリシャ  Hellenic Republic

2007-08-16 | 世界地理
ギリシャの語源は、Graecia



日本語のギリシャはラテン語のグレキアGraeciaが訛ったものである。その語源は、ペロポネソス半島に居住したグラエキ族 Graecia(高貴な人)に由来する。

Hellenic Republic はギリシャ民族の祖神ヘレンに由来する。なおヘレニズム文化も、そのヘレンに由来する。アレクサンドロス大王の東征からプトレマイオス朝の滅亡までの約300年間の文化がヘレニズム文化である。東方文化と融合し、普遍的性格の強まったギリシア文化である。

海運業による海外資産
世界の商船船腹量は多い順にパナマ、リベリア、バハマ、ギリシャである。パナマ、リベリア、バハマは租税回避地(便宜置籍船国)であり、アメリカ、日本、イギリス、ギリシャなどの船主が、形式的にその国に船籍登録をする。そうすると、税金が安い、低賃金の第三国人船員を雇用できる、船体整備不良の老朽船を使うことができる、危険海域の高価格輸送が可能である。などの大きなメリットがある。利益を海外に隠匿する手段として使われる。
一方、パナマ、リベリア、バハマなどの便宜置籍船国には、何もせずに登録料と税金が入るメリットがある。それが格安であっても、数が多いため、便宜置籍船国には重要な収入となる。
ギリシャは便宜置籍船保有量が世界一である。つまり世界一の船舶を保有する海運業国家である。海運業の収入は、税率の非常に低い便宜置籍船国に貯えられている。
また、アメリカ船は比較的税率の低いギリシャに船舶を登録することが多い。つまり、ギリシャは便宜置籍船国を利用する立場と、アメリカにとっての便宜置籍船国の役割を果たす立場とがある。
2004年アテネオリンピックの会場と関連施設の建設費用が膨れ上がり、ギリシャの国家財政が大赤字になった。しかし、海外の法人個人資産の一部からギリシャに送金された。オリンピック後の失業者は一時は10%を越えたが、海外からの送金で国内景気が回復し、失業者は救済された。
ギリシャの経済成長率は4%前後を維持し、好調である。ギリシャ国民の、財政赤字の一人当たり負担額はEUでは第1位である。それでも、ギリシャには海外資産があるので、財政赤字は気にする問題ではないのかもしれない。
ギリシャの面積は7万k㎡、人口は1100万人である。1981年にはEUに加盟。




sea diamond(2007年4月20日、エーゲ海で沈没)

オランダ   Kingdom of the Netherlands

2007-08-12 | 世界地理
ベアトリクス女王
オランダは面積4.2万k㎡、人口1629万人の王国である。現在のオランダ王国女王ベアトリクスは1938年にバールンで生まれた。
1940年、ナチスの侵略により、祖母・母とともにイギリスへ亡命した。その後はカナダへ行き、初等教育をカナダで受けた。
1945年、戦争が終わると、母ユリアナがオランダ女王に即位し、ベアトリクスは王位継承者となった。
1966年、ドイツ人外交官クラウス・フォン・アムスベルクと結婚した。第2次大戦の敵国であったドイツの外交官と結婚することが政治問題になった。
1967年には、王家では百年ぶりの男子を出産した。その後も男子を出産。3王子の母親となった。
1880年にベアトリクスはオランダ女王に即位した。

オランダ領アンティル諸島は租税回避地
オランダ領アンティル諸島は、ABC諸島ともいわれる。Aアルバ島(人口7万人)、Bボネール島、Cキュラソー島(ボナール島と合わせて人口22万人)が大きな島である。産油国ベネズエラが近く、石油精製業が発展している。他に観光、海運もあるが、最も重要な産業は国際金融業である。
世界各国の大手銀行、金融専門の国際弁護士、公認会計士、投資顧問会社、多国籍企業などが集まって、いくつもの投資ファンドが設立されたり、解消されたりしている。
アンティル諸島ではファンドや法人組織の設立認可手続きが簡単迅速で、しかも税率が低い。世界各地の投資家や金融機関からの資金が集まりやすい。他の租税回避地と異なり、配当収入には課税しないし、貯蓄課税制度もない。アンティル諸島は、アジア・EU・北アメリカから、ラテンアメリカなどへの投資や輸出などに、理想的な立地条件が整っている。
オランダなどの富裕層は、持て余した資金を、租税回避地のファンド経由で投資し、さらに大きな利益を得ることができる。
先進国では富裕な法人・個人からの税収が減り、その分を一般消費税で補っている。オランダの一般消費税率は19%、食料は6%である。


オランダの国名表記
オランダは、The Netherlands (低い土地)が正式国名であり、オランダ本国だけを示す。
Kingdom of the Netherlands と表記する場合には、現在のオランダ植民地を含むオランダである。つまり、ヨーロッパのオランダ本国に加え、カリブ海のオランダ領アンティ ル諸島、オランダ領アルバ島を含めた総称である。
オランダHollandは北海沿岸の地方名に由来する、俗称あるいは愛称である。
オランダの低地は、15世紀から干拓事業が行われ、20世紀までに1万k㎡を干拓し、浅海を農地に変えた。干拓事業は政府・国民の信頼関係があって完成したものである。
オランダの労働組合は、労使協調が最優先され、ストライキのような労働争議はない。企業の生産性は高い。オランダの企業・労働組合の信頼関係は、ポルダーモデルといわれる。
日本では御用組合といわれ、労働組合が弱体化し、労働条件悪化の最大原因といわれる。しかし、オランダのポルダーモデルでは労使の信頼関係が強く、企業が収益を上げるために労働条件を悪くするとは、考えられない。

 


オランダ政府公認「飾り窓の・・・」

オランダのエネルギー一人当たり消費量は、日本よりも多い。
オランダ北部(陸上)にはフローニンゲンガス田、北海(海上)オランダ領にはプラシドガス田がある。オランダでは天然ガスの占める割合が高い。
また、一人当たり年間エネルギー消費量は、石油換算でオランダ4.83トンである。日本4.06トン、アメリカ7.97トンである。
天然ガスはパイプラインを通して、ベルギー、ドイツに輸出される。
原油は中東諸国とイギリスから輸入される。最大の輸入港は、ライン川河口のロッテルダム(ユーロポート)である。原油のままパイプラインでドイツ・ベルギーに輸出される。また、一部はロッテルダムの石油化学工場において石油製品化されて、国内外に供給される。

オランダの一次エネルギー供給の内訳(2002年)
石炭:838万トン(10.8%)
石油:2,980万トン(38.2%)
天然ガス:3,583万トン(46.0%)
原子力:102万トン(1.3%)



ポルダー(干拓地)の排水用風車。

オーストリア  Republic of Austria

2007-08-11 | 世界地理
永世中立国オーストリアは徴兵制度
オーストラリアでは18歳男子が6か月間、国防と災害救助のために兵役につくように、政府から徴兵される。徴兵を拒否すると、法的に処罰されて、将来の進学・就職に悪影響がある。
もし、徴兵制に反対する反戦主義・平和主義者ならば、例外的に兵役を免除される。替わりに、12か月間(1年間)、オーストリア政府指定機関で徴兵代替奉仕活動が義務づけられる。その多くは福祉施設における介護である。


輸出主導のハイテク産業
オーストリアは高度に発達した工業国で、特にサービス産業部門の全経済に占める割合が高い。主な工業部門は、機械、鉄鋼、食品加工および嗜好品、化学そして自動車産業である。自動車産業の基幹となるのはエンジンと変速装置の生産で、製品の90%以上が輸出されている。1年間に製造される約90万台のエンジンのほとんどが、多くの有名自動車会社に供給されている。電子工学との関連では、特にチップや集積回路(エアバッグやABSブレーキシステム用のチップの開発、エアバスや高速列車の部品等)など、特殊な電子機器の製造で、国際的に高い評価を受けている。


ウィーンの公共交通機関
公共交通機関は、第1は地下鉄である。総延長距離が414kmである。第2は路面電車であり、ウィーン市内を自動車とともに走る。そして、第3はバスである。
ウェーン市民のほとんどは、地下鉄・路面電車・バスの割引共通チケット(ネットカード)を利用する。ネットカードは購入所有していることが当然であり、ただ乗りは許されない。この料金収受の良心払いシステムは1980年代にできたものである。公共交通の存続は、ウィーン市民の良心にまかせられている。
路面電車に乗務しているのは運転手だけであり、車掌はいない。停留所では降りたい乗客がドアを開けて降りるのである。ただ乗りも可能である。
地下鉄でもバスでも、乗り降りの方法は異なるが、ネットカードを所有していると、改札なしで乗り降りできる。ただ乗りも可能である。
ネットカードを忘れた者や、観光客のために、車内には1回券の自動販売機がある。つまり、全員が乗車券を所有することになっている。
路面電車のただ乗りを防ぐため、ネットカードを所有しているかどうか、月に2、3回、抜き打ちの「検札」がある。ネットカードを持ち合わせていないと、懲罰的に高額の支払いを要求される。
車掌が検札に来た時、ネットカードのない者はあわてず騒がず、今日は無料乗車日と聞いた、とか、病院に急ぐので診察券を持参した、とか、孫の誕生日だから、とか、もともと無料の乗り物と思っていた、とか、言い訳をするようだが、大半の言い訳は車掌に通用しない。





ラトビア  Republic of Latvia

2007-08-11 | 世界地理
1940~1991年には、ロシア人の過酷な支配
エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国は、スターリン(ソ連)とヒトラー(ドイツ)の密約により1940年にソ連に占領された。
第2次大戦中、ソ連はヒトラーに協力したラトビア人4万人をシベリアに送り、炭鉱開発・木材伐採などの強制労働をさせた。
第2次大戦後、スターリンの立案した集団農業に反対したラトビア人地主・知識人など5万人を、シベリアに強制連行し、石油パイプラインの建設や第2シベリア鉄道など、過酷な自然環境の厳しい仕事に従事させた。5~10年間の強制労働で半数が死亡し、残り半数がラトビアに帰ることができた。

1991年の独立後、ロシア人への静かなる報復
1991年のバルト3国の独立は、バルト3国在住のロシア人エリートには予想外のことであった。永遠にソ連が存続し、ソ連の枠内ではロシア人の優越的地位が保障されると信じていたからである。
ソ連離脱を宣言したバルト3国は、エストニア、ラトビア、リトアニアとしてそれぞれ独立した。各国では、ロシア人に報復が始まった。スターリン独裁下のソ連が課したような、残酷な強制労働はなされず、理性的報復であった。
ラトビアの人口230万人のうち、ラトビア人は150万人、ロシア人は80万人である。ラトビアではロシア人に対し、ラトビア語の使用を強制したり、旅券の発行を制限したりしている。

自由貿易港の指定
ソ連に属していた当時は、ラトビアは鉄道車両の生産に特化し、ソ連全体に製品を供給していた。しかし、1991年にソ連が崩壊、ラトビアが独立してからは鉄道車両の販路を失い、基幹産業が崩壊した。
ラトビアではリガ、ヴェンツピルス、リエパーヤの3港を自由貿易港に指定した。EUとCISの中継貿易による収益が期待される。3港のいずれもかつてのハンザ同盟都市である。
1991年には国連加盟、1992年にはIMF、世銀加盟、1999年にはWTO加盟、2004年にはNATOとEU加盟している。旧ソ連CIS依存の経済体質から脱出する基礎はできた。


 Ventspils


リトアニア   Republic of Lithuania

2007-08-11 | 世界地理
杉原千畝が6000人のポーランド難民を救助
1940年、ヒトラーに追われたポーランドのユダヤ人は、隣国リトアニアに逃げ、各国大使館に難民申請をした。日本領事杉原千畝は、日本の外務省の反対にもかかわらず、ポーランド難民6000人に、日本通過ビザを発給した。ユダヤ難民はシベリア鉄道でウラジオストクに行き、そこから船で敦賀へ着いた。ユダヤ人6000人の終着は敦賀ではなく、敦賀からアメリカに1000人、中国に5000人が向かった。リトアニアに残ったユダヤ人は戦中は処刑され、戦後はシベリアで強制的に働かされ、苦難の中で多くのユダヤ人が生命を失った。
杉原千畝はユダヤ人6000人を救助したが、外務省の規律に違反した行動であった。戦後、帰国した杉原千畝は、外務省をクビになった。
その後、ユダヤ人団体が杉原千畝を称賛する声が日本政府にも聞こえたはずだが、外務省は知らぬふりを通した。
杉原千畝の名誉回復ができたのは、1991年(平成3年)、鈴木宗男外務政務次官の尽力による。

ロシア依存経済からの脱却が最重要課題
1991年にソ連からバルト3国が同時に独立した。2001年にはWTO加盟、2004年にはNATOとEUに加盟した。
リトアニアでは人口343万人の90%がリトアニア語を使い、カトリックを信仰するリトアニア人である。ギリシャ正教を信仰するロシア人は8%である。
隣国はロシア植民地カリーニングラードである。リトアニア人と、カリーニングラードのロシア人には、相互の通行許可証が発行される。
リトアニアにはロシアから原油がドルジバパイプラインで送られているが、ロシアとの政治的緊張が高まるたびに、ロシア政府はドルジバパイプラインの元栓を閉めて、リトアニアへの圧力を強める。ドルジバの意味は友好、であるにもかかわらず、リトアニアをロシアに従属させる政治的パイプラインである。
ロシアへのエネルギー依存体質を改め、EUに接近するため、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト3国では、リトアニアに3国共同利用の大型原子力発電所建設を計画中である。

リトアニアのヤミ労働はGDPの20%
リトアニアでは土木・建設・農業・飲食業などにおいて、雇用主と労働者の了解で賃金や労働時間などの労働条件が決められる。雇用主も労働者も、税金・社会保障費用・残業への支出がないため、ヤミ労働は経営者・労働者ともに短期的には利点が多い。
労働者にとっては正規労働者よりは低賃金だが、公租公課の負担がないので、手取り給料は多い。雇用主にとっても、低賃金の労働力を確保できる利点がある。
ヤミ労働がGDPの20%以上と見られているのは、リトアニアとギリシャである。






エストニア Republic of Estonia

2007-08-09 | 世界地理
人口140万人、面積45,227k㎡の国
1940年に独ソ秘密協定でソ連に占領され、1991年に独立を達成した。人口140万人のうち、エストニア語を話す者が70%である。残り30%はエストニアの植民地時代に移住して来たロシア人である。
現在、ロシア人学校ではロシア語のみによる授業が行われているが、エストニア政府は近い将来、ロシア人学校でもエストニア語を必修とする予定である。
現在、ロシア人がエストニア国籍を取得するためには、エストニア語の試験に合格しなくてはならない。
エストニアのロシア人は、ソ連植民地時代にエストニアに移住して、政治的経済的に高い地位を独占した。1991年にエストニアが独立すると、ロシア人とエストニア人の地位が逆転した。エストニア政府は、ロシア語を使う範囲を次第に狭くし、ロシア語の自然消滅をねらっている。これはロシア人つまりロシア民族の自然消滅でもある。ロシア政府はロシアとエストニアの国境問題を提起し、エストニア政府をゆさぶっている。



エストニアはプロテスタントの国である。
エストニア語は北の隣国フィンランドと同じフィン=ウゴル語系だが、エストニア語とフィンランド語とは通じない。ウラル=アルタイ語系の日本語と韓国語が互いに通じないのと同じである。

エストニア経済
バルト3国は1991年にソ連から独立して国連加盟。1999年WTO加盟。2004年NATO加盟、EU加盟。ソ連邦離脱後のエストニアは西ヨーロッパに急接近した。
エストニア政府は、多国籍企業をエストニアに招致するため、企業の規模・利益にかかわりらず、法人税率は23%(定率)とした。EU加盟国など先進諸国の法人税率は40~50%、エストニアの2倍である。エストニアの法人税はEU加盟国では最も低率である。さらにエストニアから国外に再投資して得た利益には、法人税をゼロとしている。また、エストニアの一人当たりGDPは7000ドル、東ヨーロッパ諸国並みの低賃金である。
EU諸国の多国籍企業本社が、節税を目的に、EU加盟後のエストニアへ続々移転している。さらにエストニアの低賃金に注目したコンピューター・自動車関連工場の流入も多い。
エストニア経済は外資による工業化の進展により、年間経済成長率は5~8%の高率を維持している。

インターネット先進国
エストニアは小学校段階からIT教育に力を入れてきた。小学校でさえ、一人1台ずつのコンピューターを用意している。ハッカーの発信数は、エストニアが世界第1位である。
2002年から地方選挙においては、インターネット選挙が取り入れられた。次第に全国選挙に拡大する予定である。このオンラインシステムを利用するには、IDカードが必要である。エストニアでは2002年以来、全国民にIDカードの携帯を義務付けている。このカードは通常、事務処理に必要な書類や各種取引に身分証明が必要とされる銀行や役所などで、国民が身分を証明する手段として使用することを意図して作られている。
自宅のコンピューターからオンラインで投票するには、コンピューターのリーダーにIDカードを差し込み、投票用ウェブサイトにログオンする。認証されたら、暗号化システムを通じて投票し、さらにデジタル署名を行なって投票内容を確認してから送信する。簡単な仕組みだが、利用率は3%であり、97%は投票所に足を運んで投票する。





ウクライナ Ukraine

2007-08-08 | 世界地理
チェルノーゼムにおおわれた穀倉地帯
ドニエプル川流域の黒色土壌(チェルノーゼム)は、厚い腐植質におおわれた肥沃土である。肥料を与えなくても小麦栽培ができる。2004年生産量は1752万トン、世界第11位である。反収は3163kg/haであり、オーストラリアやロシアの2倍以上である。しかし、前年の2003年には359万トンの大凶作であった。


ウクライナの土壌は肥沃なステップである。しかし気温・降水量が小麦の栽培限界のため、しばしば凶作に見舞われる。豊作・不作の大きな変動が、国家財政の不安定要因になっている。



ドネツ炭鉱のスタハノフ
1933年、ウクライナのドネツ炭鉱で働いていたスタハノフが新しい掘削技術を考案し、ノルマの14倍の石炭を掘削した。スタハノフの掘削技術は、ソビエト連邦における生産性向上運動のシンボルとなった。ウクライナをはじめ、ソ連の石炭生産性向上運動は、スタハノフ運動といわれた。スタハノフは国家的英雄として称賛され、レーニン勲章が授与された。
しかし、多くの炭鉱でスタハノフを良きモデルとして、炭鉱労働者の採掘ノルマが引き上げられた。無理な採掘のためにドネツでは炭鉱事故が相次いだし、長時間労働のために労働者の生活も家庭も崩壊した。多くの炭鉱労働者にとってスタハノフは、悪しきモデルとして語られた。労働者には何のプラスもなかった。否定すべき存在であった。



ソ連崩壊後はスタハノフ運動は、労働者に犠牲を強いる誤った労務管理とされた。行きすぎたノルマを強制する、悪い意味でスタハノフ運動が語られるようになった。1990年のソ連崩壊後も、ドネツ炭田とその周辺の事故は続いた。
1990.2.14・・・13名死亡(行方不明も含む)
1992.6.9・・・ 56
1994.3.6 ・・・11
1994.5.2・・・ 12
1994.9.17 ・・ 5
1998.5.11 ・・ 5
1998.8.16 ・・ 24
1999.5.24・・・49
2000.3.11 ・・ 80
2004.7.19・・・36


チェルノブイリ原子力発電所
ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所は、黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉4基が運転していた。最新の4号炉が1986年4月26日に原子炉溶融事故を起こし、周辺地域が放射能で汚染された。事故後も1号炉~3号炉の運転は続けられたが、2000年12月に停止した。建設中の5号炉と6号炉は、建設が中止された。
世界的に原子力発電の危険性の認識が高まり、フランス以外では、新規の原発建設が中止された。

チェルノブイリ原発事故の死者は、ソビエト政府の発表では運転員・消防士合わせて31名である。しかし、事故処理にあたった軍人や炭鉱労働者に多数の死者が確認され、約13,000人に達した。ロシア科学アカデミーは、周辺住民の多くが放射線障害で40,000人は死亡したと発表した。最終的な被害者は公表されていない。
原発から1か月以内に、30km以内の住民20万人が移住した。すぐに戻ることができる約束であったが、戻る許可はなかなか下りず、大半が無許可で戻りつつある。


ロシアが天然ガスを供給停止し、ウクライナに政治圧力
2004年11月の大統領選挙で、親ロシア派のヤヌコーヴィチが当選し、親米派のユシチェンコが落選した。ユシチェンコ支援者は大統領選挙に不正があったとして、再選挙を要求した。2004年12月の再選挙では親米派のユシチェンコが当選した(オレンジ革命)。
ロシアはウクライナの親米政権に、天然ガスの輸出価格を3倍に引き上げると通告、新政権はこれを拒否した。ロシアはウクライナへのガス供給を停止した。
コシチェンコ政権がロシアとの良好な関係を構築できないため、2006年の議会選挙では親ロシア派が多数を占めた。ウクライナ議会は、首相に親ロシア派のヤヌコービッチを選出した。ロシアはウクライナが親ロシア路線に傾斜すると、天然ガスの輸出価格を2倍の引き上げにおさえて、ウクライナへの供給を再開した。
ウクライナは首相は親ロシア、大統領は親米・親欧派である。毎日の生活に追われる国民多数は親ロシア派のようである。


イタリア  Republic of Italy

2007-08-07 | 世界地理
イタリア全土が地中海性気候ではない


イタリア南部と沿岸は地中海性気候Cs
夏には亜熱帯高圧帯におおわれて、晴天乾燥が続く。砂漠のような気候である。夏は乾季、冬は雨季というのが地中海性気候である。
ぶどう、オリーブのような耐乾性作物が栽培される。低所得者が多い。イタリア北部の富裕層は、イタリア南部をアフリカと思っている。イタリアの南北における経済的格差が、イタリアの南北問題である。

北部の気候は日本と同じ温暖湿潤気候Cfa
イタリア北部のポー川流域には平野が広がる。ポー川の平野の意味でパダネベネタと呼ばれる。パダノベネタでは、年中雨が降り、乾季はない。
米・小麦・とうもろこしなどの栽培、肉牛・乳牛の飼育が盛んである。先進国共通の商業的混合農業である。
パダノベネタの農業生産の高さが、イタリア北部にハイテク産業や、外国人観光客相手の高級ブランド品製造業を育てた。北部の混合農業は豊かさの象徴であり、南部の地中海式農業は貧しさの象徴である。



イタリアは新期造山帯、活動中の火山がある
ベスビオ火山  1281m
79年8月24日にベスビオ火山が噴火、火砕流がポンペイの町を襲った。人口1万人の生活がそっくり火山灰に閉じこめられた。18世紀末からポンペイの町の発掘調査が進められ、古代ローマの市民の生活が分かってきた。
市街地は区画整理され、町中には劇場・公衆浴場があり、下水道まであった。ローマ市民の享楽的生活を繁栄する家財道具や壁画も、火山灰の下から現れてきた。
ベスビオ火山はしばしば噴火する。最近の大噴火は1973年である。


エトナ山  3350m
シチリア島には富士山と同じコニーデ型火山エトナ山がある。富士山同様、火山であるにもかかわらず、観光化が進んでいる。
登山バスで1920mまで登り、そこから2920mまではロープウェー、そしてロープウェー終点から山頂付近まで改造バスで行くことができる。
2002年10月27日にエトナ山が噴火し、溶岩が2250m付近まで流れた。しかし、観光客の登山が途絶えたのは3日間限りであり、ツアーの予定にしたがって山頂をめざす人の波が再び続いた。


大衆化したブランド品生産は、イタリアの重要産業
ルイ・ヴィトン
フランスがルイ・ヴィトンの発祥地である。現在はフランスだけではなく、スペイン、イタリアの工場で大量に生産されている。特にイタリアはブランド靴の生産が盛んである。


エルメス
パリが発祥地で、パリにはエルメスが何でもあるが、日本からの観光客はイタリアでエルメスを買う。エルメスはフランスメーカーなのに、イタリアメーカーと勘違いしているのかもしれない。


グッチ
グッチオ・グッチがイタリアのフィレンツェで、高品質の革製品を生産した。革靴、革バッグなどが人気がある。


シャネル
フランスで帽子、香水の高級品生産販売を手がけていたが、化粧品全般、宝石、靴などにも手をのばした。ヨーロッパ各地のみならず、日本にも専門店があるが、イタリアとフランスのシャネルが本物と信じられている。大衆化したブランド品の典型。


nana'
イタリアの靴・ミュール製造の専門メーカーである。手作りのため、世界中で大量販売は不可能である。入手困難なnana'のサンダル。