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日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

秋葉原はどうなる

2007-07-11 | 世界地理
秋葉原は電器屋だけではないが
秋葉原電器商組合加盟店(ヨドバシカメラは加盟していない)
1.愛三電機株式会社
2.株式会社アッキーインターナショナル
3.アムトランス株式会社
4.アロシステム株式会社
5.石丸電気株式会社
6.株式会社永保堂
7.株式会社エフ商会
8.株式会社オノデン
9.九州電気株式会社
10. 有限会社寿電機会田商会
11. 株式会社 サイバースポット
12. 坂口電熱株式会社
13. サトームセン株式会社
14. 志村無線電機株式会社
15. 株式会社十字屋
16. 真光無線株式会社
17. 清進商会
18. 瀬田無線株式会社
19. 株式会社ソフマップ
20. 有限会社タイガー無線
21. 宝田無線電機株式会社
22. 田中電気株式会社(ドコモ/au秋葉原)
23. 田中無線電機株式会社
24. 株式会社ダイナミックオーディオ
25. チチブ電機株式会社
26. 九十九電機株式会社
27. 株式会社テレオン
28. 東映無線株式会社
29. 東洋計測器株式会社
30. 東洋電球株式会社
31. トキワ無線株式会社
32. 株式会社鳥居パーツ
33. 株式会社ナカデ電気商会
34. ヒロセテクニカル株式会社
35. PCテクノロジー株式会社
36. 株式会社 マルツ電波・マルツパーツ館
37. 丸山無線株式会社
38. ミツワ電気照明株式会社
39. ミマツ音響株式会社
40. 株式会社メッセサンオー
41. 有限会社山一電気
42. ヤマギワ株式会社
43. ヤマギワソフト(ソフマップソフト株式会社)
44. 吉葉無線電機株式会社
45. ラオックス株式会社
46. ロケット(江響電器株式会社)
47. ローヤル家庭電化製品販売株式会社
48. 株式会社若松通商

秋葉原がこれまでの電器の街から何の街に変貌したのか。各種マニアが世界中から集まる国際都市ではあるが、それが何の街かは集まる者の感じ方で決まるのであろう。
「つくばexpress」の開通前後から、秋葉原は底抜けに明るくなった。陰気なマニアの街から、陽気なマニアの街に変わったことは確かである。(2005.8)






日本橋川に空を取り戻す会

2007-07-11 | 世界地理
首都高速5号池袋線が日本橋川の上を通る
都心の慢性的自動車渋滞が、大気汚染・燃料損失・時間のロスになり、経済的損失を膨らませている。1964年の東京オリンピックをめざし、できる限り多くの首都高速を建設した。
首都高速5号池袋線は1967年に建設を始めたものの、東京オリンピックには間に合わず、やっと完成したのは2002年である。
首都高速は、どれも急いで安く建設するため、川や濠など、個人所有権ではない土地を選び、高速道路の主要ルートとした。

俎橋(まないたばし)は九段下にある。首都高速5号池袋線は、日本橋川の上にすっぽりとコンクリートのふたをかけ、それを道路としているのである。
日本橋川は神田川の古い流路であり、隅田川に続く。日本橋川は景観のよい暖かみのある水路であったが、首都高速5号池袋線が建設されてからは、日本橋川の水は暗く冷たくよどみ、暗くて陰気な川になってしまった。
俎橋周辺の地元住民を中心が、「日本橋川に空を取り戻す会」を結成した。高速道路を撤去するか、日本橋川の下を通るトンネルとし、日本橋川を明るい、暖かみのある川に戻すことを求めている。

なお、お江戸日本橋の東海道起点では高速道路を取り除いて、明治の頃の日本橋を復活させる計画が進行中である。東京オリンピックの誘致をめざす東京都知事が、お江戸日本橋の復活をめざして、具体的な計画を作り始めたのである。この東海道起点の日本橋は、日本橋川にかかる木造太鼓橋だが、再建計画では明治期のレンガづくりの日本橋になる。
東海道の日本橋と、俎橋の日本橋川は、神田川からの分水として一続きである。俎橋の方は、高速道路を取り除く具体的計画はない。(2006.12)



この風景からは失われた太陽というマイナスイメージだけを感じ取る必要はない。日本の高度成長は歴史的事実である。石油化学コンビナートからの7色の排煙を吸うと長生きができるといわれた時代である。太陽の明るさ、水の透明さを、否定すべき歴史的廃棄物と考え、人工物の力強さが自然に勝り、人間の未来を切り開くと思った、傲慢な時代であった。

新宿高野フルーツは地価日本一

2007-07-10 | 世界地理
高野フルーツでのデートは高くついた
昔も今も、新宿はとにかく賑やかで人通りが絶えない。どんなに値段の高い店でも客は来る。2007年、高野フルーツの女性バイキングは、90分食べ放題のバイキングで2500円、という企画が大ヒットである。しかし、2500円分も食べる女性と結婚したら、一般庶民の家計が成り立つかどうか。多分、グルメとダイエットのくり返しで経済的に破綻するであろう。

高野の1階が、イタリアのファッションブランドGUCCI直営店である。かつて高野が高価な果物を並べていたが、今はGUCCIがもっと高価な衣服、バッグ、香水などを並べている。
GUCCI新宿店には、日本人よりもアジア系外国人の客の方が多い。自国では偽物が出回っていることを熟知していて、日本かイタリアで本物を買わなくてはならない、と思いこんでいるのかも知れない。(2007.3)









靖国神社

2007-07-10 | 世界地理
靖国神社を見下ろす法政大学

九段の母
 作詩:石松秋二
 作曲:能代八郎
 1934年(昭和9年)
 
1 上野駅から    九段まで
  かってしらない  じれったさ
  杖をたよりに   一日がかり
  せがれきたぞや  会いにきた
2 空をつくよな   大鳥居
  こんな立派な   おやしろに
  神とまつられ   もったいなさよ
  母は泣けます   うれしさに
3 両手あわせて   ひざまづき
  おがむはずみの  お念仏
  はっと気づいて  うろたえました
  せがれゆるせよ  田舎もの
4 鳶が鷹の子    うんだよで
  いまじゃ果報が  身にあまる
  金鵄勲章が    みせたいばかり
  逢いに来たぞや  九段坂

靖国神社の参拝は二礼二拍手一礼である。息子を戦死させた老母が田舎から靖国神社参拝に来たが、参拝方法を間違えて、お念仏の「南無阿弥陀仏」をくり返して唱えたのであろう。
この歌詞が不適切であるとして、3番を歌わないことがある。
4番の歌詞中の金鵄勲章とは1890年制定の軍人軍属への終身年金付きの勲章である。1946年に廃止されるまでに、108,652人に与えられた。

靖国神社の住所は東京都千代田区九段3丁目1番1号。戦争関係者が九段と言えば、靖国神社のことである。
靖国神社を睥睨するように、背後にそびえ立つ高層ビルは法政大学市ヶ谷校舎である。1960年代の高度経済成長期、法政大学経済学部はマルクス経済学の中心であった。
1970年代にマルクス主義者であることを自慢した左翼勢力が衰退すると、全国の主要大学がマルクス経済学から近代経済学に大変身をした。マル経学者が近経を教える離れ業を、マル経学者は簡単にやってのけた。
法政大学はマル経を守り通した。しかし、学問的にはマル経が面白くても、学生の就職面を考えれば、近経の方が有利であった。定年退官のマル経学者の後任には近経学者が就任し、法政大学は少しずつマル経を切り捨て、近経ばかりの並みの大学になってしまった。
その法政大学が靖国神社を見下ろしている。法政大学がマル経の牙城であったならば、多分、校舎の高層化に建築許可は下りなかったであろう。(2006.12)



浅草橋の屋形船

2007-07-10 | 世界地理
神田川の江戸情緒
東京全部の生活汚水と工場排水が、隅田川・神田川・荒川などに流れ込み、東京湾の汚染がピークに達したのは1970年、高度成長終末期である。川も海も悪臭が漂い、とても生物の生息できる環境ではなかった。人間の近づく状況でもなかった。釣船も屋形船も遊覧船も、自然消滅寸前であった。
それが第1次石油危機後の公共事業として下水整備が進み、工場も汚水垂れ流し公害型から無公害型コンピューター産業に変わり、水の汚れが一挙に解消された。
荒川にアザラシが出現したり、隅田川でアサリ密漁のサラリーマンが逮捕されたりした。
東京湾に魚介類があふれて、本物の江戸前寿司が可能になった。サンマもアンコウもマグロもブリも来て、東京湾はまるで水族館か過密養殖場のようになった。
廃船寸前の釣船が復活し、屋形船も遊覧船も人気が回復、観光コースに組み込まれた。新造船も投入された。
問題なのは、船溜まり、つまり船の駐車場の不足である。船を大きくして大量の客を乗せてコストを下げたくても、船の置場がない。ビルの谷間の神田川には、運行前の船がビッシリである。
遊覧船で東京湾から超高層ビルの林立する都会を見ることもいいが、過密状態の下町で、老朽ビルの谷間の屋形船を見るのも、学生時代に過ごした東京にタイムスリップしたような、なつかしさがある。(2006.12)




遊水池建設工事

2007-07-09 | 世界地理
遊水池は「落差工」のダム貯水池
百瀬川の洪水は遊水池に流入する。砂礫は遊水池の底に沈澱し、水だけが少量ずつ落差工を通って生来川に流れる計画である。落差工は完成した。しかし、遊水池は、百瀬川の天井川(トンネル)のすぐ上流に、まだ建設中である。遊水池は、百瀬川と生来川を結びつける「落差工」の貯水池の役割を果たす重要なものだが、工事の遅れは明白。
さらに、遊水池の土地所有者は誰か、遊水池工事はいつ完成し、落差工と接続するのか、不明である。
なお、建設中の遊水池は砂地を掘り下げただけの簡単なものではない。コンクリート製の巨大プールを完成させる計画である。(2007.6)

2003年11月
左が百瀬川。右が扇状地の新バイパスである。左側に遊水池から運び出した砂礫が積み上げられている。



2004年6月(2枚)
遊水池の建設地5万㎡が私有地で立ち入り禁止。私有地に遊水池を建設しているのか、遊水池建設予定地を先に買い上げていたのか、不明である。





2007年6月
貯水池にたまっているのは百瀬川の水ではなく、前日の豪雨の水である。遊水池はまだ建設途中である。2004年と比較すると、工事はほとんど進んでいないことが分かる。落差工は完成したが、遊水池はいつ完成するのか、分からない。



百瀬川 扇央の水田

2007-07-09 | 世界地理
百瀬川旧河道は水田
扇状地の扇央は水を得にくい。森林・果樹園には利用されるが、扇央の水田は珍しい。百瀬川扇状地の扇央には、江戸時代に水田が開墾された。
百瀬川扇状地扇央の西側部分は、かつて百瀬川の流れていた時の谷間である。江戸時代の新田開発が盛んな時分、水の流れない、古い谷間に堆積していた砂礫をよけて山土を運び入れ、水田をつくったのである。
扇央の農業用水は、扇頂の水門をコントロールすれば得られる。あるいは百瀬川支流の谷水を引き、農業用水を補うこともできる。
扇央の稲作はサルにとっても珍しいようで、サルの集団が水田に侵入する。サルの集団侵入を防ぐ電気柵が見られる。
なお電気柵は水田だけを守るのではない。扇央にある果樹園・畑もサルの食害から守ることを目的にしている。(2007.7)


百瀬川の天井川解消工事

2007-07-08 | 世界地理
天井川の落差工
百瀬川下流の天井川部分をなくすため、中流部分に遊水池と落差工の建設が進んでいる。百瀬川左岸の堤防の一部を切り取り、階段状のコンクリート水路を建設して、天井川の水を並行する生来川に流下させる計画である。
落差工の本体は完成したが、その接続部分の遊水池の工事は終わっていない。そのため、落差工は天井川(百瀬川)の水を生来川(新百瀬川)流下させる役割を果たしていない。


2004年(百瀬川は奥の森林を右から左に流れる)



2007年(落差工本体完成。百瀬川とは未接続)



2007年6月(落差工。たまっている水は6月29日の雨水)



工事計画図(2004年撮影。2005年にゼネコン桑原組倒産)

天井川

2007-07-08 | 世界地理
トンネルの上が百瀬川
狭いトンネルが国道161号の「百瀬川隧道」である。百瀬川は、トンネルの上を左から右に流れる。百瀬川は、国道161号から新バイパスまでの天井川である。天井川は、堤防の建設により河床が上昇してできる。
百瀬川の水は伏流して扇端へ流れるから、ふだんは天井川には水がない。大雨の時だけ、水が流れる。
天井川部分の堤防は、扇端集落側は頑丈なつくりであり、生来川側の堤防は弱く、万一、洪水が起これば生来川の堤防が決壊し、扇端集落側には被害がないようにつくってある。
トンネルの高さは3.3m、長さは36mである。開通は1925年(大正14年)である。トンネル内では自動車のすれ違いができないし、大型トラックは通行できない。北陸と京阪を結ぶ幹線道路最大のネックであった。現在はバイパスの建設が進み、トンネルを通行する必要はなくなった。
百瀬川は、トンネルの上を左から右に流れる。また、トンネルと並行し、歩行者用トンネルがつくられた。
なお、天井川の下を道路がトンネルで通るケースは、琵琶湖周辺以外に、養老山地にもある。養老山地小倉谷扇状地でも、扇状地の砂礫運搬量が多いことが、天井川のできた原因である。





扇央の森林

2007-07-08 | 世界地理
扇央は森林のまま
百瀬川扇状地の扇央は、地下水が20~30mの深さであり、農地として開墾しても、水を得るのが難しい。扇央は森林のまま放置されていた。森林には人間の手が加わらず、自然のままのようである。
しかし、実際には百瀬川の流路が現在の扇央を流れていた痕跡がる。広葉樹の森林中に自然堤防があり、洪水を防ぐための人工堤防もある。森林の中の地面は凹凸が多く、平坦な地形ではない。
百瀬川扇央の広葉樹林は自然植生ではあろうが、百瀬川の流路が固定したあとの新しい自然植生である。森林の中には大木がない。せいぜい百年程度の若い森林である。森林ができる前は洪水が頻発し、そのたびに石野原になったり、草原になったりしていたのであろう。