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日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

扇端集落

2007-07-08 | 世界地理
扇端集落の融雪装置は地下水利用
扇端集落の立地は古い。住宅そのものは大きく立派になったが、道路は昔のままであり、自動車が通るのが難しい。交通事故が多いので集落外にバイパスがつくられた。
集落内を無理に通る自動車は、冬の積雪期には通ることができない。そのため、道路中央に地下水利用の消雪装置がつくられている。





扇端集落の地下水利用
扇端集落深清水などでは、かつて台所にわき水があり、それを飲料水として使った。そこには琵琶湖から魚がさかのぼって来た。カバタといわれた。
現在は水田の区画整理により水門が多くなって、台所に魚がさかのぼることができなくなった。
扇端集落でわき出る地下水は年中水温が一定で、冬は暖かい。冬に限らず、地下水のわき出る共同洗い場では、野菜などを洗う。





扇端の泉

2007-07-08 | 世界地理
扇端では大量の水がわき出る
百瀬川の水は、扇頂付近から地下水となって扇央を流れ、扇端でわき出る。地下水の湧出量が多い場合には、扇端でも集落は立地せず、大きな水たまりができてしまう。泉からあふれ出た水は、下流の三角州で、水田の灌漑用水として使われる。百瀬川では、この泉に流れる地下水脈が最大である。(2003.6)




扇端のわき水が水田で利用される
百瀬川の地下水は泉でわき出て、下流の三角州では稲作の灌漑用水になる。灌漑用水の必要な時期には水田に水を流すが、不要な時期には専用水路を琵琶湖まで直接流す。そのための水門が扇端下流の水田地帯入口にある。
琵琶湖岸の米は近江米として、高い価格で取引される。水がよいため、よい米がとれる。(2005.6)





扇端の井戸水

2007-07-08 | 世界地理
扇端集落は地下水を利用
扇状地の末端では地下水が浅いので、生活用水を簡単に汲み上げることができる。井戸は、最初は「つるべ井戸」、次に「手押しポンプ」、現在は「電動ポンプ」による戸別水道へと変化してきた。

つるべ井戸はおけを2つ用意し、屋根の天井の滑車を通るひもでつなぎ、一方で井戸水を汲み、他方のおけを空にする。水を汲んだおけを引き上げると、空のおけは井戸に届いて水が入る。このくりかえしで水を汲む。井戸の周囲の4本柱と高い屋根が特徴的である。明治末およそ100年前まではどこでも見られた。

次は手押しポンプ。10mの深さの水までなら、手押しポンプで汲み上げることができる。つるべ井戸よりは簡単に水を汲み上げることができる。

そして、1960年代に、電動ポンプが各戸に普及した。電動ポンプが井戸から水を汲み、必要な配水場所に水道を引くことができる。公営水道のない集落では、今でも電動ポンプによる水道が使われている。井戸から自宅まで水を運ぶ苦労がなくなった。(2004.10)





水無川の水量

2007-07-08 | 世界地理
堰(せき)の役割
2003年11月、百瀬川にはしばらく水が流れなかったようで、植物が高く茂り、川の水は細い流れになっていた。百瀬川の水は地下水になって扇央に流れ、堰を流れる水はほとんどない。堰の役割は、砂礫を堰で止め、下流へは水だけを流すのである。砂礫を下流に流さないのは、下流に砂礫が堆積して天井川になることを防ぐためである。
なお、堰は一般には「砂防ダム」である。地形図用語ではひらがなの「せき」である。(2003.11.28)




しかし、大雨になって扇頂の水門が開けられると、流量は急増する。扇央の地下水滞水層が飽和状態になり、水無川の下流の天井川に、水を流すからである。こんなことは1年に5~10回である。そんなに多いことではない。
扇央と扇端の洪水被害を防ぐため、水無川に水を流すことは、よくあることなのである。(2007.6.30)


特急はくたか6号立ち往生

2007-07-08 | 世界地理
大雨の百瀬川扇状地に行く
6月29日、北陸は大雨警報。天気予報では6月29日と30日は洪水の予想。これだけ雨が降れば、百瀬川扇状地も大雨になり、水無川や天井川の、洪水が流れる状況を観察できる絶好の機会であった。
仕事を年休とし、大雨警報の中を新幹線と特急列車を乗り継ぎ、で金沢に向かった。30日は大雨か、雨が上がってもまだ「洪水危険モード」にあり、扇状地の見慣れない光景を見ることができると考えた。

金沢へ向かう途中、特急「はくたか6号」は糸魚川の手前で12時ちょうどに臨時停車。車掌のアナウンスでは、姫川増水のために中州に取り残された者がいて、その救助を姫川鉄橋から行うので、救助作業終了まで停車する、ということであった。
いつまで停車するか分からないので、昼食を金沢で食べる予定を変更し、富山名物の駅弁「ます寿司」を買って食べた。1300円は少々高かったが、ますの身が分厚く、美味しかった。



1時間後、中州の人物を無事救出できたようで、特急列車は出発した。豪雨と列車の遅れで、レンタカーは明朝に携帯電話で変更したが、窓外の雨は強くなるばかりで、翌日、果たして金沢から滋賀県高島市マキノまでレンタカーで行けるのか、最悪、列車を乗り継いでJR湖西線近江中庄まで行けるのか、不安はあった。
結果的には、翌日は小雨。道路状況は敦賀付近は霧がひどかったが、レンタカーの走行には大きな支障はなかった。
しかし、カーナビがGPS機能のない安物であり、走行時間の経過するほど誤差が大きくなった。今時、こんなことがあるのかと思いながらも、コンビニで道路地図を買わざるを得なかった。

天井川の終点

2007-07-07 | 世界地理
百瀬川は天井川だが、水が流れない
百瀬川の終点は、国道バイパスの盛土である。水の流れる部分を鋼板で強化し、堤防の崩落を防いでいる。また、鋼板で流れを階段状にし、生来川に流れ落ちる水の勢いを小さくしている。
もともと百瀬川は扇頂近くから伏流し、扇央では地下水となって、扇端でわき出る。ふだんは天井川には水が流れず、終点にも水が流れない。
天井川を水が流れるのは、野坂山地に大雨が降り、扇頂の水門操作で天井川に意図的に水を流した場合である。(2003.11.28)



天井川終点は滝のようであった
2007年6月29日、野坂山地を含む北陸地方は、日本海で発達した低気圧の影響で、大雨であった。その翌日、百瀬川扇状地付近は小雨であったが、まだ扇頂の流量は多かった。
扇頂の水門は開けられ、百瀬川の水無川にも天井川にも水が流されていた。この水は、鋼板製の天井川終点で、滝のように生来川(新百瀬川)に流れ落ちていた。大雨の後は濁水が流れるものだが、百瀬川の水はきれいに澄んでいて、扇端のわき水のようであった。(2007.6.30)





扇央の宅地化

2007-07-07 | 世界地理
アドミールによる宅地開発
JR湖西線が1974年に開通した。近江中庄駅から京都駅まで片道45分で通勤できるようになった。大阪の大手不動産業者アドミールが1972年に扇央の一部0.25k㎡を買い占め、宅地開発を進めた。坪2万円、各区画300坪、800区画を販売した。扇央はふだんは水がないが、地下30mの伏流水を電動ポンプで汲み上げ、各戸に配水している。

百瀬川の扇央は針葉樹林である。秋の紅葉が終わると、落葉。冬の琵琶湖がきれいに見えるが、野坂山地を越えて吹く北西季節風は寒い。降雪量も多い。
アドミールの販売する百瀬川扇状地扇央の住所は、滋賀県高島市マキノ。1990年代のバブルの頃は、「ヴィラマキノ」の看板でよく売れたが、その時に売れ残った宅地は、今も売れ残っている。




百瀬川扇状地の概要

2007-07-07 | 世界地理
航空写真(2001年)
百瀬川が野坂山地の谷から平野に出る部分が扇頂、マキノの各集落は湧水帯(扇端)である。扇頂と扇端の間が扇央である。扇端から琵琶湖までが三角州で水田地帯。
国道トンネル部分は、百瀬川が高い位置を流れる天井川であり、国道は百瀬川の下のトンネルとなっている。




金沢の薬商

2007-07-07 | 世界地理
尾張町の老舗薬商石黒薬局
医薬分業が進み、病院の隣にプレハブ門前薬局チェーンが営業し、病院処方の薬を独占的に販売している。また、コンビニ並みの長時間営業ドラッグストア内でも薬剤師の駐在時間中は病院処方箋を扱い、ついでに他の日曜雑貨を買ってもらう店舗設計で、営業成績が急伸中である。

金沢尾張町の石黒薬局は病院処方箋も扱ってはいるが、病院紐付きの薬局ではない。前田藩時代からの薬商という伝統と信頼で、商売が繁盛している。
プレハブ薬局のような安直に開発された薬品を売るのではない。前田藩以来、病人が使って確かな効能があると実証された薬品が売られている。石黒薬局は、病人に安心感を与える建築である。
銀ネズの越前瓦が鈍く光り、老舗の風格を感じさせる。店の格子戸は、敷居の高い御用商人ではなく、誰もが薬を買いに入ることがでできる安心感を与える。風格と安心を与え、薬商としては最適の建物である。
なお道路中央には融雪パイプが埋め込まれ、商店街全体が冬の積雪対策を講じていることが分かる。(2007.7)



老舗もインターネット販売

2007-07-06 | 世界地理
老舗味噌屋の近代化
新住居表示では金沢市芳斎町、復活した正しい住居表示では金沢市六枚町の、ウメサ食品は、味噌専業の老舗である。屋根の真ん中には「醤油」と書かれた醤油さしの看板がある。屋根は銀ネズの越前瓦だが、二階屋根中央部がわずかに高くなっている。
隣家と屋根が続いているが、境界部分は明確に分けている。

ウメサ食品は伝統的な味噌専業でありながら、味噌以外にもめんつゆ、とうふの味噌漬けなど、新製品を開発し、インターネット販売に進出している。このような近代化路線は、冷房不要といわれた越前瓦の屋根にエアコン室外機を設置していることからも推測できる。(2007.6)